曹操は悪役なのか
三国時代を語る上で欠かせない問題で、曹操に対する捉え方がある。
というのも、曹操は三国時代直後の晋の時代に記された正史「三国志」と、その後の明の時代に描かれた小説「三国志演義」で大きく描かれ方が異なっているからだ。
正史「三国志」では、当然事実と判断された事しか描かれていない。
一方、「三国志演義」はあくまで小説であり、相当な脚色がされているのだ。
それは「3割本当で7割嘘」と言われるほど。
こんにちの「レッドクリフ」や「漫画三国志」における曹操の悪役っぷりは、全て小説「三国志演義」の影響を色濃く受けているのである。
なぜ、「三国志演義」で曹操は悪役として描かれているかというと、当時滅亡の危機に瀕していた漢王朝を滅ぼそうとする悪の曹操と
漢王室を復興しようとする善の劉備で物語を色分けし、物語として成立させようとする狙いがあったからだ。
対してその反動か、最近では曹操への評価が見直され、曹操が悪役ではないとする物語も作られている。
「蒼天航路」がそうだ。
「蒼天航路」は正史「三国志」に準拠して描かれ、曹操を善、劉備を悪として描いている。
演技以外の曹操の悪役っぷり
かと言って曹操の悪逆非道っぷりは演義以外の書物でも健在だ。
今日はそんな曹操の史実上の悪逆っぷりを紹介したいと思う。
最初に曹操の悪逆っぷりが際立ったのは、呂伯奢(リョハクシャ)一家の殺害事件だ。
事は曹操が都の董卓の元から、故郷に帰る際に起きた。
曹操は知人の呂伯奢(リョハクシャ)の家に泊まった。
呂伯奢(リョハクシャ)は留守だったが、呂伯奢(リョハクシャ)の息子達がもてなしてくれた。
しかし、曹操はもてなそうと料理を作っていた音を自分を殺そうとしているのだと勘違いして、呂伯奢(リョハクシャ)の一家全員を皆殺したのだった。
この際、間違いに気づいた曹操は「俺が他人に背こうとも、他人が俺に背くのはならぬ」(諸説あり)と言ったらしい。
なんとも恐ろしい事件だ。
曹操の残虐さが垣間見られる記述はまだある。
それは曹操の父親が陶謙(トウケン)という徐州の領主の部下に殺された時の事だ。
曹操はこの時怒って陶謙の領土を攻めているが、行軍した先の領地の民衆を皆殺しにしている。
父親を殺したのは陶謙の部下であって、陶謙の領地の民衆にはなんの罪もないはずなのにだ。
それでも悪のカリスマ
それでも、曹操は三国志の中では不動の人気を博している。
それは、曹操が優れた詩人であったり、政治家として屯田制をはじめとした効果的な政策をしていたからだけでなく、
天下統一まであと一歩まで迫り、優秀な部下に優しく、軍事的な才能に溢れた悪のカリスマとして今も私たちを魅了しているからであろう。