ナポレオン・ボナパルトはフランス国内の混乱に終止符を打ち、ヨーロッパ大陸の大部分を支配するなど、ヨーロッパに一時の「フランスの時代」をもたらした。彼の功績は200年経った今でも色褪せることなく語り継がれている。ナポレオンと聞くと、どうしても革命や戦争という言葉と結びつくであろう。もちろんその推測は正解である。∑
一方で、彼の国内における政策もまた、後世に大いに影響を与えているのである。
第一統領となったナポレオンは国内経済を安定させる政策に着手した。1800年にフランス銀行を民間銀行として創設し、ボナパルト家やシェイエスが大口の投資家となった。
また、税制改革によって国内財政を安定させ、小学校・中学校・大学までの教育制度も整えた。
そして彼が最も後世に影響を与えた政策は、1804年3月のフランス民法典の編纂である。全2281条からなる、私有財産の不可侵、家族の尊重、契約の自由、国家の世俗性・法の下の平等などの原則を定めたこの法典は、伝統と革命の成果を調和させ、法的に安定させた。フランス革命で市民が勝ち取った近代市民社会の法原理を確認したという点でも、大いに意義があるとされている。
有名なのはこの民法典だが、彼は1806年の民事訴訟法典、1807年の商法典、1808年の刑事訴訟法典、1810年の刑法典の編纂にも携わっている。
この民法典は、ヨーロッパ諸国の民法典のひとつの規範となった。失脚後のナポレオンは、「余の栄誉は40回に及ぶ戦勝ではない。永遠に残るのはこの民法典である。」と言ったとされる。