キーワード解説:京都議定書
京都議定書は、1997年に採択された気候変動に対する世界的な取り組みのための国際条約です。
先進国のみが対象であったことや大国アメリカが離脱したことなど様々な問題がありましたが、環境問題について世界が考えることを広く促す意義のある条約でした。
京都議定書とは
京都議定書は、1997年の気候変動枠組条約第3回締約国会議(COP3)で採択された気候変動(地球温暖化)に対する取り組みのための国際条約です。
国際会議が京都で開催されたことからこの条約を「京都議定書」と呼んでいます。
世界で初めて条約批准国の具体的な数値(削減目標)に言及し、採択された条約でした。
以後、京都議定書に関する具体的なルールについての交渉が行われました。
8年後の2005年2月16日に発効しました。
京都議定書の発効
京都議定書が採択されるまでに至った経緯とその内容を見ていきましょう。
当時の環境と成立に至るまで
第二次世界大戦後、先進国では経済復興、経済発展が進ました。
1972年、ローマクラブが「成長の限界」を発表し、このままの発展の仕方では地球環境に影響を及ぼし、環境汚染が手遅れの状況に陥ると継承を鳴らします。
1980年代には地球温暖化やオゾン層の破壊も問題となり、国際的なルール作りへの動きが活発化しました。
先進国を中心に世界中で環境問題に関する話題がフォーカスされていきます。
1992年にリオデジャネイロで行われた地球サミットで、気候変動枠組条約が採択されました。
155カ国が署名したこの条約は温室効果ガスを削減するための一般的な義務を定めたものでした。
この気候変動枠組条約の具体的な各国の義務は、締約国会議(COP)で別の条約作って定めようというシステムです。
1995年ベルリンでCOP1、1996年ジュネーブでCOP2が開催され、翌年のCOP3で京都議定書が採択されたのです。
京都議定書の内容
京都議定書は、先進国に対して温室効果ガスの削減目標を定めたものです。
ここでの「温室効果ガス」は以下の6種類です。
・二酸化炭素(CO2)
・メタン(CH4)
・六ふっ化硫黄(SF6)
・一酸化二窒素(亜酸化窒素)(N2O)
・パーフルオロカーボン(PFC)
・ハイドロフルオロカーボン(HFC)
2008~2012年の第1約束期間内で基準年となる1990年比で「先進国全体で5%」の削減を約束しました。
日本はこの期間内に6%の削減を宣言し、達成しています。
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失敗に終わった?京都議定書の意義
京都議定書はたびたび失敗だったと言われています。
まず、温室効果ガスの削減目標は先進国のみで発展途上国にはルールを課しませんでした。
当時世界的にも省エネが進んでいた日本に「6%」という削減目標が課されたのです。
さらに、先進国だけが温室効果ガスの削減を強制されることへの不満を持ったアメリカは2001年に離脱してしまいました。
それに対し発展途上国からも「先進国は環境を荒らしながら発展してきたのに、これから発展する途上国はそれを妨げられなければならないのか」という不満の声があがりました。
一度は決裂しかけた京都議定書でしたが、各国は諦めず積極的な呼びかけをしました。
2004年にロシアが批准したことで国際条約として効力を持つものとなり、翌年発効に至ります。
ところが、2000年代後半は「発展途上国」として免除されていた中国やインドが急激な経済成長期に入っており、大量の温室効果ガスを排出していました。
2013年以降の削減目標については白紙のままであったこともあり先進国と発展途上国の間で溝を生むことにもなったのです。
このように問題点はありましたが「数値を含んだ上での国際条約」が締結されたことは大変意義深いものでした。
また、世界中が環境問題について当たり前のように考える社会を作ったという点においても意義のある条約だったと言えます。
ポスト京都議定書
先述の2008年~2012年の京都議定書「第一約束期間」以降の体制の問題点を「ポスト京都議定書」と呼んでいます。
2005年のCOP11以降、2013年からの取り組みについての話し合いが行わていきました。
結論が出たのは2010年、COP16での「カンクン合意」の採択でのことです。
この合意により日本は「2020年までに2005年比で排出量を3.8%削減すること」を宣言しました。
そして2015年に開かれたCOP21で2020年以降の温室効果ガスの削減に関する「パリ協定」が採択されました。
パリ協定を巡っても、トランプ大統領がアメリカの離脱を表明するなど足並みが揃わない問題はあります。
京都議定書の後継となったパリ協定は、今後も続く地球環境問題の議論での中心となるキーワードでしょう。