2019年2月12日、マケドニア共和国が「北マケドニア共和国」へ改名しました。
そこにはNATOやEUへの加盟を巡るギリシアとの対立がありました。
かつて「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれたバルカン半島の情勢に、今後も動きがあるかもしれません。
キーワード解説:北マケドニア共和国
歴史が深い「マケドニア地方」
「マケドニア」高校の世界史の授業を覚えていませんか?
アレクサンドロス大王が活躍したことで広く知られる「マケドニア」は、東ヨーロッパのバルカン半島の一部をさす地方です。
アレクサンドロス大王の時代に最大版図となったマケドニア王国は、ローマ帝国やオスマントルコ帝国の支配、20世紀後半にはユーゴスラビア連邦の一部となり、現在では北マケドニア共和国という独立国となっています。
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北マケドニア共和国の改名
国名を変えることは国民にとって大きな決断です。そこには歴史的、政治的な理由がありました。
「マケドニア地方」を巡る歴史
2019年2月12日、マケドニア共和国が「北マケドニア共和国」へ改名しました。
「マケドニア」という地名を名乗っていることが論争の火種となったのです。
地理的に北マケドニア共和国は、マケドニア地方の4割を占めるにすぎず、残りの5割がギリシア、1割がブルガリアに属しています。
また、現在ではマケドニア系住民が多数を占め、次いでアルバニア系住民が存在しますが、現在の北マケドニア共和国のマケドニア人はスラブ系民族であり、ギリシア系の王朝であった古代マケドニア王国とは直接的な関係はないのです。
ギリシャは改名前のマケドニア共和国樹立当初から「マケドニア」を名乗ることに反発していました。
北マケドニア共和国はギリシアの北側に位置しています。
ギリシア側は、ギリシア第二の都市であるテッサロニキを含んだ国内のマケドニア地方を奪いに来るのではないかと反発を強めました。
第二次世界大戦後の冷戦で、ギリシアは東西の覇権争いに巻き込まれた国の一つとなったこともあり、この問題は根深いのです。
EU・NATO加盟への思惑
EU、NATOへの加盟を望む北マケドニアに対し、ギリシアは上記の理由で反対を表明してきました。
そんな中、2018年9月にマケドニア共和国(当時)で、国名を「北マケドニア」と改める国民投票が行われます。
賛成多数であったものの、投票率が3割台であったことや、アレクサンドロス大王を象徴する「マケドニア」の名前をそのまま残したい人々とEU、NATOに加盟して隣国のアルバニアとの関係を強化したいアルバニア系住民の対立もあり、国民全員の一致とは言えない結果となりました。
結局、「賛成多数」を尊重し北マケドニア共和国が譲歩する形で2019年に国名を改名しNATOへの加盟が認められます。(ギリシアとの国名問題が解決したためです)
また、EUについても2020年に加盟交渉に参加することが認められました。
一方、ギリシア国民の中には「マケドニア」の名前が残ることを批判する人がいることや、EUとNATOに傾く北マケドニアに対してロシアが不信感を示すなど、国名を巡ってヨーロッパ各国の思惑や覇権争いはスッキリとした解決には至っていないようです。
まとめ
北マケドニア共和国が位置するバルカン半島は、第一次世界大戦前「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれたほど政治的な緊張がありました。
およそ100年が経過した今回の対立は、北マケドニアが譲歩する形で衝突が避けられました。
一方で、今後EUの加盟が正式に認められれば、ロシアをはじめ新たな対立構造を生みかねないとの懸念の声もあがっています。