アメリカ史上唯一の大規模な内戦を終結させ、アメリカ合衆国を守ったリンカーン大統領。今回は、リンカーン大統領の2つの有名な演説を紹介します。
ゲティスバーグ演説
government of the people, by the people, for the people
これをどこかで見た、あるいは聞いたことがある人も少なくないと思います。
この部分だけ和訳すると、「人民の、人民による、人民のための政治」という意味になります。
これは有名な、リンカーン大統領が1863年11月19日にゲティスバーグで行った演説の抜粋です。
このスピーチはたった2分ほどの短いものでしたが、南北戦争真っ只中の人々の心を掴むのには充分でした。
演説の冒頭でリンカーンは
「87年前、私たちの先祖は、自由の精神に抱かれ、人は皆平等の下に創られているという信条に捧げられた新しい国家を、この大陸に誕生させた。」
と述べています。
当時奴隷制度の賛否によりアメリカ合衆国が二分していた状況の中、人権派であり奴隷制度に反対していたリンカーン大統領は、どのような目的、信条の下でアメリカ合衆国が建国されたのかを確認したのです。
戦場にもなったゲティスバーグでのこの演説は、南北戦争を戦う北軍兵士、あるいは差別と戦う南部の黒人たちの士気を高めるものになりました。
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2つに割れた家
リンカーンはゲティスバーグ演説だけでなく、数々の演説を行い人々の心を掴んできました。
名言として現在にまで語り継がれているものも多くあります。
1858年、リンカーンが大統領になる前のことです。共和党から上院選の候補者に指名されたリンカーンは北部と南部の溝が深まっていった50年代後半のアメリカに対し、このように述べました。
「自らに対してふたつに割れた家は、立っていられません。この政府は、半分が奴隷、半分が自由民では長く続くことはできないと確信しております。」
当時、北部が自由州、南部は奴隷州でした。演説では奴隷と自由民について触れていますが、これはもちろん南北の対立のことを示しています。
リンカーンは戦争になることには反対しており、割れた家が再び一つの家に戻ることを願っていたのです。
しかし、その3年後の1861年、
「どちらも戦争を否定しておりました。しかし、片方が国家を生き延びさせるより、戦争を望んだのであります。そして他方は滅ぼされるぐらいなら、戦争を受け入れたのです。そこで内乱となりました。」
と述べました。
南部諸州がアメリカ合衆国を離脱し南部にある合衆国保有のサムター要塞の引き渡しを迫られた時、北軍(合衆国)はこれを拒否し、南北戦争へと突入したのです。
まとめ
彼は政治家人生の中で多くの演説をし、名言を残してきました。
アメリカ合衆国と民主主義を守った偉大な大統領の言葉には、やはり聴く者の心に響くmagicがかけられているのでしょうか。