アレクサンドロス大王が建設した都市「アレクサンドリア」は、後世にまで大きな影響を与えました。
特に、ムセイオンでは多くの研究者を輩出し科学技術の発展に貢献しました。
さらに、宗教を語る上でも重要な都市です。
アレクサンドロス大王の都市建設の目的
アレクサンドロス大王は、遠征中に自らの名をとって「アレクサンドリア」という都市を建設しました。
制服地に都市を建設し自分の名前をつけるというやり方は、父のフィリッポス2世に倣ったものです。
各地に都市をつくった目的は、ギリシア文化を普及することや軍事的な拠点を置くことでした。
建設された各アレクサンドリアには多くのギリシア人傭兵が入植します。
特に、マケドニアからみて東方の制服地は当時最果ての土地でした。
ローマ時代の作家ユスティヌスが「軍の中で反抗的と見なした者たちを配分した」と述べているように、アレクサンドロスにとっては軍内部の不平分子を散らす意図があったとも言われています。
[itemlink post_id=”9361″]
エジプトの古都「アレクサンドリア」
中でもエジプトに建設されたアレクサンドリアは最も繁栄した都市です。
その後プトレマイオス朝の都となり、「世界の結び目」と言われる程でした。
ムセイオンや図書館を建設
初代の王プトレマイオス1世はヨーロッパ各地の学者を招き入れ「ムセイオン」という博物館や、図書館を建設しました。
そこで輩出された多くの学者が自然科学の分野で大きな功績を残しました。
・ユークリッド幾何学を完成させたエウクレイデス
・地球の円周を測定したエラトステネス
・地動説を唱えたアリスタルコス
彼らは後世までその研究結果などで影響を与えた有名なムセイオン出身です。
この地は古代、様々な研究の要として多くの学者が集まって研究をしていました。
とりわけその拠点となったアレクサンドリア図書館はナポレオンのエジプト遠征により破壊されます。
また、この遠征中に郊外でロゼッタストーンが発見されたことは有名な出来事です。
エジプトのアレクサンドリアは交通の要所としての機能も担います。
地中海沿岸の都市であるアレクサンドリアの港は世界最古の港と言われており、現在でもエジプトの輸出入の75%を占めているのです。
キリスト教史でも重要
宗教を語る上でもこの都市は重要です。
エジプトはローマに支配されて以降、キリスト教の研究も行われました。
その後キリスト教布教の拠点となり、アレクサンドリア教会が建設されます。
キリスト教5本山の1つとなり、のちにキリスト教の正統派となったアタナシウス派を唱えたアタナシウスは、アレクサンドリア教会の司教でした。
[itemlink post_id=”9362″]
まとめ
そのような古代の歴史を知る上で極めて重要な役割を果たしたエジプトのアレクサンドリアですが、当時の痕跡はあまり残っていません。
度重なる戦闘で打撃を受けたこと、自然災害が起きたこと、そしてその地の真上で現在のアレクサンドリアの街が形成されたことがその要因です。
2,000年前の「世界の結び目」の多くは、今もなおアレクサンドリア市民の足の下に眠っているのです。