大人気ドラマの予言?合衆国憲法修正第12条

大人気ドラマの予言?合衆国憲法修正第12条

※本記事はドラマ「ハウス・オブ・カード 野望の階段」のネタバレを含みます

2020年の大統領選はいよいよ佳境に入りました。今回の大統領選挙が異例なのは、11月3日の投票日の直後に結果がわからないかもしれないという指摘が各方面からあることです。
今回の選挙は、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、多くの郵便投票が見込まれています。その郵便投票の集計の混乱により、場合によっては法廷闘争に持ち込まれる懸念が高まっているのです。

ドラマでは・・・

2017年のNetflixドラマ「ハウス・オブ・カード 野望の階段」シーズン5でも大統領選挙の混乱が描かれていました。
この作品は、主人公の下院議員フランク・アンダーウッドが手段を選ばす大統領までのぼりつめていく政治ドラマで、オバマ前大統領安倍前首相もファンという、世界的人気作です。

シーズン5では、大統領選挙が描かれます。

主人公のフランク・アンダーウッド大統領(民主党)は、大統領選挙で共和党のイケメン候補コンウェイに負けそうになります。
そこで、フランクは、テロの脅威をでっちあげ、いくつかの州での11月の一般投票を中止に追い込んだのです。

大統領選挙の仕組みをおさらいすると、11月の投票日は一般国民が選挙人を選ぶ投票日にすぎません。
選ばれた538人の選挙人は12月の選挙人投票に臨み、そして、その選挙人投票で過半数の270票を得た者が大統領となります。
通常は、11月の投票日の直後に、どの候補がどのくらいの選挙人を獲得したかがわかるので、この時点で我々も次期大統領が誰なのかを知ることができます。

しかし、このドラマでは、テロでっちあげにより選挙人を選べない州が出てしまいました。つまり、12月の選挙人投票までに選挙人が決まらない事態になったわけです。当然、誰も過半数の270票を得ることができません

そこで、このドラマでは、まず合衆国憲法修正第12条が適用されます。

修正12条にこう書かれています。

大統領として最多数の投票を得た者の票数が選挙人総数の過半数に達しているときは、その者が大統領となる。過半数に達した者がいないときは、下院は直ちに無記名投票により、大統領としての得票者一覧表の中の3 名を超えない上位得票者の中から、大統領を選出しなければならない。但し、この方法により大統領を選出する場合には、投票は州を単位として行い、各州の議員団は1票を投じるものとする。この目的のための定足数は、全州の3分の2の州から1名または2名以上の議員が出席することを要し、大統領は全州の過半数をもって選出されるものとする。

つまり、選挙人投票で誰も過半数を得られなかった場合は、各州1票の下院投票が行われるのです。

そこで、フランクは下院投票に臨むのですが、どうやら下院投票でも負けそうなので、なんだかんだあって、違う方法で再選されることになりますが、そこはドラマはご視聴くださいということで割愛させていただきます。

郵便投票による混乱

さて、ここまではドラマの話なのですが、今回の大統領選挙では、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う郵便投票の増加、そして、その郵便投票の集計をめぐる混乱が予想されています。場合によっては、法廷闘争に持ち込まれる可能性も十分にあります。

もちろん、法廷闘争が選挙人投票までに決着がつく可能性もあれば、各州の州議会が独自に選挙人を選ぶ可能性もあります。その場合は、12月の選挙人投票で、270票を獲得した候補が大統領になります。

しかし、12月の選挙人投票までに選挙人が選ばれなければ、修正12条の出番です。

2000年の大統領選挙に伴う裁判では、12月12日に連邦最高裁が判決を言い渡し、翌12月13日に民主党のゴア候補による敗北宣言が行われたことにより、選挙人をめぐる争いに決着がつきました。12月18日に行われる選挙人投票のわずか5日前の決着でした。

今回の大統領選の選挙人投票は、2020年12月14日です。もし、この日までに法廷闘争の決着がつかなければ、下院の出番となります。

もし、今回、修正12条に伴う下院投票が行われるとしたら、どうなるのでしょうか。実際に下院投票を行うのは、11月に選ばれる新しい下院議員たちですが、とりあえず現在の下院の情勢をもとで確認してみましょう。
現在の下院は、民主党が232議席共和党が198議席です。普通に考えれば、バイデン候補が勝ちそうですが、修正12条をもう一度見てみましょう。

「但し、この方法により大統領を選出する場合には、投票は州を単位として行い、各州の議員団は1票を投じるものとする。」

各州1票なのです。人口が多かろうと少なかろうと、1票です。
例えば、カリフォルニア州は4000万人以上の人口を抱え下院議員を52人送り込んでいます。そのうち、45人が民主党で7人が共和党なので、バイデン候補に1票入るでしょう。一方で、アラスカ州は人口70万人ほどで、下院議員を1人送り込んでいます。その1人は、共和党員なので、トランプ候補に1票入ることになるでしょう。

このような、各州1票のシミュレーションでは、共和党が26対22で過半数を得ているそうです。(注1)なので、もし今回の大統領選とともに行われる下院選が現在と同じような結果になれば、トランプ候補が下院投票で大統領に選ばれる可能性は大いにあるのです。

最後に

当然、このような混乱は、さらなる分断、場合によっては流血をもたらす恐れがあります。ハウス・オブ・カードのような大混乱は、ドラマの中だけで楽しみたいものです。
大きな混乱なく、平和的に次期大統領が選ばれることを強く願います。

https://atomic-temporary-151149301.wpcomstaging.com/2020/09/23/primeminister/

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中曽根合同葬から考える「指導者の葬儀のあり方」

中曽根合同葬から考える「指導者の葬儀のあり方」

10月17日、中曽根康弘元総理の葬儀が都内のホテルで厳かに営まれた。

600人を超える参列者たちは、80年代の日本の舵取りを担った指導者との最後の別れを惜しんだ。渡辺恒雄氏の弔辞は代読だったが、永年にわたる厚い友情が伝わる内容であった。

しかし、一方で、今回の葬儀に約1億円の国家予算が使われたことに対して、一部で批判の声があがっている。

同時代の西側の指導者がどのように見送られたか簡単に見てみよう。

かつての同僚は・・・

2013年に行われたイギリスのサッチャー元首相の葬儀にはエリザベス女王も参列し、騎馬隊が先導する葬列が1kmにわたって行進した。計1000万ポンド(約15億円)の費用がかかったとされる。

また、中曽根元総理とロンヤス関係と呼ばれる親密な関係を築いたレーガン元大統領は、2004年に亡くなった。当時のブッシュ大統領は6月11日を追悼の日とし、政府職員は有給の休暇が与えられた。その有給の費用だけでも、約4億ドル(約440億円)にのぼったとされる。11日に行なわれた大規模かつ格式高い式典の様子は、インターネット上の動画や画像からも十分に伝わってくる。

日本の元総理の葬儀に比べると、明らかに多くの費用もかかっているわけだが、アメリカのマスコミではどのような議論がなされているのだろうか。

国民を一つにするための小さな代償

U P I通信(※1)の記事『The cost of pomp for Reagan’s funeral』は、レーガン元大統領の葬儀にまつわる多岐にわたるコストを指摘した。
例えば、レーガン元大統領の遺体を運ぶ飛行機の燃料代や、葬儀の当日、(サラリーマンが休みのため)客がほとんど来なかった飲食店があることなどを紹介している。

しかし、最後の段落では、アメリカでは大統領職が王室に近い存在であるとした上で

”So perhaps Reagan’s funeral was a small price to pay to bring the nation together after all.(レーガンの葬儀は、国民を一つにするための小さな代償だったのかもしれない)”としている。

また、2018年に死去したジョージ・H・W・ブッシュ元大統領についてのニューヨークタイムズの記事「A Funeral for a President, and a Fleeting Unity for a Nation」は、
”Presidential funerals provide a moment for Washington — and the nation — to pause and embrace the better side of our politics.
大統領の葬儀は、ワシントンと国民にとって、一旦立ち止まり、政治の良い面を受け入れる機会となる。)”という一文から始まる。

大統領という職は激しい批判に晒されたり国内に分断を生み出したりする仕事であるとしたうえで、
”the highly choreographed spectacle of a presidential funeral 〜中略〜 offers Americans a welcome chance to reflect on the nature and value of public service, to celebrate the achievements of the person and the office.
高度に振り付けられた大統領の葬儀の光景は、アメリカ人にとって公務の本質と価値について考えその人と職務の業績を祝う歓迎すべき機会を提供している)”としている。

これは、2018年の記事である。分断という重い課題を抱える現代のアメリカにおいて、大統領の葬儀は分断を癒す側面があると捉えられているようだ。

1億円の分断

残念ながら、今回の中曽根元総理の葬儀では、逆に政治的な分断が生まれてしまった一面もあったように思える。

もちろん、我が国には天皇陛下が統合の象徴としていらっしゃるので、首相職と大統領職を同列に扱うことはできない。

しかし、約1億円の予算が、これほどの反発を呼び、葬儀費用についてのワードをトレンド入りさせ、国民に分断をうむとは思わなかった。ただただ、故人とご遺族が気の毒である。過去の元総理の葬儀も、このような議論に見舞われたのだろうか。ぜひ調べてみたい。

私個人としては、戦後の内閣総理大臣で従一位に叙されたのは吉田茂佐藤栄作中曽根元総理の3人だけであることを踏まえると、1億円は妥当な支出であると思う。これは、政策や人格や党派性とは無関係だ。将来、もし非自民党政権の総理が長期にわたり国の舵取りを担うことがあれば、同じく従一位に叙し、国家としてその労に報いなければならない。

先ほどのニューヨークタイムズの記事で、歴史家はこう述べている。

“We might not agree in historical hindsight on what they did or how they did it,”

“But they were always trying to do what is best for the country.”

過去の大統領たちが、何をどのようにしたかについては、賛同できないかもしれない。しかし、彼らは国のために最善のことをしようとしていた。

追記

今回の件で、一つだけ建設的な提案があるとすれば、葬儀の準備の点である。

中曽根元総理は昨年の11月に亡くなり、今年3月に合同葬が予定されていたものの、コロナの影響で、10月17日となった。

一方で、レーガン元大統領は、6月5日に亡くなり、6月11日には国葬を終えている。一般的にアメリカ大統領は生前から、葬儀の計画をたてているとされていて、それに従い迅速な国葬が行われている。

訃報が速報された時点から、故人とその時代を振り返る報道が大量に流れるだろう。そこから、数週間以内に内閣による葬儀ができれば、良いのではないだろうか。

(※1 UPI通信はアメリカを代表する通信社であったが、経営悪化により統一教会系の企業に買収された。)

 

https://atomic-temporary-151149301.wpcomstaging.com/2020/09/21/nakasone/

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「記者が政権の要職に?」佐藤栄作秘書官の大出世

新聞社から官邸へ 楠田實の転職

先日、共同通信の論説副委員長をつとめていた柿崎明二氏が首相補佐官に就任したことが大きな話題となりました。

直接、マスコミから政権の要職についたことで、「政治とマスコミの距離感」といった論点で賛否両論となったのです。本人も「メディアからの転身なので、色んな受け止め方があると思う」と語っています。

しかし、「記者が政権の要職に就く」こと自体は、近年では珍しいものの、歴史を紐解けば、決して「前代未聞」の話ではありません。

昭和の時代は、新聞記者が内閣総理大臣秘書官(首相秘書官)に就任するということはよくあることでした。なかでも、沖縄返還を成し遂げた佐藤栄作総理を秘書官として支えた楠田實は有名です。

今回は、楠田の記者から首相秘書官への「転職」を通して、「記者と政治家の関係」を見てみましょう。

政治部記者

楠田實は、サンケイ新聞の政治部の記者でした。当時の日本政治は、「派閥」が政局の中で極めて重要な役割を担っていました。新聞社としても当然、政治部の記者を派閥に分けて担当させると言うのが基本的なやり方です。

楠田は佐藤派の担当になり、佐藤派のボスである佐藤栄作と出会います。

楠田は、佐藤派内からかなり信頼されていたようで、政調会長だった佐藤派の田中角栄から、佐藤の総裁選不出馬の説得を頼まれたりしています。

角栄は「君は佐藤のオヤジともひじょうに親しいのだから、折があったら、田中はこう考えているということを伝えてくれないか、オヤジを説得してくれないか」と楠田に語りかけました。

秘書や政治家、官僚ではなく、新聞記者が、「総裁選に出馬すべきではない」という超重要メッセージを伝えるという役目を担っているわけです。このように、かつては、記者が政治家のメッセンジャーとして働いたりすることで、政局において一定の役割を果たすことがありました。

昭和38年のクリスマス

昭和38年の12月24日、楠田は佐藤邸を訪れました。クリスマスイブに、食堂で佐藤は一人でトランプ占いをしていたそうです。
そこに、楠田が入ってきました。佐藤は「君は今晩はクリスマスパーティに行かなかったのか」と、クリスマスイブにわざわざ政治家の家を訪ねてきた楠田を軽くイジったりしています。
その会話からも、二人の信頼関係が伺えます。

この訪問の本題は「未来の佐藤政権」です。次の総裁選に向けて、佐藤政権が誕生したときの政策の公約をどのようにつくるかを考える必要があります。

楠田はこう切り出しました。

「アメリカのケネディ大統領が、ハーバードの学者グループを大量に動員して新しい政治方式、キャンペーンのあり方というものを開発したり、現実政治の中にいかに理想や哲学を盛り込むかという工夫をして、それがひじょうに感銘を与えているわけですが、日本の政治も、これからはそれに似たようなところまで持っていく必要があるのではないでしょうか」

つまり、ケネディ大統領のように、有能なブレーンたちを集め、彼らに現実の政治へのアドバイスをさせたり政策をつくらせたりすることを目指すべきではないかと提案したのです。

佐藤は「おれもそう思う」と返します。

楠田は「もしさしつかえなければ、私の立場で、新しい時代の政治はこうあるべきだという観点から少しものを考えてみましょうか」と言いました。楠田自らがそのブレーン集団の中心となり、佐藤政権誕生に向けて働くと提案したのです。

佐藤は「そうしてくれるか」と返しました。

Sオペ

ということで、楠田は佐藤政権誕生のため、動き始めます。

とはいっても、楠田は新聞社の社員なので、通常業務があります。

デスクとして朝刊夕刊を作る合間に、睡眠時間を削り、ブレーン集団をつくったのです。学者、官僚、新聞記者といった様々な人材に声をかけチームを作りました。このチームのことを「佐藤オペレーション」、略して「Sオペ」と言います。

昭和39年7月の総裁選で、佐藤栄作はSオペが作成した政策をひっさげて、現職の池田勇人に戦いを挑みます。壮絶な総裁選の結果、佐藤は惜しくも池田に敗れました。

敗れはしたものの楠田はSオペの政策にはかなりの自信があったようで、「政策論争では明らかに勝ったが、多数派工作では敗れた」と振り返っています。

しかし、総裁選で勝利した池田ですが、数ヶ月後に病に倒れ総理総裁を辞任しました。そして、総裁選で敗北した佐藤が政権を担うことになったのです。
7年8カ月にわたる佐藤長期政権がこうして始まりました。

秘書官へ

政権が始まって2年後、楠田は佐藤首相から首相秘書官就任の誘いを受けます。しかし、楠田には迷いがありました。
「サンケイ新聞という大きな組織の中で、いうならば、ぬるま湯の中で育って来たものが、きびしい、しかも未知の社会に飛び込んで結局は自分が傷つくことになるのではないかと言う不安もあった」と当時を振り返っています。

楠田は当時の上司に相談に行きます。

上司は言いました。

「男の一生のなかで女に惚れられることは何度かあるかもしれない。しかし男に惚れられるという事はめったにないものだ。ここまできたらもう後に引くべきではない。先々の事は考えずに飛び込むべきだ。皆で応援するから、佐藤総理の手で沖縄返還が実現するまで君の全てを燃焼し尽くすべきではないか。」

昭和な感じもしますが、めっちゃアツいセリフです。上司の言葉に、背中を押され、楠田は佐藤首相の秘書官となりました。

最後に

楠田と佐藤の関係を通して、記者と政治家の間で信頼関係や友情がうまれることがわかりました。このような関係については、「権力とマスコミの癒着」との批判もあるかもしれません。
ただ、一方で触れておきたいのは楠田のその後です。
楠田は首相秘書官を辞任した後、佐藤政権を振り返る著書を執筆しました。また、彼が残した日記などの膨大な資料は、デジタルアーカイブ化され大学図書館などで閲覧することができます。
柿崎氏も首相補佐官を辞められた後は、記者に戻って、菅政権の官邸での日々を書いてくださることを願っています。

https://atomic-temporary-151149301.wpcomstaging.com/2020/06/19/yuriko-koike/

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総理はいつ総理になるのか?

総理はいつ総理になるのか?

今の日本の総理大臣が菅義偉さんであることは、ほぼ全国民が知っています。

「では、いつ菅さんは総理大臣になったのでしょうか?」

「16日じゃないの?」という人もいますが、16日の朝9時の時点では安倍総理が閣議を開いています。

21時46分には菅総理が閣議を開いているので、この12時間のうち、どこかの瞬間で総理大臣が入れ替わってる!のです。

実はある瞬間に総理は交代しているのですが、マスコミもそこに重点を置いた報道をしていないので、「なんとなく、ぼんやりとヌルッと総理が変わっている」という印象の人も多いと思います。

では、いつ、どの瞬間、総理が交代したのか、確認していきましょう。

9月14日

9月14日、都内のホテルでは、自民党総裁戦の投開票が行われていました。

「菅義偉君をもって、当選者と決定致しました。」

野田毅選挙管理委員長が選挙結果を読み上げ、自民党の新総裁に菅さんが選出されました。
この日、Twitterなどでは「もう安倍総理じゃなくて、菅総理になったんだね。」といったようなコメントもありましたが、自由民主党という政党の総裁が菅さんになっただけで内閣総理大臣は安倍さんのままです。

9月16日午前

16日午前9時すぎ、首相官邸で閣議が開かれました。この閣議で、全閣僚の辞表を取りまとめて、内閣総辞職を決定しました。7年8ヶ月にわたる安倍内閣、最後の閣議となりました。

ということで、この閣議決定をもって、安倍内閣は総辞職しました。

そして、国会法に基づき、国会に内閣が総辞職したことを通知し、その後、国会において内閣総理大臣指名選挙(首班指名)が行われる運びとなります。

ここで
「え、じゃあ、総辞職してから新しい総理大臣が就任するまでは、総理大臣はいないの?」
「もし、総辞職後から新総理大臣誕生までに大地震とかあったらどうなるの?」
という疑問を持たれる方がいるかもしれません。

ご安心ください。実は総辞職した後も、新しい内閣ができるまでは、総辞職した内閣が引き続き仕事を行います。(この場合は安倍内閣)

これを職務執行内閣と言います。総辞職をした安倍総理はこの日の昼過ぎに、花束を受け取り、官邸を後にしましたが、もし、この直後に大地震があれば、官邸に引き返し、安倍内閣が対応にあたったと思います。

ということで、16日正午の時点では、安倍内閣は総辞職したけれども、今の内閣は安倍内閣で、今の総理は安倍総理という状態です。

9月16日午後

16日の13時から、衆議院本会議で総理大臣指名選挙が行われます。

13時45分ごろ、事務総長が結果を読み上げます。「菅義偉君314、枝野幸男君134、片山虎之助君11、中山成彬2、小泉進次郎君1」

小泉進次郎君1に議場がややざわついた後、大島議長に声が議場に響き渡ります。
「右の結果、菅義偉君を衆議院規則第18条第2項により本院において内閣総理大臣に指名することに決まりました」

万雷の拍手の中、菅さんは立ち上がり、お辞儀します。

25分後の、14時10分頃、参議院でも菅さんが指名されます。この瞬間、国会は菅義偉さんを次期総理に指名したということになります。
この瞬間から後のテレビ番組では、「菅首相」というテロップが表示されたり、「菅総理は〜」といったナレーションが流れることも多々ありました。

しかし、厳密には、まだ現時点での総理大臣は安倍総理です。なぜなら、まだ菅さんは総理大臣に指名されただけで、「任命」はされていないからです。

ということで、誰かが総理を任命しなければならないわけですが、まあ普通に考えて、内閣総理大臣を任命できる方は、お一人しかいません笑

17時45分すぎ、菅さんの姿は皇居にありました。

宮殿松の間で、菅さんは天皇陛下の前に進み出て深々と頭を下げます。そして、陛下は菅さんに「内閣総理大臣に任命します」とお言葉を述べられました。この瞬間、菅さんは総理大臣となりました。
天皇陛下による総理任命式のことを親任式と言います。

ということで、親任式がおこなわれた令和2年9月16日の17時45分ごろ、安倍総理から菅総理に交代したのでした。

最後に

アメリカの映画やドラマを観ると、「大統領誕生」のシーンは数多くの作品で描かれています。

聖書に手をおいての宣誓です。

“I do solemnly swear that I will faithfully execute the Office of President of the United States, and will to the best of my Ability, preserve, protect and defend the Constitution of the United States. So help me God.”

だいたい、死ぬほどカッコよく演出されるので、「ああ、この瞬間から、彼(彼女)は大統領なんだな」とわかります。

一方で、日本の映画やドラマで、総理誕生のシーンはあまり見ません。

親任式は生中継されず、映像としても、国民の記憶に残っているかというと少し疑問です。

私は日本国民ですが、アメリカのドラマや映画で繰り返し観る大統領宣誓のシーンを通じて、アメリカ大統領への関心や、大統領職への敬意を育みました。

やはり、同様に国のリーダー誕生の瞬間である親任式も、テレビの生中継も含めて、より大きく扱っていくことが、大切だと思います。

https://atomic-temporary-151149301.wpcomstaging.com/2020/09/21/suganaikaku/

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「次の総理は君だ!」中曽根裁定を振り返る

「次の総理は君だ!」中曽根裁定を振り返る

安竹宮

昭和62年(1987年)の秋、5年間にわたる長期政権となった中曽根康弘内閣が終わろうとしていました。

衆院選の大勝で延長した総裁任期も終わりに近づき、ポスト中曽根に世間の関心が集まっていました。

「安竹宮」

当時、有力な総裁候補とされていた3人を表した言葉です。
「安」は、安倍晋太郎総務会長。言わずと知れた安倍晋三総理のお父さんです。「竹」は、竹下登幹事長。DAIGOのおじいちゃんとしても有名ですね。そして、「宮」は、学歴に厳しいことで有名な宮澤喜一蔵相

昭和62年(1987年)10月8日に告示された総裁選に「安竹宮」はそろって立候補をしました。

選挙か、話し合いか

さて、3人の戦力ですが、あきらかに最強なのは竹下さんです。100人を超える最大派閥のボスであり、他派からの票も見込めるので、選挙になれば、最低200票はかたいはずです。
逆に、議員票で劣っていたのは宏池会(現岸田派)の領袖だった宮澤さんでした。そこで、宮澤陣営は「話し合い」での総裁選出に期待を寄せます。当時、現職である中曽根さんの「意中の人」は明らかになっておらず、「話し合いの末に、中曽根総理が宮澤さんを後継総裁に指名するかもしれない」と言う期待があったからです。

さて、肝心の中曽根総理は、後任の総理総裁をどのように決めたかったのでしょうか。

選挙か、話し合いか。

総理をやめた後、中曽根さんが影響力を残せるのはどちらなのでしょう。

選挙で勝利して総裁になるということは自分自身の力で権力を勝ち取ったということになり、新総裁の権力基盤は盤石なものになります。しかし、話し合いの末、中曽根総理が総裁を指名するとなると、新総裁は「中曽根総理のおかげ」で誕生することになります。当然、中曽根さんの意向は無視できません。ということなので、もちろん中曽根さんは「話し合い」、というか、「話し合いの末の中曽根さんによる後継指名」に持ち込みたいわけです。

しかし、竹下さんの立場では逆になります。「中曽根さんに禅譲された権力」か、「自分自身で戦って勝ち取った権力」か、後者の方が望ましいのは明らかです。当然のことながら、竹下派では、「話し合いではなく選挙で戦って総裁の座を手に入れるべきだ」という意見がたくさん出ました。

会談、そして・・・

しかし、中曽根さんのほうが一枚上手だったかもしれません。

10月15日夜、雨の中、竹下さんは総理官邸を訪れました。もちろん、用件は中曽根総理との会談です

そこで、中曽根さんは勝負をかけました。
直接的な表現ではありませんが、中曽根さんは「選挙をやめて話し合いにすれば、竹下さんを後継指名する」と匂わせたのです。

繰り返しますが、中曽根さんは直接的に「選挙をやめれば、あなたを後継指名する」とは言ってないと思います。しかし、微妙な言葉選び、表情、声のトーンなどから、竹下さんは確信をしたのでしょう。「中曽根さんは自分を指名してくれる」と。

すかさず、竹下さんもダメ押しします。

「自分が総理になっても中曽根路線はしっかり継承する。外交はすべてご指導を仰ぎたい。」

そう宣言し、会談を終えました。

一方、安倍陣営ですが、選挙に持ち込むべしとの派内の意見も強かった一方で、なぜか巷では「話し合いの末、中曽根総理は後継に安倍さんを指名する」との情報が飛び交っていました。

ともあれ、こうして安竹宮の3人ともが中曽根総理による後継指名を期待する状況が作られました。中曽根さんの思惑通り、「話し合いからの中曽根さんによる後継指名」へと大きく流れが動き始めたのです。

中曽根裁定

長い話し合いの末、ついに10月19日夜、中曽根総裁への白紙一任が決まりました。

もう、3人とも中曽根総理による自らの指名を願って待つことしかできません。

世間的には、「安倍有利」との見方が強かったようですが、結果は、神と中曽根総裁のみぞ知るところです。

「新総裁は安倍氏」「安倍総理誕生」
裁定前に、そんな速報を打つマスコミもあったそうです。

そして、20日未明、運命の「中曽根裁定」がくだりました。

「私は熟慮の結果、総裁候補者として竹下登君をあてることに決定した。他の二者におかれては、前記の趣旨にのっとり全面的に協力されんことを強く希望するものである。昭和六十二年十月十九日 自由民主党総裁 中曽根康弘」

こうして、竹下総理が誕生しました。
島根県の酒屋に生まれ、青年団活動、県議会議員を経て、ついに総理大臣の座を掴み取りました。
NHKアーカイブスで、裁定後の竹下さんが仲間たちから熱く祝福される映像を観ることができます。

一方、敗北後の安倍陣営の様子を、番記者が回想していたので引用します。

“次の総理大臣が竹下登幹事長(当時)に決まった夜は、とりわけ印象深いものだった。富ヶ谷の安倍邸では、安倍派幹部が悲嘆に沈んでいた。他社の先輩記者の何人かが悔し涙を見せる向こうで、煮えたぎる思いを胸に収め、淡々とした表情で報告に耳を傾ける安倍さんの姿に、運命を粛々と受け入れる“潔さ”を感じたのは、私だけではなかったと思う。“(リレーエッセー「私が会ったあの人」安倍晋太郎さん(森本 和憲)2012年9月)

宮澤さんはのちに総理総裁の座を射止めることができましたが、安倍晋太郎さんは将来の総理の座を確実視されながらも4年後に病でこの世を去りました。

令和2年(2020年)の秋は、政治の季節となりました。総裁選や新内閣誕生を伝えるワイドショーやニュースの報道をチェックする一方で、過去の総裁選を振り返ってみるのもいかがでしょうか。

[box02 title=”文献”]
大下英治(2016)『自由民主党の深層』イースト・プレス
安倍晋太郎さん(森本 和憲)2012年9月<https://www.jnpc.or.jp/journal/interviews/24839>(2020年9月5日参照)[/box02]

https://atomic-temporary-151149301.wpcomstaging.com/2020/09/20/yatou/

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小沢一郎『日本改造計画』27年前の壮大な夢①

『日本改造計画』27年前の壮大な夢

日本改造計画

1993年の初夏、ある一冊の本が書店に並びました。
2ヶ月後、政権交代が起きました。

ある一冊の本とは、小沢一郎氏の『日本改造計画』です。70万部を超え、政治家が書いた本としては異例の大ベストセラーとなりました。タイトル通り、小沢氏の政治改革の指針を書いた本ですが、発売後27年たった今でも、たびたび言及される凄い本です。
本来なら、今すぐブラウザを閉じて、図書館で借りて読んでもらったほうが良いのですが、図書館が遠い人のために、ごく簡単に紹介させていただきます。

時代背景

平成の最初、世の中は大きく変わりつつありました。冷戦が終結しソ連が崩壊した一方で、国内ではリクルート事件(大学生の方ならリクルートっていう会社、聞いたことありますよね。そのリクルート社の会長が関連会社の値上がり確実な未公開株を政治家に配りまくって、国民の顰蹙をめっちゃ買った事件です。)をきっかけとして「政治改革」の機運が高まっていました。
93年5月、小沢氏は『日本改造計画』を出版、そして6月には宮沢内閣不信任案に賛成し、自民党を離党しました。自民党幹事長を40代でつとめた小沢氏が、自党の総理総裁に不信任をつきつけ離党した大義名分は「政治改革」にありました。そして、7月の総選挙で自民党は過半数割れし、8月には非自民連立の細川内閣が誕生しました。1955年の結党以来、38年間与党の座にあった自民党が初めて野党に転落したのです。

『日本改造計画』とは、総選挙という国民の審判の直前に提出された小沢氏による平成日本の設計図です。平成の間に実現した政策もあるし、実現しなかった政策もあります。
27年前、彼はいったい何を訴えたのでしょうか?
まえがきから見ていきましょう。

グランド・キャニオン

「米国アリゾナ州北部に有名なグランド・キャニオンがある。」

この本の一文目です。グランド・キャニオンは言わずと知れたアメリカの観光地ですね。自然が作り出した断崖絶壁がとても美しいです。そこで小沢氏は衝撃的な事実に気がつきます。

「転落を防ぐ柵が見当たらないのである。」
いや怖すぎるでしょ。落ちたら絶対死にます。
そして、日本だったらこんなのはありえないだろうと小沢氏は指摘します。日本人は当局に安全のための規制を求めるだろうと。当局も柵を作るだろう。だって、柵が無いために事故が起こったら、マスコミは柵をつくらなかった行政を叩くから。

日本では「大の大人が、レジャーという最も私的で自由な行動についてさえ、当局に安全を守ってもらい、それを当然視している。」
「これに対してアメリカでは、自分の安全は自分の責任で守っているわけである。」

このグランドキャニオンのくだりがこの本の最大の問題意識です。日本社会にはやたらと規制が多いし、日本人は規制を求めたがる。しかし、そんなことでは冷戦後の激動の世界を乗り切ることができない。国民は意識を改革し、自立すべきだということです。

「真に自由で民主的な社会を形成し、国家として自立するには、個人の自立をはからなければならない。」
「そのためには、まず『グランド・キャニオン』から柵を取り払い、個人に自己責任の自覚を求めることである。」

そして、この精神に基づき、三つの改革を唱えます。

・政治のリーダーシップの確立
・地方分権
・規制の撤廃

具体的にどんな政策を提案したのかは次回以降、ごくごく簡単に紹介したいと思います。

感想

いかがでしたか。グランド・キャニオンのくだりで、もう結構、好き嫌いが別れる考え方かもしれません。おそらく「規制の何が悪いねん」と感じる人もいると思います。でも、私の勝手な憶測を申し上げれば、最近の大学生とか若者は結構この本の考え方に共感する人が多いんじゃないかなと感じます。27年前に出版されましたが、今の若者が読んでも十分おもしろい本です。

あと、気になったんですが、今もグランド・キャニオンに柵は無いんでしょうか?
行ったことある人、ぜひ教えてください!

https://timetankcom.wordpress.com/2020/07/02/liberal-democratic-party/