【BLM】リンカーンの奴隷解放宣言後の19世紀の黒人たち

多様な人種、民族が暮らすアメリカ合衆国は、人種差別の歴史と闘ってきました。
今ではヒスパニックやアジア系の人々もたくさん住んでいますが、「差別」と聞くとやはり黒人の歴史を思い浮かべるでしょう。
アメリカにおいて黒人の地位が確立されたのは1865年のことです。
しかし、人種差別がすぐになくなることはありませんでした。

キーワード解説:19世紀の黒人差別

リンカーン大統領の奴隷解放宣言

ブラック・ライブズ・マター(BLM)運動が全米で話題となりました。

黒人に対する白人警官の行為への抗議から始まった運動です。

アメリカと人種差別問題は、アメリカ合衆国そのものの歴史と密接に結びついています。

南北戦争真っ只中の1863年1月1日、リンカーン大統領によって奴隷解放宣言が発布されました。

「アメリカ全土の奴隷たちは即時自由人としての権利をもつ」という内容です。

1865年12月、憲法修正第13条が成立し、アメリカ全土で奴隷制度が完全に廃止されます。

では、解放された黒人奴隷たちは本当の意味での自由を手にしたのでしょうか。

ご存知の通り、答えはNoです。

今回は、奴隷解放宣言後、とりわけ、19世紀後半の黒人たちについて紹介します。

「黒人取締法」の成立

南部の黒人たちは解放され自由を手にしたかに思われました。

ところが、実際には社会的地位が保証されたわけではなく政治的権利も認められませんでした。

黒人の労働力を酷使していた南部の白人農園領主たちは、奴隷制度廃止後も黒人たちを自分の支配下におき続けたいと考えます。

そして、1865年に南部の州議会で黒人取締法が制定されました。

これは、南部諸州で黒人に対して定められた様々な非人道的な法律の総称です。

土地所有の制限、夜間の外出禁止、人種間の結婚の禁止など、多岐にわたる内容でした。

 これらの諸法律は、1964年に公民権法が成立するまで続いたのです。

白人至上主義団体〜K・K・K〜

1865年12月、南北戦争中のテネシー州の南軍帰還兵士らによって組織された白人至上主義団体が創設されました。

K・K・K(クー・クラックス・クラン)です。

彼らの目的は、南北アメリカの再統合に反対することでした。

新たに選挙権を得た黒人男性に対する暴力と脅迫によってその目的を成し遂げようとしました。

彼らは降伏した北軍の黒人兵士たちを何百人と殺戮します。

街を歩いている黒人に集団で襲いかかり、選挙の際投票に来た黒人男性に銃を突きつけ投票先を強制するなど、非人道的な行為を繰り返したのです。

1871年、クー・クラックス・クラン法が制定され連邦政府の取締りで人数は減少しましたが、この時期は南部における白人至上主義がおおむね達成されたためでもあったとされています

翌年以降、KKKは事実上解体されたもののルイジアナ州の白人同盟や、サウスカロライナ州の赤シャツ隊など、各地で暴力的な反黒人団体が存在し続けました。

公民権が再び失われる

リンカーン大統領が一掃を図った奴隷制度擁護派は勢いを盛り返し、黒人への報復意思を持って政治の表舞台へと戻って来ます。

彼らは共和党の政治を批判し、暴力に加えて、黒人が選挙に行くことができないよう遠い場所に投票所を設置し投票箱を塞ぎ、あらゆる手段を使って黒人を妨害しました。

南部諸州では、父か祖父が選挙権を持っていた者にだけ選挙権を認めたり、人頭税(全ての国民に一律で課される税金)を払っている者だけに選挙権を認めたりするなど、事実上黒人を選挙から締め出したのです。

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まとめ

奴隷解放宣言は有名無実化され、黒人たちは差別と戦い続けました。

彼らが本当の意味での自由を手にするのはおよそ100年後、キング牧師の登場によるものでした。

21世紀に入った現在ですら、度々人種差別問題が議論され激しい抗議活動が行われています。

「人種差別」という言葉そのものがなくなるような時代がくるのはいつになるのでしょうか。

【TPP】環太平洋パートナーシップ協定とは〜加盟国や問題点は?〜

TPP(環太平洋パートナーシップ協定)は関税の撤廃を通して自由貿易の拡大を目指す経済協定です。
日本国内ではTPP参加に対して賛成派と反対派が二分しました。
この協定の対象は、工業製品食料品に限らず医療品医薬品にまで及びます。

キーワード解説:TPP(環太平洋パートナーシップ協定)

TPPとは

TPPは太平洋地域における経済連携協定です。正式名称は環太平洋パートナーシップ協定といいます。
太平洋沿岸の国々の間で関税の撤廃などを行い貿易の拡大を促すとともに、人の移動や知的財産の保護といった規制緩和を行うことで、巨大な自由貿易の経済圏を作ることが目的です。

TPPはもともと12カ国で構成されていましたが、アメリカが離脱したため参加国は11カ国となりました。

アメリカが離脱する前のTPPと区別するため、現在はTPP11あるいはCPTPP(環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定)と呼ばれます。

TPP(環太平洋パートナーシップ協定)とは|わかりやすく簡単に解説!メリット・デメリットがわかる (winfreedom.jp)

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TPP参加国

2020年11月現在のTPP参加国は11ヶ国です。

TPP加盟国 一覧

・オーストラリア
・カナダ
・シンガポール
・チリ
・日本
・ニュージーランド
・ブルネイ
・ベトナム
・ペルー
・マレーシア
・メキシコ

TPPがこの11カ国になるまでには紆余曲折がありました。

TPPの原点はシンガポール、チリ、ニュージーランド、ブルネイによる経済連携協定である環太平洋戦略的経済連携協定です。

この枠組みを拡大させる形でTPPの交渉が始まり、2010年にアメリカ、オーストラリア、ベトナム、ペルー、マレーシアが交渉に参加し、2012年にはカナダとメキシコが新たに参加しました。

日本は2010年から参加を検討していましたが、賛否をめぐる国内世論が真っ二つに割れていたこともありなかなか参加に踏み切れませんでした。

しかし、自民党安倍晋三政権の下で2013年に交渉に参加しました。

その後TPP交渉は12カ国で進められ2016年に協定への署名が行われましたが、2017年に就任したアメリカのトランプ大統領が離脱を表明し現在の11カ国になりました。

TPPとアメリカ〜バイデン勝利でTPP参加?〜

TPP参加国の中で人口、経済的な規模が抜群に大きいアメリカの離脱は他の参加国にとって痛手でした。

2020年のアメリカ大統領選挙の結果次第では流れが変わる可能性があります。

バイデン氏は大統領選において再交渉の上でTPPに復帰する可能性を示唆していました。

一方で世論や党内の反対から復帰に否定的という見方もあります。

TPPにアメリカが戻ってきて再び12カ国に戻るかどうか、来年誕生する新大統領の動きに注目です。

バイデン氏、米大統領選で雇用最優先 TPP再交渉も: 日本経済新聞 (nikkei.com)

TPP参加のメリット、デメリットは?

日本のTPP参加について、国内では賛否がわかれました。国内では主に製造業が賛成、農業関係者は反対を表明していました。

TPP参加のメリット

TPPのメリットは、関税の撤廃によって日本で生産された製品を他国に安く輸出できるようになることです。

製造業など海外へ多くの製品を輸出する企業に恩恵をもたらします。

また、他国の製品を安く輸入できるようになるため、消費者はオーストラリアやニュージーランドの農産品やチリのワインなど、輸入製品を安く購入できるようになります。

関税撤廃に加え規制緩和も行われるため日本企業が海外への進出や投資を行いやすくなります。

さらにTPP加盟国を合わせるとアメリカ抜きでも世界のGDPの12.9%、貿易額の14.9%を占める経済圏が生まれるため市場の拡大も期待できます。

TPPデメリット

TPPのデメリットは関税撤廃により外国産の食料品など安価な製品が流入し、国内の農業にダメージが出る可能性があることです。

国内の農業が衰退し、食料自給率の低下につながるかもしれません。

遺伝子組み換え食品の規制緩和などにより食の安全が脅かされるとの声もあがっています。

遺伝子組み換え食品を巡る規制や考え方は国にって異なるため、各国の目線あわせが重要です。

また、医療保険制度の自由化により日本が守ってきた国民皆保険制度が崩れてしまうという懸念もあります。

TPPとは?TPPのメリット・デメリットをわかりやすく解説 – 【とはサーチ】 (toha-search.com)
TPP発効で日本のメリットデメリットは?わかりやすく解説 | 【英国発】news from nowhere (1ovely.com)

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まとめ

TPPは貿易などの企業活動のみならず、食料品の価格や医療など私たちの生活にも様々な影響を及ぼします。

現在のTPP加盟国の中で最大のGDPを誇る日本がTPPを巡る国際的な議論をリードできるかどうかが重要なポイントです。

また、TPPは今後、アメリカの復帰の可能性に加えて中国韓国タイなど新たに参加を検討している国もあります。

私たちにとって身近なTPPという国際的な枠組みが今後どのような形で進展していくのか、その行方から目が離せません。

【メラニア夫人】トランプ政権ファーストレディーを解説

メラニア・トランプ氏は東欧の旧ユーゴスラビアで生まれ育ちました。26歳で渡米、ファッションモデルとして活躍します。2005年にはドナルド・トランプ氏と結婚、後に彼が大統領に就任したことで自身もファーストレディーとなりました。

キーワード解説:メラニア・トランプ

経歴

1970年 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国(現在のスロベニア)で生まれる

1996年 渡米

2001年 米国永住権所得

2005年ドナルド・トランプと結婚

2017年 大統領夫人(ファーストレディー)となる

メラニア夫人の生い立ち

1970年に旧ユーゴスラビアで生まれました。(複数の国家に分裂していますが、メラニア夫人の故郷は現在のスロベニアにあたります)

その圧倒的な美貌から16歳でモデルデビューを果たします。

コマーシャルへ出演やパリミラノでの活動など、10代の頃から頭角を現して現していました。

26歳の頃、母国でユーゴスラビア内戦が悪化したこと、アメリカ人実業家を出会ったことなどを理由に渡米しています。(メラニア氏の故郷は比較的平穏だったそうです)

その後、アメリカでのパーティーで出会ったドナルド・トランプ氏と2005年に結婚しました。

メラニア氏はトランプ氏の3人目の妻です。

2人の間にはバロン・トランプという男の子の子供がいます。

2017年、夫のトランプ氏が大統領に就任したことに伴いアメリカ合衆国「ファーストレディー」として大統領を支えることとなりました。

メラニア・トランプは外国出身ですが、外国出身のファーストレディーは190年ぶりだそうです。

また、ドナルド・トランプの前妻のイヴァナ氏が自身をファーストレディーだといったことに対して「残念ながら、単に注目されたいだけの、自分勝手な真似だ」と反論を唱えたことが話題となりました。

このイヴァナ氏はイヴァンカ・トランプ大統領補佐官の母親です。

メラニア夫人ってどんな人? ドナルド・トランプ氏の妻【画像集】(HUFFPOST)
メラニア夫人の若い頃が可愛い!年齢・身長・生い立ちと経歴・学歴の噂も!(Groove)

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ファーストレディーとしての外交

2019年に来日した際に皇后の雅子さまと時間をかけて話をしました。

その時、雅子さまは自らメラニア夫人の手を握り、顔を寄せられました。

メラニア夫人も自然にそれに応え、両頰を軽く触れ合わせるチークキスを交わされました。

故郷である東欧のスロベニアでは、親しい友人にはチークキスをする文化があるそうです。

メラニア夫人の思想は?

メラニア氏は外国出身のファーストレディーであることからリベラル寄りではないかとされています。

実際にトランプ氏の移民政策を批判したことがあります。

こういった経緯も相まって、バイデン氏と闘った2020年アメリカ大統領選挙ではトランプ氏に敗北の受け入れを進言したと報道されました。(この報道に対してはトランプ陣営から否定の声明が出され、メラニア氏自身もTwitterで「違法なものを除き、合法的な票はすべて集計されるべきだ」と投稿しています)

メラニア夫人らが「敗北を受け入れる時」とトランプ氏説得との報道も 陣営幹部はTwitterで否定<アメリカ大統領選>(東京新聞)

最後に

東欧で生まれたメラニア氏は、あのアメリカ合衆国大統領の夫人となりました。

これからもメディアで大注目を浴びるであろうトランプ氏の妻とあって、目が離せない存在ですね。

【アメリカ国旗】星条旗を解説〜歴史から星の数まで〜

アメリカ国旗星条旗と呼ばれています。

・星の数は現在の50州を、横の線は独立時の13州を表しています。

・国旗に星が入っている国はアメリカを含め76ヶ国もあります。

キーワード解説:アメリカ国旗(星条旗)

アメリカ国旗の由来

アメリカ国旗(the Flag of the United States of America)は通称、星条旗(the Stars and Stripes)と呼ばれ、直訳すると「星と縞模様」を意味します。

星条旗は1777年6月14日に行なわれた第2回大陸会議の海事委員会でアメリカ国旗として制定され、赤は大胆さと勇気青は警戒と忍耐と正義白は純真さと潔白を表しています。

また、アメリカ合衆国初代大統領ジョージ・ワシントンによると、星は天を、赤の線は母国イギリスを、白の線は独立を象徴しています。

アメリカの国旗は何と呼ばれていますか?この旗は何を表していますか?(the japan times 出版)
アメリカ(米国)(世界の国旗)
米国プロファイル(AMERICAN CENTER JAPAN)

星の数と線の意味

星条旗の左上、青色の地にある白色の星は50個あり、アメリカ合衆国の50州を表しています。

独立時のアメリカは13州だったため、国旗が制定された当初の星の数は13個でした。

アメリカが拡大し州の数が増えるごとに星も追加され、1960年にハワイがアメリカ50番目の州に昇格したことで、現在の星が50個のデザインとなりました。

星条旗に赤白交互に入っている13本のストライプは、独立当初の13州を表しています。

1795年にアメリカが13州から15州に増えた際には、赤白の線も2本増えて15本となったのですが、本数が多くなると不格好で見づらいため、赤白の線は発足時の13本で固定することが定められました。

アメリカの州の数は、1818年に20州、1848年に30州、1890年に43州と、どんどん増えていくのですが、1912年に48州となり48個の星が描かれた国旗が発表されるまでは、正式な星の配置は定められておらず、星が丸や星型に配置されたものや、縦横に並んでいるものなど、様々なデザインのものがありました。

現在では、縦横比が1:1.9など、かなり詳細に国旗のデザイン比率が定められています。

国旗一覧

【番外編】星の数ランキング

1位 アメリカ(50個)

2位 ブラジル(27個)

3位 クック諸島(15個)

4位 ウズベキスタン(12個)

4位 ヨーロッパ連合(12個)

6位 ドミニカ(10個)

6位 ボリビア(10個)

6位 カーボベルデ(10個)

9位 ツバル(9個)

10位 ベネズエラ(8個)

国旗に星がある国は76ヵ国あり、星の数でアメリカは断トツの1位を誇ります。

ちなみに、2位ブラジルの27個の星は、ブラジル連邦共和国を構成する26州と1連邦直轄区を表しており、アメリカと同じ意味合いを持っています。

アメリカ合衆国(株式会社さらご)
国旗に描かれている星の数が多い国3位は?(QUIZ BANG)

最後に

世界において中心的な役割を担っているアメリカは、もちろん国旗の星の数でも1位!

誰しもが1度は見たことがある国旗です。国旗にも歴史がありストーリーがあります。

これで国旗に興味を持ったという方は、ほかの国の国旗を調べてみるのも面白いかもしれませんね!

大人気ドラマの予言?合衆国憲法修正第12条

大人気ドラマの予言?合衆国憲法修正第12条

※本記事はドラマ「ハウス・オブ・カード 野望の階段」のネタバレを含みます

2020年の大統領選はいよいよ佳境に入りました。今回の大統領選挙が異例なのは、11月3日の投票日の直後に結果がわからないかもしれないという指摘が各方面からあることです。
今回の選挙は、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、多くの郵便投票が見込まれています。その郵便投票の集計の混乱により、場合によっては法廷闘争に持ち込まれる懸念が高まっているのです。

ドラマでは・・・

2017年のNetflixドラマ「ハウス・オブ・カード 野望の階段」シーズン5でも大統領選挙の混乱が描かれていました。
この作品は、主人公の下院議員フランク・アンダーウッドが手段を選ばす大統領までのぼりつめていく政治ドラマで、オバマ前大統領安倍前首相もファンという、世界的人気作です。

シーズン5では、大統領選挙が描かれます。

主人公のフランク・アンダーウッド大統領(民主党)は、大統領選挙で共和党のイケメン候補コンウェイに負けそうになります。
そこで、フランクは、テロの脅威をでっちあげ、いくつかの州での11月の一般投票を中止に追い込んだのです。

大統領選挙の仕組みをおさらいすると、11月の投票日は一般国民が選挙人を選ぶ投票日にすぎません。
選ばれた538人の選挙人は12月の選挙人投票に臨み、そして、その選挙人投票で過半数の270票を得た者が大統領となります。
通常は、11月の投票日の直後に、どの候補がどのくらいの選挙人を獲得したかがわかるので、この時点で我々も次期大統領が誰なのかを知ることができます。

しかし、このドラマでは、テロでっちあげにより選挙人を選べない州が出てしまいました。つまり、12月の選挙人投票までに選挙人が決まらない事態になったわけです。当然、誰も過半数の270票を得ることができません

そこで、このドラマでは、まず合衆国憲法修正第12条が適用されます。

修正12条にこう書かれています。

大統領として最多数の投票を得た者の票数が選挙人総数の過半数に達しているときは、その者が大統領となる。過半数に達した者がいないときは、下院は直ちに無記名投票により、大統領としての得票者一覧表の中の3 名を超えない上位得票者の中から、大統領を選出しなければならない。但し、この方法により大統領を選出する場合には、投票は州を単位として行い、各州の議員団は1票を投じるものとする。この目的のための定足数は、全州の3分の2の州から1名または2名以上の議員が出席することを要し、大統領は全州の過半数をもって選出されるものとする。

つまり、選挙人投票で誰も過半数を得られなかった場合は、各州1票の下院投票が行われるのです。

そこで、フランクは下院投票に臨むのですが、どうやら下院投票でも負けそうなので、なんだかんだあって、違う方法で再選されることになりますが、そこはドラマはご視聴くださいということで割愛させていただきます。

郵便投票による混乱

さて、ここまではドラマの話なのですが、今回の大統領選挙では、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う郵便投票の増加、そして、その郵便投票の集計をめぐる混乱が予想されています。場合によっては、法廷闘争に持ち込まれる可能性も十分にあります。

もちろん、法廷闘争が選挙人投票までに決着がつく可能性もあれば、各州の州議会が独自に選挙人を選ぶ可能性もあります。その場合は、12月の選挙人投票で、270票を獲得した候補が大統領になります。

しかし、12月の選挙人投票までに選挙人が選ばれなければ、修正12条の出番です。

2000年の大統領選挙に伴う裁判では、12月12日に連邦最高裁が判決を言い渡し、翌12月13日に民主党のゴア候補による敗北宣言が行われたことにより、選挙人をめぐる争いに決着がつきました。12月18日に行われる選挙人投票のわずか5日前の決着でした。

今回の大統領選の選挙人投票は、2020年12月14日です。もし、この日までに法廷闘争の決着がつかなければ、下院の出番となります。

もし、今回、修正12条に伴う下院投票が行われるとしたら、どうなるのでしょうか。実際に下院投票を行うのは、11月に選ばれる新しい下院議員たちですが、とりあえず現在の下院の情勢をもとで確認してみましょう。
現在の下院は、民主党が232議席共和党が198議席です。普通に考えれば、バイデン候補が勝ちそうですが、修正12条をもう一度見てみましょう。

「但し、この方法により大統領を選出する場合には、投票は州を単位として行い、各州の議員団は1票を投じるものとする。」

各州1票なのです。人口が多かろうと少なかろうと、1票です。
例えば、カリフォルニア州は4000万人以上の人口を抱え下院議員を52人送り込んでいます。そのうち、45人が民主党で7人が共和党なので、バイデン候補に1票入るでしょう。一方で、アラスカ州は人口70万人ほどで、下院議員を1人送り込んでいます。その1人は、共和党員なので、トランプ候補に1票入ることになるでしょう。

このような、各州1票のシミュレーションでは、共和党が26対22で過半数を得ているそうです。(注1)なので、もし今回の大統領選とともに行われる下院選が現在と同じような結果になれば、トランプ候補が下院投票で大統領に選ばれる可能性は大いにあるのです。

最後に

当然、このような混乱は、さらなる分断、場合によっては流血をもたらす恐れがあります。ハウス・オブ・カードのような大混乱は、ドラマの中だけで楽しみたいものです。
大きな混乱なく、平和的に次期大統領が選ばれることを強く願います。

https://atomic-temporary-151149301.wpcomstaging.com/2020/09/23/primeminister/

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米中新冷戦〜習近平主席の思惑~

米中新冷戦〜習近平主席の思惑〜

さて、随分と期間が空いてしまいましたが、前回記事の続きということで米中新冷戦を紐解いていきます。

新型コロナが全てをひっくり返した

しかし、トランプ大統領は2020年1月に湖北省武漢市で新型コロナウイルスが発生、感染爆発を起こすと「武漢ウイルス」などと連呼、更に中国への圧力を強めた。

こうしたトランプ大統領の強硬姿勢を見て中国はアメリカの顔色を伺うのを止め、時に強い言葉で反論し始めた。
トランプ大統領としては中国に圧力を加えていることを自国民にアピールすることで、自らの再選に役立てようという狙いがあったと思われる。しかし、逆に中国が強硬姿勢に転じてしまったため、難しい外交戦略を強いられることになってしまった

本気になった中国

一方で、アメリカの批判は中国政府と中国国民には内政干渉と映る。中国中央テレビ環球時報などの政府系メディアは、過去にアメリカが大量破壊兵器の証拠もないのに一方的にイラクやリビアに戦争を仕掛けたことなどを例に挙げて、自己中心的なのはアメリカであり、アメリカこそが覇権主義である、と論じている。

こうした背景もあり、政府関係者のみならず一般の中国人、特に「00世代」と呼ばれる、中国が急速に経済発展を遂げた2000年代以降に生まれた青少年の間で「アメリカの傍若無人な他国への介入には徹底的に対抗する」といった考えが広がっている。
例えば香港問題をめぐっても、「一国ニ制度下の香港でアメリカに内政干渉させないためにも警察、公安機関の対策強化が必要だ」と考える人は僕がリアルに付き合っている在日中国人の中でも多い。

習近平国家主席が掲げる「強国路線」は一定の支持を受けている。

コロナ抑え込みが自信に

また、外から見ると民衆を抑圧しているだけのように見える中国共産党だが、国民から一定の支持を受けている。急速な経済の発展や生活の向上などを受け、少なくない中国人(前述したように特に青少年代)が自国に対するプライドを感じ一党独裁に一定の正当性を与えている面がある。

特に新型コロナウイルス対策では、アメリカやヨーロッパ諸国などの主要先進国がパニック状態に陥っているのに対し、中国では現在、抑え込みに成功している。メディアや政府などによる宣伝効果もあって「中国の社会体制は西洋の社会体制に比べ優れた面もある」との受け止めが広がっている。

もっと慎重に、国内からの懸念

しかし、このような中国政府の強気の外交手腕に異論も出始めている。中国人民大学教授で、政府のアドバイザーを務める時殷弘(じ・いんこう)氏は、中国メディアの取材に対し「マイナスの相互過程を激化させてしまい、しかもアメリカの過激な反中タカ派に弾薬を与えてしまった」と対中圧力を強めてしまったと懸念を示している。

また、アメリカ以外の国との摩擦が強まっていることについても「我々は視線を全世界に向けなければならない。時々は耐え忍ぶことも出来ないだろうか。もし我々が敵を多く作りすぎれば非常に不利になる。我々は忍耐力と必要な謙虚な態度を持たなければならない」
「中国の能力には限界があることを認識しなければならない」
とも述べていて、中国の国際社会での孤立に警鐘を鳴らしている。

最後に

前回記事よりも中立的な立場で執筆したつもりですが、いかがでしょうか?

この米中新冷戦の最も興味深い点は、中国とアメリカの双方共に、経済的、軍事的な面で世界的に強い点です。

90〜80年代にアメリカと対立したソ連は軍事的には強力でしたけれども、経済的には社会主義国であり弱く、最終的には崩壊を迎えます。

貿易摩擦で同じく、アメリカと対立した高度経済成長期の日本は経済的にはアメリカに負けず劣らずでしたが、軍事的には米軍に頼りきりで、結局アメリカに屈しました。

この2カ国の長所を併せ持つ国、中華人民共和国はアメリカに勝ち、21世紀の新たな覇権国になるのか? それとも「世界の警察」、アメリカ合衆国に負けるのか?

今後、米中関係に要注目です!

https://timetankcom.wordpress.com/2020/09/14/china-america/

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日本人があまり知らない大統領選挙の仕組みと共和党と民主党の派閥

日本人があまり知らない大統領選挙の仕組みと共和党と民主党の派閥

大統領選ってどんなしくみ?

アメリカ大統領選挙は、有権者である18歳以上のアメリカ国民が大統領を直接選びます。しかし、総得票数で勝者を決めるわけではありません

実際2016年のアメリカ大統領選挙は民主党のヒラリー氏が共和党のトランプ氏より300万票近く上回る票を獲得していますが、しかし、勝利したのはトランプ氏でした。これはトランプ氏がヒラリー氏より多くの「選挙人」を獲得したからです。

投票は州ごとに行われ、その州の人口ごとに「選挙人」が割り当てられます。その総数は538人です。つまり当選には270人の「選挙人」が必要になってきます。有権者はそれぞれ共和党の候補か、民主党の候補かを決めます。その票は州ごとに集計され、票数に応じてその州がもつ選挙人が、いずれかの候補の持ち分に。ほとんどの州では、最も多く得票した候補がその州の選挙人全員を獲得。メイン州とネブラスカ州の2州は、得票率で選挙人を配分します。

今回の大統領選挙は共和党のドナルド・トランプ大統領、野党民主党ではジョー・バイデン氏が指名され、激しい攻防が繰り広げられています。

アメリカは、共和党と民主党の二大政党制でその2党から大統領が選ばれます。これからはその2党を詳しく見ていき、党の中での様々な考え方や立場についても見ていきたいと思います。

共和党ってどんな政党?

ドナルドトランプは、共和党。

共和党は、減税自由市場資本主義経済規制緩和などの保守的な経済政策と、軍事費の増加や銃の権利中絶の制限移民の制限などの保守的な社会的価値観に基づく政策を掲げる政党です。

支持層は、中西部や南部の白人層やキリスト教保守派、ユダヤ系の組織などです。

共和党は、これまでにリンカーン大統領やアイゼンハワー大統領やニクソン大統領、ブッシュ大統領など19名の大統領を輩出しています。

党のシンボルは「象」で、由来は、1860年にリンカーン大統領が党の強さを象徴をするために「象」を新聞に掲載したのが最初とされます。イメージカラーは、「赤」です。共和党は、別名「GOP=Grand Old Party」とも呼ばれています。

 

共和党は、大きくわけて、5つの立場があります。

保守強硬派

米国第一主義で、国際協調よりも単独行動で、米国の主権を守ることにこだわります。

1980年代のレーガン政権を機に浮上してきました。

 

新保守主義(ネオコン)

自由主義や民主主義を重視してアメリカの国益や実益よりも思想と理想を優先し、武力介入も辞さない思想です。

保守強硬派より使命感が強いです。9.11後のジョージ・W・ブッシュ政権で中心的な役割を果たし、イラク戦争を主導しました。

 

孤立主義

国際強調や同盟には否定的。排外主義的で第二次世界大戦に参加するのが間違えだったと考えています。

伝統的に共和党に根強く、現在は移民の受け入れに強く反対しています。

 

リアリスト(穏健派)

国益や勢力均衡に基づく現実主義。

ニクソン政権及びフォード政権で大統領補佐官を担ったキッシンジャーなど。現在は、共和党内での影響力は、低下しています。

 

宗教保守派

キリスト教の信念に深く根ざし、伝統的な価値観を擁護しています。

現在は、中国の人権問題を強く批判しています。

 

民主党ってどんな政党?

バイデン候補は、民主党。

同姓愛の容認銃規制中絶の容認国際強調などリベラルな政策を掲げている政党です。

大都市が集まる東海岸や西海岸などの農業従事者や労働者階級及びカトリック教徒や民族的マイノリティー(黒人、ヒスパニックなど)に支持をされています

党のシンボルは「ロバ」で、由来は民主党で初めての大統領アンドリュー・ジャクソン大統領が「Jackson」の名前から、「Jackass=ロバ(のろま、間抜けを意味する)」と揶揄されたジャクソン大統領は逆手に取り自分のポスターに使ったのが始まりだそうです。

イメージカラーは、「青」です。民主党支持者が多い州を「Blue state=青い州」と呼ばれています。

 

民主党は、大きくわけて、3つの立場があります。

左派

反戦派とも呼ばれています。環境保護や富裕層に対する増税などを掲げています。

現在では、サンダース氏などが有名です。

穏健派

中道派とも呼ばれています。武力行使も必要に応じて、認めています。

クリントン政権やオバマ政権で中核を担いました。バイデン氏もその1人です。

リベラル・ホーク

インテリ肌の人が多く、党内では少数派の介入論を強く主張しています。

他国への武力介入に積極的。

さいごに

大統領選の仕組み、民主党と共和党そしてその中の派閥について理解して頂けたでしょうか。この記事を読んで、少しは大統領選挙に興味を持って頂けたら幸いです。

最後までありがとうございました。

https://atomic-temporary-151149301.wpcomstaging.com/2020/09/30/dpfp/

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【アメリカ大統領選挙】5分でわかるバイデン氏の政策

キーワード解説:ジョー・バイデン

本名:ジョー・バイデン

経歴

出身:ペンシルヴァニア州スクラントン

出身校:デラウェア大学、シラキューズ大学

前職:弁護士

所属政党:民主党

政治家としての経歴

アメリカ合衆国上院議員:当選回数6回

2009年〜2017年:アメリカ合衆国副大統領(オバマ政権)

バイデンの生い立ち

1942年、アメリカ東部のペンシルヴァニア州で生まれます。

幼少期より「きつおん症」というスムーズに言葉を発することができない病気に悩まされながら育ちました。
毎日鏡に向かって詩を朗読することで克服したそうです。

学生時代はフットボールに熱中、デラウェア大学入学後は政治学と歴史学を専攻します。

その後シラキューズ大学で法律を学び弁護士となりました。

大学在学中に出会った女性と24歳の時に結婚し3人の子供を授かります。(妻と娘は上院議員となった翌月に交通事故でなくなりました)

1972年に上院議員に当選を果たし、当時幼かった息子を育てながら政界での活動にも励みます。

自身も病気を経験しながらも復帰し、そこから30年以上民主党を支えてきました。

重鎮となった2008年、アメリカ大統領選挙に挑戦します。
(ブッシュ大統領が当選した1988年の大統領選挙にも挑戦していたため2度目の挑戦でした)

当時民主党の代表として激戦を繰り広げていたオバマ氏ヒラリー・クリントン氏を前に苦戦、撤退を表明してオバマ氏の支持を表明しました。

オバマ氏が大統領になると、バイデン氏は副大統領に指名されオバマ大統領の任期満了まで務めます。

2017年、退任直前のオバマ大統領から大統領自由勲章を受賞しました。

中国に対しては?

オバマ政権下では中国への宥和政策がとられたのに対し、トランプ大統領は中国へ高関税を設定し中国が報復で関税を引き上げる状況でした。

直接的な戦闘はなかったものの経済面でお互いに報復しあったこの状態は米中貿易戦争と呼ばれています。

さらには、2020年初頭から全世界へ猛威をふるっている新型コロナウイルスが中国の武漢で発生したこと、香港の一国二制度が脅かされていることから米中に緊張が走っています。

バイデン氏も近年のアメリカが取ってきた対中強硬路線を取る可能性が高いとみられています。

バイデン氏はこれまでの選挙戦で、中国の少数民族や台湾への圧政を批判してきました。

また、歴代アメリカ政権が「あえて明確な姿勢を示さなかった」台湾の問題についても「台湾に対する軍事力行使にわが国が即応することを明確にするべき」としています。

他方では、国際機関に懐疑的だったトランプ政権を批判しています。

バイデン氏は「トランプ政権が国際機関を軽視したことが中国の横暴さを招いた」という考えです。

アメリカ・ファーストではなく国際強調を選択するようですが、「オバマ政権下での対中協調が中国の台頭を引き起こした」との批判があることも事実です。

黒人暴動と人種差別問題

2020年5月、白人警官が黒人男性を射殺したことが世界中で大きなニュースとなりました。

ブラック ライヴズ マターという合言葉で大規模なでもが行われたことで、アメリカの根深い人種差別問題が再燃しています。

バイデン氏は「治安の維持と法律を遵守すべきだ」として過激なデモや暴動を取り締まる姿勢を示すトランプ大統領のを批判し「トランプ大統領が人間の差別的な感情を正当化している一方で、これまで注目されなかったアメリカの構造的な人種差別にも光が当たっている」と述べました。

バイデン氏は抗議活動には賛成で、人種差別とは徹底的に戦うようです。

景気対策

アメリカでは、

共和党は小さな政府(日本の自民党)
民主党は大きな政府(日本の立憲民主党など)

を掲げています。

民主党中道派のバイデン氏は、格差是正を目指し増税を訴えています。

消費税のような一律増税ではなく、年収40万ドル以上の高額所得者を対象に増税する構えです。
(全納税者の1割未満です)

法人税も引き上げる考えを示しており、富裕層や大企業からの税収アップを図り格差是正を見込んでいます。

一方で、法人税を引き上げられた大企業がお金を溜め込んで新規事業の投資や雇用がなくなり、結果的に経済が低迷するのではないかと不安視する声もあがっています。

【日米関係】バイデンと日本

結論から述べますと、バイデン氏の大統領就任で日米関係がどうなるかは「わかりません」。

アメリカ歴代民主党政権は「国際協調」の傾向があります。

日本の視点から考えると、日米同盟を特別視するよりも世界の情勢を見た上で日本との関係を構築していこうとする思想ともいえるでしょう。

戦後75年を迎え世界の情勢が目まぐるしく変化し利権も複雑に絡み合う中で「アメリカの最大の同盟国は日本だ」と断言することは容易ではありません。

トランプ大統領と安倍前首相は良好な関係を築いていたことから、バイデン大統領の誕生は日米関係に悪影響を与え、中国のさらなる脅威をもたらすのではないかとの意見があります。

対して「トランプもバイデンもさほど変わらない」との見方もあります。

アメリカが世界を圧倒的に引っ張る存在でなくなっている今、政治思想が異なる、ましてや人権問題で糾弾されている中国をバイデン氏も無条件で受け入れる可能性は極めて低いとされています。

「なってみなければわからない」というのが結論です。

「バイデン大統領」誕生なるか

目下、アメリカ大統領選挙が行われています。

テレビ討論や候補者、支持者のSNSも連日盛り上がりを見せています。

「国家元首」を直接投票で決めるアメリカ大統領選挙(厳密には違いますが)は2年前から政党の代表者を決める程大規模なもので、アメリカ国民にとってはお祭りのようなものです。

大統領の権限が非常に強いアメリカは、トップが変わると様々なことが変わります。

アメリカ国民の決断が世界中に影響を与えることは間違えありません。

トランプ大統領続投かバイデン新大統領の誕生か、世界中が注目しています。

https://atomic-temporary-151149301.wpcomstaging.com/2020/10/22/trump/

【トランプ大統領】大統領選間近!政治経験がない大統領

キーワード解説:ドナルド・トランプ大統領

経歴

生年月日:1946年6月14日

出身校:ペンシルベニア大学ウォートン・スクール

政党:共和党

前職:会社経営者

生い立ち~大統領になるまで

トランプ氏は1946年にニューヨークで生まれ、不動産開発で成功を収めた父の後を継ぎ経営者として名を馳せました。

ニューヨークのトランプタワーを筆頭に世界中で自らの名を冠した建物を運営して成功を収める一方、カジノリゾート事業に失敗するなど挫折も経験しています。

また、自らが司会者を務めるアプレンティスという番組で人気を博しました。

トランプ氏は2016年の大統領選挙で共和党の予備選に出馬します。

当初は政治経験が全くないトランプ氏は不利と見られていましたが、既存の政治に失望した白人労働者層などの支持を集め、共和党の大統領候補に指名されました。

本選においてもかつての大統領夫人であり、国務長官も務めたヒラリー・クリントン氏を僅差で下し、第45代アメリカ合衆国大統領に選出されました。

トランプ大統領の政策

移民問題

トランプ大統領は就任前から「メキシコとの国境に壁を作る」と発言し、移民に対して厳格な姿勢を見せました。

就任後すぐにイスラム教徒が多い国7カ国の出身者に対してアメリカへの入国を一時禁止しました。

また、中南米の国々からアメリカへの亡命を目指す「移民キャラバン」に対しても国境警備に軍隊を派遣するなど、強硬に対応しています。

経済政策

トランプ大統領の経済政策は減税と規制緩和を軸としています。

個人法人税の減税や金融、エネルギー関連の規制緩和などを行ったことにより、株価や失業率といった各種経済指標は好調を表しています。

今秋の大統領選挙の相手バイデン氏は富裕層への増税などを訴えており、選挙での重要なテーマとして注目です。

コロナ対策

トランプ大統領の新型コロナウイルスへの対応は経済再開を重視し、対策に積極的ではありません。

アメリカでは累計700万人以上の感染者が発生し、大統領自らも感染しました。

しかし、トランプ大統領はコロナ対策をめぐる与野党協議を大統領選が終わるまで停止させるなど、対策に本腰を入れているとは言えないようです。

外交

トランプ大統領はビジネスマン出身ということもあり、外交においても今までの歴代政権とは一味違う外交を展開しています。

日本に対しても就任前から「日本が在日米軍の費用負担を増やさなければ米軍を撤退させる」と発言するなど、強硬な姿勢が目立ちました。

しかし、安倍前総理と友好的な関係を築き、大統領就任後の日米関係は極めて良好です。

国際社会における最大のライバルである中国との関係においては貿易赤字を問題視して中国からの輸入品の関税を引き上げるなど、現在も白熱している貿易摩擦を生み出しました。
「米中貿易戦争」とやばれていたこの両国の批判の応酬は、連日報道されていました

その他にも北朝鮮の金正恩委員長と三度の直接会談を行うなど、良くも悪くも歴代政権が行動に移せなかったことを実行しています。

トランプ大統領のTwitter

トランプ大統領はツイッターを積極的に活用しています。

ツイートがニュースで引用される、問題になることもあります。トランプ大統領のTwitterは、世界に8,700万人のフォロワーがいることでも有名です。(2020年10月現在)

最近、話題になったツイートをいくつか紹介します。
https://twitter.com/realDonaldTrump/status/1266231100172615680?s=06
白人警官に黒人男性が殺された事件への抗議暴動に対して軍の派遣と銃撃を示唆するこのツイートは、暴力を賛美するとしてTwitter社により自動表示が停止されました。

https://twitter.com/realDonaldTrump/status/1266231100172615680?s=20
コロナウイルスに感染し入院していたトランプ大統領は退院後「コロナを恐れるな」とツイートしました。

この他にもコロナウイルスを軽く見ているとも取れるツイートが多く、物議を醸しています。

良くも悪くも話題になるトランプ大統領のTwitter。フォローしてみるとおもしろいかもしれません。

最後に

今年の大統領選挙においてニュースでは劣勢といわれるトランプ大統領ですが、一方で熱烈な支持者も多いようです。

いよいよ来月に迫ったアメリカの選択から目が離せません。

https://timetankcom.wordpress.com/2020/06/19/shinzo-abe/

【アメリカ合衆国大統領】リンカーンの目指した民主主義とは

温故知新 U25歴史講座:「エイブラハム・リンカーン」

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出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

名前
エイブラハム=リンカーン

生きた年代(死没した年齢)
1809~1865

性別

出生地
アメリカ合衆国 ケンタッキー州

死没地
ワシントンDC

地位、称号、階級
アメリカ合衆国第16代大統領

親族
メアリー=トッド=リンカーン (配偶者)
ロバート=トッド=リンカーン (息子)

同時代に活躍した人物
勝海舟(武士、政治家)
土方歳三(新撰組)
徳川慶喜(江戸幕府第15第征夷大将軍)
明治天皇
ルイ=ナポレオン(ナポレオン=ボナパルトの甥)
ペリー(アメリカ海軍軍人)

パラメーターで分析「エイブラハム・リンカーン」

政治力4

 リンカーンの政治家としての政策の中で最も有名なのは、奴隷制度に対する者である。州議会議員時代、彼は奴隷制度に反対しながらも、奴隷制度即時廃止論にも反対していた。州によって相違があることを認めていたのである。その後、カンザス=ネブラスカ法の成立によって奴隷制度反対派のリーダーとなるわけであるが、その際には共和党の意見をまとめあげ、死後、合衆国の修正憲法に「奴隷制の廃止」という文言を挿入させることに成功している。

人望5

 建国以来、国王制を採用していないアメリカ合衆国にとって大統領とは、いわば国家元首である。リンカーンは親族が政治家であったわけではなく、彼自身も若い頃は様々な仕事を転々としながら独学で弁護士資格を取得し、さらに政治家として大統領まで登りつめた。彼の人望に満点をつけることに異論はないだろう。

指導力5

 アメリカ合衆国大統領は、軍部の最高責任者もかねている。その最高責任者として南北戦争に勝利した。この戦争の勝利は、奴隷制度の廃止という道徳的、倫理的な観点から評価されているのはもちろんであるが、今日世界に大きな影響を与えているアメリカ合衆国の存続を守ったという点でも評価されている。

知力4

 大統領選挙の共和党推薦候補に選ばれる際、対立候補の主張の矛盾を巧みに突いて見事勝利した。リンカーンの頭の回転の速さを象徴する瞬間であった。また、大統領になる前に彼は独学で法律の勉強をし、イリノイ州で弁護士資格を取得した。

演説5

 リンカーンと聞いて真っ先に「of the people, by the people, for the people」というワードを思い浮かべる人もいるだろう。これはゲティスバーグ演説の一部であるが、彼の言葉は自軍を鼓舞し、人々のモチベーションになっただけでなく、敵軍内部の不満をもつ人々までをも魅了した。エイブラハム=リンカーンの言葉は、それほど大きな力を持っていたのである。

政界へ進出するまで 

 1809年2月12日、トーマスとナンシーのリンカーン夫妻の間に男の子が誕生した。彼は、エイブラハムと名付けられた。後にアメリカ合衆国大統領となったエイブラハム=リンカーンである。ケンタッキーの田舎で生まれ、家族とともにインディアナへ、そしてイリノイへ移り住んだ。

 大人になった彼は独り立ちし、店員や粉屋の作業員、郵便局長を勤めながらもホイッグ党員としての政治活動を行った。1832年のイリノイ州議会選挙には敗れたが、2年後の1834年の選挙で当選し連続4期議員を勤めた。同時に彼は独学で法律の勉強をはじめ、1836年にイリノイ州で弁護士資格を取得した。翌年スプリングフィールドで弁護士事務所を開業し、弁護士としても活躍をした。一方、1830年代はアメリカ南北の溝が次第に深まっていった時期であったが、当時、奴隷制についてリンカーンは公的な発言はしていなかった。

北部自由州vs南部奴隷州

 アメリカがイギリスから独立して以降、工業で発達した北部自由州に対して、南部自由州は奴隷を酷使して大農園を展開していた。徐々に深まっていく両者の溝は、1850年代には妥協点のないところまでに達していた。その発端は、1840年代に獲得した西方の新しい領土に対して、奴隷制の拡大を認めるか阻止するかを巡る論争であった。

 1820年のミズーリ協定によって、ミズーリ準州(1803年にフランスから購入したルイジアナの一部)を奴隷州として州に昇格させる代わりに、以後北緯36度30分以北のルイジアナ地域については奴隷州を作らないと定められていた。1840年代末の時点では、自由州15:奴隷州15と均衡を保っていたのだが、カリフォルニアが自由州としての連邦への加盟を望んだためにバランスが崩れた。

 リンカーンは南部の奴隷制については容認していたが、その動きが北部の自由州にまで及ぶことには反対していた。南部諸州の奴隷制を認めたのは、奴隷即時廃止を訴えれば混乱を招くと考えていたからである。

 1854年に成立したカンザス=ネブラスカ法により、南北の対立はさらに激化することとなった。この法律は、ミズーリ協定を否定し、新たに連邦に加わる州が自ら自由州か奴隷州か選択できるとする者である。ほぼ同時期に、最高裁判所がミズーリ協定を違憲とし、自由州でも奴隷の所有を認めたドレッド=スコット判決を下した。これらは、黒人奴隷制拡大を支持する南部の大農園主を支持基盤とする民主党のブギャナン大統領任期(1861年〜1865年)の下で下された者である。

 一方、奴隷制度に反対していた自由州の政治家たちは、この動きに対抗するために共和党を結成した。当初奴隷即時廃止論にはあまり肯定的でなかったリンカーンも共和党に加わった。彼は、カンザス=ネブラスカ法の成立で目が覚めたと語っている。以後、彼は西部諸州での奴隷制禁止を訴えるスピーチを6年間で175回行った。

 1859年、奴隷解放は武力によってしか達成できないと確信した奴隷制即時廃止論者(アボリジョニスト)のジョン=ブラウンが、20名ほどの仲間とともにヴァージニア州(奴隷州)の、連邦が管理する武器庫を襲撃し一時占拠した。この蜂起はすぐに鎮圧されたが、北部では彼を讃える声も上がり、南部は奴隷反乱を恐れていたためにますます態度を硬化させていった。

 このような緊迫した状況下で、1860年、アメリカ合衆国大統領選挙が行われたのである。

大統領誕生と南北分離

 1860年にアメリカ合衆国大統領選挙が行われた。民主党は完全に分裂し、北部派はスティーブン=ダグラスを、南部派はジョン=ブレッキンリッジ(当時の副大統領)を指名した。保守的なホイッグ党や州境の穏健派などを集めて結成された憲法統一党は、テネシーを基盤にもつジョン=ベルを候補者に指名、共和党の候補者にはエイブラハム=リンカーンが選ばれた。選挙では、民主党の候補者は票を2分し、ベルは自由州、奴隷州の境界3州で勝利を収めた。当選したリンカーンは、南部9州では全敗であったが、北部では全ての州で勝利した。これこそが、当時の南北の対立を象徴していると言えよう。

 リンカーン当選の場合には連邦を離脱すると公言していた南部諸州は、次々と合衆国を離脱していった。サウスカロライナ、ミシシッピ、フロリダ、アラバマ、ジョージア、ルイジアナ、テキサスが合衆国を離脱し、アメリカ連合国を結成した。大統領にはジェファソン=デヴィスが選出された。南北戦争勃発後にはアメリカ連合国の構成州は11にのぼっていた。(ヴァージニア、アーカンソー、テネシー、ノースカロライナが加盟)

 リンカーンの当選から就任式までの4ヶ月、ブギャナン政権は分離への動きを阻止することはできなかった。南部諸州の離脱を避難したものの、当時彼の信用はほとんどなく、その発言も効力がないに等しかったのだ。

アメリカ史上唯一の内戦

 1861年、南部諸州がほとんどアメリカ連合国に加盟する中、サウスカロライナ州(アメリカ連合国加盟州)のサムター要塞の司令官ロバート=アンダーソンはアメリカ合衆国に忠誠を誓うと宣言した。敵地にありながら忠誠を誓ったサムター要塞の部隊に対して、リンカーンは、サウスカロライナ州知事に食料と水を補給する旨を告知した。州知事はそれを南軍(アメリカ連合国)の指揮官に報告した。南軍の判断は「サムター要塞の即時引き渡しに北軍が応じなければ、制圧せよ」というものであった。北軍は引き渡しを拒み、南北戦争が開戦した。

 戦争初期、両軍ともに戦争の準備は全く万全ではなかった。特に、南軍は新しく作った国の政府機能を1から創設しなければならなかったた、すでに政府機能が確立していた北軍の方が優位であった。また、北部は中央集権体制をとっていたのに対し、南部はそれぞれの州権が強く、加盟州の意見をまとめるのにジェファソン=デヴィス大統領は苦戦していた。加えて、北部の方が人口が多く、鉄道も発達していたために物資の補給も比較的容易であった。一方で優秀な軍の幹部が多く合衆国を離脱し南軍に加わったことは、南軍のアドバンテージであった。

 1861年5月、南部同盟政府は、首都をアラバマ州モンゴメリーからヴァージニア州リッチモンドに移した。鉄道路線の交通度が高かったことや、北部よりの地域の防衛に力を入れることで、連合国全体にヴァージニアの重要性を訴えることが目的であったと考えられる。南北戦争の主戦場は北部の首都ワシントンから、南部の首都リッチモンドを隔てるおよそ100マイル(160km)であった。

 南北戦争の大半は、両軍が向き合っての待機合戦であったとされている。そんな中、最初の主要な戦闘が起きたのは1861年7月のことである。北軍37,000人が、南軍35,000に攻め込んだ。南軍が押し返し、北軍は退却を余儀なくされたのだが、戦闘慣れしていない兵士の中にはパニックに陥り南軍へ突っ込んでいく者もいた。彼らは、この戦争が早期決着に終わると考えており、ワシントンから戦争の光景を眺めようと気楽な気持ちで参加していた。

リンカーンの目指す民主主義を守ったアメリカ合衆国

 次の大きな戦いとなった半島開戦では、北軍が南軍の首都リッチモンドまで後一歩のところまで肉薄した。マクレラン率いる北軍が南部への上陸作戦を実施した。軍編成において素晴らしい裁量を発揮したマクレランであったが、自軍が優勢であったのにも関わらず小勢であると思い込み、軍を極めて慎重に進軍させた。その様子に苛立ったリンカーンは、マクレランに攻撃を要請したが、彼はそれでも牛歩的な戦術を曲げなかった。

 一方、デヴィス大統領にヴァージニアでの南軍野戦指揮官に任命されたロバート=E=リーは、マクレランが敵勢力を過剰評価しがちなことを認識しており、南軍が先に攻撃を仕掛けた。北軍の将軍の中には、リー率いる南軍にはわずかな手数しか残っていないと言う者もいたが、マクレランはリスクを恐れて退却を命じた。リッチモンドまであと6マイルのところまで迫っていた。また、この戦いは「7日間戦闘」とも呼ばれた。

 南北戦争での最大の戦いと言われているのが、ゲティスバーグの戦いである。南軍は、北部地域を戦場に巻き込み、講和に持ち込むことを狙っていた。南北戦争のクライマックスとなったこの戦いは、1863年7月1日からの3日間で決着がついた。南軍のある部隊が、軽武装の民兵だと勘違いして北軍の部隊に攻め行ったことで始まった。民兵だと勘違いした部隊は、たまたま下馬していただけで実はライフルで武装した北軍の騎兵隊だったのだ。この出会い頭の偶然の戦闘が、一瞬にして多くの部隊を巻き込む決戦となり、南軍のリー将軍自身も主要な戦闘に引きずり込まれたのであった。3日間、南軍は大きな犠牲を出しながらも北軍を崩すことはできず、本拠地の南へと後退して行った。

 この戦いで勝利した北軍の士気は著しく高まり、一方で南軍の士気は間違いなく低下して行った。北部はゲティスバーグの戦い以降、経済が上向きとなり、鉄砲、弾薬、軍服などの軍需品も大量に生産していった。

 1864年、グラントがリンカーンに任命され北軍の指揮官に就くと、会戦で負けていても完全撤退せずに敵地に残ってそのまま粘り続けるというこれまでの将軍とは異なる戦法をとった。アメリカ西部での戦いについては、グラント将軍から引き継いだウィリアム=シャーマンがその有能ぶりを発揮し、アトランタ方面作戦で次々と南軍を破っていった。

 軍の士気も下がり、連戦で大きなダメージを負った南軍は再び盛り返すことなく1865年4月3日、ついにリッチモンドが陥落した。9日にはリー将軍が降伏して戦争は事実上終結し、5月26日、最後の南軍の部隊が降伏して南北戦争は終わりを告げた。

アメリカ合衆国の再統合

 戦後、勝利した北軍の、南軍に対する報復行動はほとんどなかった。南部同盟の指導者らは、一人として銃殺刑や国外追放になることがなかっただけでなく、その多くが戦前の経歴を回復した。アメリカ連合国の大統領であったジェファソン=デヴィスは、収監こそされたものの2年後の1867年の5月には釈放された。資産が没収されることもなかった。

 このような寛容な条件での講和がすすんだのは、リンカーン大統領がそれを望んだからである。南部同盟に加わった者たちについても、アメリカ合衆国への忠誠を誓えば恩赦を認めた。

 激しい内戦後、様々な混乱がありながらも驚異的な立ち直りをみせ、アメリカ合衆国はすぐに始まる帝国主義時代とやがて始まる二つの大きな戦争を経て、世界のリーダーとしての階段を上ってゆくこととなる。

奴隷解放宣言

 アメリカ南部にはおよそ400万人の黒人奴隷が住んでいた。彼らにとって、南北戦争は、「自由」を手にするための戦いになるはずであった。北部に住む黒人はすぐに募兵となったが、南軍は当初、黒人を入隊させなかった。

 1863年1月1日、リンカーンは奴隷解放宣言を発布した。合衆国に反乱する地域の奴隷は即時無償解放されることや、黒人奴隷が逃げ出して北軍に加わった場合、すぐに自由を与えるという内容であった。南部諸州の合衆国離脱の阻止が当初の戦争の目的だったが、この宣言以降、奴隷解放が戦争の目的であると見なされるようになった。

 南部の奴隷たちは、主人の命令に背いたり、仕事の妨害をしたり、脱走したりと、南部の経済を混乱させ、北軍の勝利に貢献した。

 1865年12月に批准、成立した憲法修正第13条により、奴隷制度の廃止が定められた。イギリス人によるアメリカ入植以来続いた奴隷制度は全土で禁止されることとなった。

初めて暗殺された大統領 

 1865年4月14日の夕方、リンカーン大統領夫妻は劇場で観劇していた。22時過ぎ、27歳の俳優ジョン=ウィルクス=ブースは、数人の護衛しかついていなかったボックス席のリンカーンを狙撃した。護衛が持ち場を離れた瞬間だった。銃撃後、「暴君は常にこうなる。南部の仇は撃ったぞ。」と叫んだという。

 瀕死のリンカーンは、向かいの下宿屋に運び込まれた。彼の意識は戻ることのないまま、憲法修正第13条の成立を見届けることなく、翌朝絶命した。後に判明した事実によると、リンカーン大統領の暗殺は、数名のアメリカ合衆国の指導者皆殺しにする計画の一環であったと言われている。グラント将軍やジョンソン副大統領にも尾行がつけられた。

 アメリカ大統領が任期中に暗殺されるのは史上初めてであった。混乱の中、当時の副大統領であったジョンソンが新大統領に就任し、リンカーンの推し進めてきた政策を引き継ぐこととなった。

 望まぬ形で最期を迎えてしまったエイブラハム=リンカーン。現在、石像となった彼はワシントンDCで私たちを見守っている。