【東京2020】中止になった歴代オリンピックを振り返る

東京オリンピックは延期され2021年7月23日に開催予定です。
今まで中止となったオリンピックは全部で5回ありました。

新型コロナウイルスの影響で東京オリンピックの開催が2021年7月23日に延期となっています。

近代オリンピックは、1896年にアテネで第1回大会が開催されています。

それから120年以上の歴史上「延期」となったのは今回が初めての出来事です。

コロナワクチンの開発が期待される中、世界中で第2派、第3波が押し寄せ収束の見通しが立っていません。

「中止」の可能性も懸念されています。

そこで、今回は中止になった近代オリンピックをまとめました。

中止になった過去5回のオリンピックは、いずれも戦争が原因です。

1916年 ベルリン大会(第6回夏季)

ベルリン大会は、1914年から始まった第一次世界対戦真っ只中であったため中止となりました。

ヨーロッパが戦場となっており開催不可能な状態でした。

これが中止となった初めての大会です。

ベルリンオリンピックは1936年にナチス政権下で開催されました。

「政治に利用されたオリンピック」と言われています。

1940年 札幌大会(第5回冬季)

アジア初の冬季オリンピックとして注目されていた札幌大会は、残念ながら幻となりました。

日本が開催を辞退した理由は日中戦争です。

戦争相手の中国選手の入国、出場を巡って国内外で議論がなされていました。

戦争資金の調達など財政面での事情も重なって1938年に開催権を返上しました。

代替地の候補としてスイスなどが候補地に挙げられていましたが、1939年に第二次世界大戦が勃発したことで中止となっています。

1940年 東京大会(第12回夏季)

札幌大会と同年に開催予定だった東京大会も、アジア初の夏季オリンピックとなるはずでした。

こちらも同様の理由で札幌大会の辞退とともに開催を返上しました。

また、代替地に選出されたヘルシンキ(フィンランド)もソ連との戦争が始まり、中止されました。

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1944年 コルティナ・ダンペッツォ大会(第5回冬季)

コルティナ・ダンペッツォはイタリアの都市です。

イタリア北部の高級リゾート地として知られています。

1944年は第二次世界大戦の末期であり、その影響で中止となりました。

コルティナ・ダンペッツォは12年後の1956年に冬季オリンピックが開かれました。

さらに、2026年の冬季オリンピックはミラノとの共催で行われることが決まっています。

五輪=2026年冬季大会、ミラノ・コルティナダンペッツォ共催(REUTERS)

1944年 ロンドン大会(第13回夏季)

コルティナ・ベンタッツ大会同様、第二次世界大戦の長期化の煽りを受け、開催されていません。

ロンドン大会は1948年に開催されました。

第二次世界大戦の戦争責任を問われ、日本、ドイツは参加が認められなかった大会です。

【番外編】住民投票で急遽反対されたデンバー大会

戦争以外の理由で急遽代替地での開催となった例があります。

1976年のデンバー冬季大会です。

コロラド州デンバーでの開催が決まっていたのですが、費用の負担や競技施設を整備することによる環境破壊を懸念した住民が反対したのです。

結局、コロラド州の住民投票で反対派が上回りデンバーは開催権を返上、代替地インスブルック(オーストリア)での開催となりました。

東京五輪中止なら日本で3回目、稀ではなかった「呪われた大会」(WEDGE Infinity)

2020年 東京オリンピックはどうなる??

2020年11月にIOC(国際オリンピック委員会)のバッハ会長が来日し、東京オリンピック開催への意欲を示しました。

一方で、人類の新型コロナウイルスとの戦いが長期化するとの見込みが濃厚で、2021年に延期された東京オリンピックの開催に黄色信号が点灯しています。

中止となればこれで6回目、そのうちの3回は日本ということになります。(オリンピックと縁が深い国ですね)

開催か中止か、結論は必ず出ます。決断の日はそう遠くないでしょう。

オリンピック、初めて延期 中止は5回、実は東京大会も(朝日新聞 DIGITAL)
オリンピックが中止になったことってあるの?(ハルメク Web)
これまで5回あった「幻のオリンピック」を振り返る(政治ドットコム)

【部活動廃止論】現役大学生が考える弊害と代替案

部活動廃止論 現役大学生が考える部活動の弊害と部活動の代替案

今回は、部活動廃止論者の僕が、なぜ部活動を廃止すべきと主張するのか、部活動に変わる文化・スポーツ教育の枠組みをどうすべきと考えているのかをまとめていきたい。

部活動廃止すべき理由①教員の質の低下

まず、部活動が存在することにより教員の質が低下していると考える。

なぜなら、授業やクラスの運営に対してはあまりやる気はないが、部活動をやりたいから教員を続けているという教員が一定数いてもおかしくないと思うからだ。
しかし、そのような教員の個人のやる気のなさだけに責任を押し付けるのではなく、子供たちにスポーツを教えたい、文化を継承していきたいといった人たちを受け入れる体制ができていないことが大きく影響しているといえる。

僕は、部活動を廃止して、後ほど述べる新たな文化・スポーツ教育の枠組みを作ることにより、そういったスポーツ・文化を通して子供たちとかかわりたいという人たちが活躍できる場を提供することが大切だと考える。

部活動廃止すべき理由②授業への影響

部活動は授業に悪影響をもたらしているといえる。

部活動での負担により、授業中に寝てしまうなど、学業に支障が出てしまう事もあり得るだろう。(しかし、これは部活動以外の活動(塾や習い事など)によっても起こりうることであり、部活動だけを責めることはできない)
それよりもむしろ部活動によりできた生徒と教員の人間関係が授業や成績評価に悪影響を及ぼしている可能性について私は指摘したい。

例えば、授業中に自分が顧問をしている部活に所属している子ばかりに発言をさせることであったり、無意識のうちに進路にもかかわる成績評価を自分の部活の子に優遇してしまったりといったことが起こってもおかしくないだろう。

部活動廃止すべき理由③教員への負担

部活動は、残業に含まれない(に等しい)と言われており、教員にとって非常に重い負担となっている。さらに、その負担に応じた報酬が払われていないというのが現状もある。

「教員は部活動のスケジュールを組むことができ、負担が少なくなるように調節できるだろう」という意見もあるが、彼らも保護者や生徒の意向などに配慮しなければならず、自由に活動を減らしたりするというのが難しい。

部活の伝統や風習など、いきなり方向性を変えるというのは、生徒や保護者、OB、OGらの反発がある可能性もあり、権限があるとはいえ教師の一存ではどうしようもないのだ。

「活動量が多い部活動の顧問に配属された教員は多くの負担を強いられる」という伝統は、なかなか変わらないと思う。

部活動廃止すべき理由④生徒の選択肢を狭める

部活動が学校の枠で区切られてしまっているため、例えば、本当は野球がしたいのにうちの学校は野球部の顧問が厳しいからやめておこうとして、その子の野球をする選択を取れなくしてしまう、野球部が強い学校に行きたいから偏差値があまりよくない学校に行く選択をしてしまうなどといったことが考えうる。

部活動と学校が同じ枠組で区切られているがゆえに、生徒が選択肢を狭められてしまっていると思う。

部活動廃止すべき理由⑤合わなかった集団から抜け出せない

もしクラスが合わなかったとしても、一年たてばクラス替えがあり、集団が変わり、毎年やり直せるチャンスがある。しかし、部活動は二年半同じ集団に所属し続けなければいけない。

いやなら部活をやめればいいという人もいるのかもしれないが、部活動のコミュニティがクラスの中でも強かったり、学校から部活動に所属することが強制されていたりということがあり、なかなかやめられないというのが現実である。

部活動廃止すべき理由⑥学校内のコミュニティに縛られてしまう

高校時代に、部活動が学校内・クラス内でも大きな影響力を持っているとを感じることが多々あった。

仮に、部活動が存在しなかったら、多くの人が学校外でのコミュニティを作ろうとして、人間関係の軸を複数のところに置くことが出き、いじめ問題なども起こりにくくなるのではないかと思う。

学校のコミュニティを超えた文化・スポーツ教育の新たな枠組みの構築

僕は、部活動を廃止さえすればいいとは思っていない。

自分自身も中学時代は野球部に所属していた。白球を追いかけた日々が仲間の大切さでや努力の尊さを教えてくれたことは否定しようがない。しかし、小学校の頃に所属していたドッジボールのクラブチームや、保育園のころからずっと所属している空手道の会から学ぶことは、同じくらいたくさんあったと思う。

文化・スポーツを通して学ぶことは多いとは思うが、なぜ学校の枠組みに縛られなければならないのだろうか。僕は、学校のコミュニティを超えて新たな枠組みを作るべきだと思う。
学校単位ではなく、学校間の壁をなくして、自由な枠組みの中でクラブチームや習い事を行うべきではなかろうか。

まずは、部活動の大会として開催されているインターハイ・甲子園が学校単位の部活動だけでなくクラブチームでも参加できるようにするところから始めてはどうか。

新たな枠組みを作ることによるメリット

まず、一人が選べるスポーツクラブの数が一種目ひとつから同じ種目の中でも複数から選べるようになり、体罰などが蔓延しているクラブは人が集まりにくくなり、体罰を減らすことに繋がるかもしれない。
また、学校という狭い空間の中で狭まっていた視野が、学校の壁を越えた枠組みを構築することにより、広い視野を持った人が育つのではないかと思う。
学校とクラブチームがそれぞれ独立することにより、学校を学問や教育方針により選ぶことができるようになり、教員がクラブチームの人間関係により偏った見方を学校現場に持ち込むことを防ぐことができる。

部活動は廃止すべき!

以上のことから、僕は部活動を廃止すべきと思う。かといって、文化・スポーツをないがしろにしてよいというわけではない。新たな枠組みを作り、文化・スポーツ教育の推進と閉塞的な學校現場に流動性をもたらすべきだ。

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