【タリバン】武装勢力と今後のアフガニスタン情勢の展望

タリバンとは?

タリバンはアフガニスタンで活動するスンニ派過激組織です。もともと1994年に結成した組織ですが、指導者らはソ連のアフガニスタン侵攻の反発し、戦争でも戦っていました。ただ、1989年にソ連がアフガニスタンから撤退した後も、アフガニスタン内では様々なグループで権力争いが起こっておりました。次第に影響力を増し、1996年にはアフガニスタンを制圧し、タリバン政権を樹立しました。

しかし、2001年のアメリカ同時多発テロ事件の首謀者であったオサマ・ビンラディンをタリバンが匿っていて、引き渡しに応じなかったとして、今度はアメリカがアフガニスタンを侵攻しました。当初はオサマ・ビンラディンの確保とテロリストの温床となっていたタリバン政権の除去を目的に侵略しました。タリバン政権は同年に崩壊した一方で、中々首謀者らの確保やタリバンが唱えたイデオロギーを取り除くことが出来ず、タリバンによるテロ活動も増え、アメリカは思った以上に長い間アフガニスタンに関連することになってしまいました。

莫大なお金と死者が伴っていた長年の戦争に終止符を打ちたかったアメリカは、2020年にタリバンとの和平合意で2021年までの軍の完全撤退に合意しました。アメリカ軍の撤退をチャンスとみなしたタリバンは、少しずつ地方の州都を制圧し、8月16日には首都のカブールも制圧しました。

各国の反応

予想を上回るスピード(わずか10日)でアフガニスタンを次々に制圧したニュースを受け、アメリカ、イギリス、ドイツなどの国は大使館の閉鎖及び職員や駐在している国民の退去を早めました。また急遽、アフガニスタンに一時的に軍を派遣して、安全な退避を確保した。

タリバンからの報復を恐れ、アメリカ政府やアメリカ主導の有志連合に協力したアフガン通訳や女性人権活動家などを優先的に難民として受け入れる姿勢を複数の国が表明しています。イギリスとカナダは2万人を受け入れることを明らかにし、アメリカやドイツなどの国は今調整中だという。

今後の懸念

1)女性の権利

1996年から2001年までのタリバン政権では、女性の権利はほぼ無い状態であった為、今回のタリバン政権でも同じことが繰り返されるのでは無いかと不安に思っている人は大勢います。タリバンの報道官はイスラム法の中での女性の権利は守られると語る一方で、このイスラム法がどのように解釈されるのかは依然と曖昧ですが、前の民主政権と比べ権利が制限されるのは間違いないと思います。また、最近発表されたタリバンの暫定政権では女性の入閣は見送られ、女性課題省も廃止された事自体がタリバンの政治での女性に対する扱いが鮮明になりました。

2)不安定な情勢

タリバンが国民の了承を得ずにアフガニスタンを一方的に制圧し、民主政権が崩壊したことに対してまず国民はどう反応するのかが大切になると思います。タリバン政権をやむを得ずに受け入れるのか、或いは反発し、内戦が起きるのかなど。またタリバン政権はアフガニスタンに平和を取り戻すことはできるのか?

また、テロ活動を通じて政権を奪還できたからこそ、それに感化され他の組織によるテロ活動がより活発になるのではないかという懸念もあります。これに対して、タリバンは他国の人がアフガニスタンをテロ活動を行う目的で好き勝手に利用させないと約束しました。ただ、タリバンも過激なイスラムのイデオロギーを広める一環としてテロ活動は継続する可能性はあるので、不安定な情勢は続くと予想されます。

3)タリバンと中国の今後の関係

アフガニスタンはヨーロッパと中国を繋ぐ、一帯一路において重要な場所に位置しています。ヨーロッパへのアクセスをより確実にするためにも、アフガニスタンの安定は中国にとっても大切になってきます。国の再建や安定させる一環として、アフリカなどの国で行ってきた、高速や病院などインフラプロジェクトを支援する可能性は十分にあります。また、アフガニスタンには銅やリチウムなどの資源があり、これを採取することもできます。ただ、これまでアメリカなどヨーロッパの国々がアフガニスタン再建に失敗した中、中国は慎重に投資することが予測されます。

また、中国はタリバンの政権奪還に感化され、ウイグル自治区の独立派組織のテロ活動が活発になることを恐れています。なので、安全保証と引き換えにインフラプロジェクトの支援する可能性もあります。国内の安全を保証するためにも、中国にとってタリバンと良好な関係も持つインセンティブがあります。

4)政権の正当化か過激なイスラム法の解釈を優先するのか?

タリバンがアフガニスタンを制圧した今、彼らが政権を握っています。ただ、この20年国際社会の援助に頼り続けていた結果、アフガニスタンは経済的に自立する事ができませんでした。タリバンが政権を奪還した現在は、これまで幾度なく援助をしてきた欧米の国々や国際機関などは断固としてタリバンの過激なイスラム法の統治に反対し、援助を止めています。貧しい国を引き継いだ事によって、必然と他の国からの経済的がサポートが必要となりました。

しかし、過激なイスラム教を唱え、このような解釈を広めるべくテロ活動などを含む過激な活動を続ける組織をあまり支援してくれる国はいません。だからこそ、タリバンがアフガニスタンの正当な政府と国際社会に認められる為に、これまで女性差別やテロなどを含めたの活動をどこまで自粛するのか、或いは支援してもらう為に制限をする必要があるのかが個人的に気になります。

グローバル人材の育成について解説【5分でわかる】

グローバル社会へ

グローバル人材とは

グローバル人材の定義について、文部科学省の資料から引用します。

グローバル化が進展している世界の中で、主体的に物事を考え、多様なバックグラウンドをもつ同僚、取引先、顧客等に自分の考えを分かりやすく伝え、文化的・歴史的なバックグラウンドに由来する価値観や特性の差異を乗り越えて、相手の立場に立って互いを理解し、更にはそうした差異からそれぞれの強みを引き出して活用し、相乗効果を生み出して、新しい価値を生み出すことができる人材。

世界的な競争と共生が進む現代社会において、日本人としてのアイデンティティを持ちながら、広い視野に立って培われる教養と専門性、異なる言語、文化、価値を乗り越えて関係を構築するためのコミュニケーション能力と協調性、新しい価値を創造する能力、次世代までも視野に入れた社会貢献の意識などを持った人間。

https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/047/siryo/__icsFiles/afieldfile/2012/02/14/1316067_01.pdf

簡単に言えば、外国語言語をマスターし、他国と交渉でき、新しい価値を想像できる人材のことです。

国の違いによるミスコミュニケーションが原因でさまざまな課題や不利益が生じてしまうと、ビジネスは難航してしまいます。 

海外事業の展開を成功させるにあたって、優秀なグローバル人材の有無は大きなカギとなります。

グローバル人材の育成について(文部科学省)

日本の英語力は?

グローバル人材の育成について(文部科学省)

TOEFLは、その名称の通り非英語圏の出身者のみを対象としており、英語圏の高等教育機関が入学希望者の外国語としての英語力を判定する際に用いる。

英語圏の大学へ留学・研究を希望する者を主な対象とした英語能力を測定するテストであり、英語による高等教育に適う能力の判定が目的である。(wikiより)

日本の順位は、世界では163ヵ国中135位、アジアでは30ヵ国中27位に位置しています。

先進国でありながら、なかなか英語が話せる人がいないのが現状です。

グローバル人材になるには

グローバル人材育成推進会議では、グローバル人材として必要な要素を具体的に定義しています。

  1. 語学力・コミュニケーション能力 
  2. 主体性・積極性、チャレンジ精神、協調性・柔軟性、責任感・使命感 
  3. 異文化に対する理解と日本人としてのアイデンティティ

グローバル人材育成戦略 (グローバル人材育成推進会議 審議まとめ)

グローバル人材とは資格ではないので、「私はグローバル人材です」と主張するにはそれなりの根拠が必要になります。

また、人や企業によって求めるグローバル人材像は違いがあります。

適材適所で活躍できる場所を探しましょう。

まとめ

これから日本にとって、グローバル人材の育成は国家レベルの課題です。

高校生から育成が始まるようになるので、これからの高校生はグローバルを意識するようになります。

グローバリズムには賛否両論ありますが、言語の獲得はコミュニケーションツールを増やすことに繋がります。積極的に獲得していきたいですね。

【ドイモイ政策】ベトナム発展の起点となった世界史用語を解説

・度重なる戦争の末に成立したのが「ベトナム社会主義共和国」です。

・ドイモイ政策によって低迷した経済を立て直しました。

・1995年にはGDP成長率9.5%を記録しています。

キーワード解説:ドイモイ政策

ベトナムの南北統一とドイモイ

ベトナム南北統一の経緯

ベトナムは19世紀のヨーロッパのアジア進出でフランスの植民地となりました。

伝統文化が否定され、急速にフランス化されていったベトナム。

抵抗勢力は常にフランスの弾圧に遭いました。

1930年代、フランスは東南アジアの植民地を利用して世界恐慌で悪化した自国経済を守ろうとします。

そこへ、植民地を持っていなかった日本が東南アジアへ進出してきました。

第二次世界大戦末期、フランス軍日本軍、ゲリラ兵たちで形成されたベトナム現地の抵抗勢力が争い、ベトナム本土は戦場となりました。

日本の撤退後、ベトナムはホーチミンベトナム民主共和国の独立を宣言します。

フランスがそれを認めずにバオ・ダイを擁立してベトナム国を樹立、1954年のジュネーブ休戦協定が締結するまでインドシナ戦争が勃発しました。

フランスを追い出しベトナム統一かと思われましたが、1955年、それまでベトナム国があった南側の土地に今度はアメリカがベトナム共和国を成立させます。

そこから長らく緊張状態が続き、1964年の軍事衝突をきっかけに起こったのがベトナム戦争です。

ソ連や中国が支援する北ベトナムとアメリカの後ろ盾を持った南ベトナムの代理戦争のような構図でした。

アメリカの高い技術力の支援で南ベトナムの圧勝とみられていましたが、南ベトナム内のゲリラ兵に苦戦、ジョンソン米大統領が北ベトナムへ空爆を行った「北爆」が開始されました。

北爆は、アメリカが撒いた枯葉剤の影響で体の一部が繋がった双子が誕生したことが大きな問題となったことでも有名です。

1973年、財政赤字の影響やや非人道的な枯葉剤の使用が世界中から批判されたことを受け、アメリカは南ベトナムからの撤退を決定しました。

アメリカが撤退したことで一気に北ベトナムが優勢となります。

サイゴンの陥落によってついに北ベトナムが「ベトナム社会主義共和国」を成立させ、南ベトナムを飲み込む形で南北統一を果たしました。

ドイモイ政策とは 

「ドイモイ」 はベトナム語で「ドイ(Doi)は変化」「モイ(Moi)は新しい」を意味します。

日本語では「刷新」と言い、大きく変化を遂げることが目的です。

社会主義国として南北統一を果たして10年、ベトナムは思うような経済成長がみられませんでした。

長らく戦場となっていたことで周辺国に比べインフラもボロボロの状態でした。

そんな状況の中、1986年、グエン・バン・リンが社会主義を捨て一部資本主義を取り入れることで経済成長を促すために打ち出した諸政策が「ドイモイ政策」です。

ドイモイ政策の中身

ドイモイ政策では主に4つの政策に重点を置きました。

具体的にみていきましょう。

1,社会主義路線の見直し

まず、社会主義路線を捨てたことがベトナム経済の発展に貢献しました。

「国民の給料を平等にしよう」という社会主義経済のシステムが経済発展を妨げていました。

どんなに働いても給料が一緒であれば、当然楽をする道を選択します。

国民のやる気がなくなることで経済が上手く回らない現状を打破するための政策でした。

社会主義路線を捨てることで、次で挙げる市場経済の導入へとシフトしていったのです。

2,資本主義経済の導入

社会主義を一部廃し、資本主義経済を導入します。

頑張れば頑張るだけお金が入ってくるシステムによって財産を形成するようになりました。

お金をもらって豊かになろうとする意欲を掻き立てることは(私たちにとっては当たり前かもしれませんが)

当時のベトナムにとっては新しいものでした。

国が関与せず私企業への裁量権を拡大し、私有財産を認めていきます。

「国のモノ」から「自分のモノ」とする意識改革を進めていったのです。

海外資本の投資も受け入れることで、大きな対外開放政策をとるようになりました。

3,国際社会への協調

20世紀末期にはグローバル化が急激に加速していきました。

安全保障の面でも、経済的な面でも、他国との協力なくしてはやっていけない時代になったのです。

そこで、当時社会主義国で周辺国とのパイプをあまり作っていなかったベトナムは方針転換を決意し、近隣諸国との関係を築いていきました。

1995年、ASEANへの加盟を果たします。

ASEANは東南アジア版EUのようなものです。

人、物、金が大きな市場に出回ることで経済成長が見込まれ、アメリカ、中国、日本などの大国との競争にも太刀打ち出来ます。

4,農業をはじめとする産業への投資

国民の暮らしに直結する分野、特に農業への投資を積極的に行いました。

その結果、農業面でも輸出大国への成長を遂げました。

ドイモイ政策によって農民は自分の土地を持つことができるようになり、売買する相手を選べるようになったことで競争原理が生まれたことが要因です。

これまでは米の輸入国だったベトナムでしたが、1989年に世界3位の米の輸出国となりました。

コショウコーヒーが主な農産物として挙げられます。

2018年現在、コーヒー豆の生産量はブラジルについで世界第2位です。

また、同年のランキングでベトナムは米の生産量も世界第5位です。

ドイモイ政策の効果

ドイモイ政策によって国民は豊かになり、大幅な経済成長を果たしました。

1995年にはGDP成長率9.5%を記録しています。

諸外国との関係も構築したことで、ベトナムと海外の文化の交流も盛んになりました。

「ベトナム」という国を海外に知ってもらうことで観光客も増え、経済発展に貢献しています。

ハノイダナンは日本人もよく訪れる観光地となっています。

一方で、ドイモイ政策によって格差が拡大しました。

この問題は資本主義を導入している全ての国家に当てはまる問題ですが、やはりベトナムも格差社会が進みました。

発展途上国が急激に格差社会となると、困窮した人々は最低限の生活も維持できない状態に陥ります。

インフラや学校教育が充分に整っていない環境のベトナムでは、地方で生まれた子供は資本主義社会で成功することが非常に難しい不公平な社会となっているのが現状です。

ベトナムにおけるドイモイ政策と経済開発の課題-日本大学大学院総合社会情報研究科紀要 No.19, 109-119 (2018)

最後に

ASEANの主要国であるベトナムは、今後も着実に経済成長を続けていくでしょう

旅行でベトナムを訪れたことがある人も少なくないのではないでしょうか。

今でこそ私たちにとって身近な国ですが40年前までは度重なる戦争でボロボロの状態でした。

そのくらい歴史の傷跡はいまだに残っています。

今回は、ドイモイ政策の歴史的経緯、内容、その効果を解説しました。

ドイモイ政策は、激動の20世紀を耐え抜いたベトナムの大きな転換期となったのです。