【大阪都構想に迫る】第2回 そもそも「都」とは何か(By るた)

【大阪都構想に迫る】 第2回 そもそも「都」とは何か

賛成派、反対派の見解の相違

いわゆる「大阪都構想」の住民投票の結果がまもなく出る。

この連載は、少し政局的な話とは距離を置いて、根本的な2つの論点について検証する企画だ。
前回は、「区」とは何か、を検証した。

今回はもう一つの論点、「都」とは何か、について考えていきたい。

この住民投票の正式名称は大阪市廃止・特別区設置住民投票というが、主に賛成派は「大阪都構想」というフレーズを多用し、反対派は「大阪市廃止~」という住民投票の名称を強調することが多い。

すなわち、賛成派にとってこの住民投票はいわゆる「大阪都」を実現するための手段だといい、反対派は「大阪都」などできず、「大阪市廃止」こそ住民投票の焦点であるという。

ここにそもそも、見解の相違がみられる。

この住民投票で「賛成」が過半数となれば、「大阪『都』」が成立するのか、という点である。

賛成派は、道府県が大都市地域に特別区を設置する際の諸手続きについて定めた法律である大都市地域特別区設置法の第10条に、「特別区を包括する道府県は、地方自治法その他の法令の規定の適用については、(中略)都とみなす」とあることを根拠に、大阪府は「都」になる、と主張する。

反対派は、都道府県の名称の変更について定めた地方自治法第3条第2項に「都道府県の名称を変更しようとするときは、法律でこれを定める」と規定されており、大阪府が名称を変更する法律は成立していないことから、大阪府は「都」にはならない、と主張する。

この見解はいずれも正しい。
というのも、ここで賛成派と反対派が指す「大阪『都』」が、そもそも別物だからだ。

賛成派がいう大阪「都」とは、法令の適用上の意味において「都」となることを指しており、反対派がいう大阪「都」にはならないとは、呼称上の意味において「都」とならないことを指している。

さて、「区」に続いて厄介な話である。

そもそも法令上の「都」とは何か、呼称上の「都」とは何か。

このあたりを改めて紐解いていく必要がある。そのために、都区制度の元祖である東京の都制成立の歴史にフォーカスして、今回の住民投票における「都」をめぐる論点について考えていきたい。

法令上の「都」

「都」の定義は?

さて、元も子もないことを言うようだが、地方自治法において「都」の定義は存在しない

ただし現在のところ東京都にしか存在しない特別区についての規定を参照すると、「都の区は、これを特別区という」(同法第281条)とある。

このことから逆説的に、特別区の存在する道府県が法令上は「都」である、と解釈することができる。
しかしあまり満足のいく説明ではない。

そこで、東京に都制が成立するまでの経緯を確認し、それが道府県といかなる相違をもった制度として検討されてきたのかを見ていくことにしたい。

東京の行政史

前稿で触れた通り、東京府と東京市が合併する形で東京都が誕生したのは、太平洋戦争が激化し、その戦局が切迫する1943年のことである。

このとき東京都制の目的は以下の通りである。

・帝都たる東京に真の国家的性格に適応する体制を整備確立すること
・帝都に於ける従来の府市併存の弊を解消し、帝都一般行政の、一元的にして強力な遂行を期すること
・「帝都行政の根本的刷新と高度の効率化を図ること

しかし、その実質的な理由は戦争遂行の効率化であった。

さて、そんな戦時法制の一環たる東京都制は、このとき突然提案されたものではない。

東京に特別な制度をしこうという問題は、明治いらい実に約50年にわたって検討されてきたことで、政府の行政能率化の要請に対し、東京市の側が民主的自治を要求する構図の中で、長きにわたって紛糾し続けた。

双方の主張は時代によって微妙に変化があるが、要旨はこうだ。

すなわち、東京市は東京府の管轄外とし、公選の市長を置くという「東京市制案」を、政府の側は東京市ないし東京府の区域をもって東京都を設置し、官選の都長を置くという東京都制案を掲げてきた。

多くの場合、東京市の主張は衆議院に、政府の主張は貴族院にそれぞれ議員提出法案として審議にかけられ、ことごとく審議未了に終わっている。

大正に入り衆議院は「東京市制案」を捨てて「帝都制案」を掲げるようになったことから、名称上の相違はなくなるが、それでも官治か自治かをめぐった東京市=衆議院ラインと政府=貴族院ラインの対立は続いていくことになる。

昭和に入ると政府は地方行政の刷新を狙い、各種の審議会・調査会を置くようになる。

そして1933年には、官治色の強い「東京都制案」を政府自ら提出し通過をはかろうとしている。
これに対する衆議院の批判は強く、やはり審議未了に終わっているが、その後、戦時体制に入ると、むしろ政治的摩擦を引き起こす問題だとして、議論が避けられてきた。

しかし1943年の第81議会は決戦議会と称され、重点産業の生産力を拡充するための権限を総理大臣の手に集中できることを定める「戦時行政特例法案」「戦時行政職権特例案」や、言論の徹底的取締を目指した「戦時刑事特別法」の改正案と併せて東京都制案が審議された。

ゆえに、政府は「都制案」に反対する新聞記事を禁じ、会合や東京市会などの意見書や決議文の提出に干渉するなどして、強行をはかったことは言うまでもない。

緊迫する戦局の中では衆議院も抗うことができず、ついに「都制案」が成立をみたのだ。

こうして歴史を顧みれば、結局のところ、東京の都制が他の道府県と異なる制度として成立している背景には、戦時体制に伴う行政の効率化があり、そこには長年にわたって東京市が反発し続けた官からの干渉の強い内容を戦時体制にかこつけて強行したという事実がある。

そうしたあり方は戦後の地方自治法においても受け継がれ、東京都の特別区は市町村より著しく権限の小さい団体として成立した。

つまり都をめぐる自治は道府県より制限された所から始まっているというのが歴史の語る事実であり、だからこそ都に存在する特別区は、戦後の長きにわたって自治獲得に奔走してきたのだ。

呼称上の「都」

このようにして実現された東京の都制であるが、それではそこに込められた「都」にはいかなる意味があるのだろうか。

上述した通り、都制は明治の頃から検討されてきた課題だったが、それが結実したのは太平洋戦争の最中だった。

それまで「都」とは「国都」や「帝都」という意味で用いられていたが、戦時中における「都」の成立は、八紘一宇、すなわち全世界を天皇制が中心となるひとつの世界にする、という思想を背景とした「皇都」としての性格を帯びることになった。

『東京百年史』(1974)では、こうした「都」をめぐる文化人の言説を追うことによって「都」の意味をつかもうとする試みがによって行われているので、ここではその検証に沿って「都」への考え方を探っていきたい。

大正から昭和初期にかけての文献においては、東京を表す抽象名詞には「国都」や「帝都」があてられる。

そこに込められる意味合いは
「明治元年七月十七日(中略)大詔下りて、江戸は東京と改称せられ、(中略)翌年帝都を此処に奠め(さだめ)給い、東京は統治の発源地となれり」(『東京市政概要』)だとか「地域が拡がり市民が殖えたばかりが決して大東京ではない。大東京には別に大東京としての意義がなくてはならない。大日本の首府として、又大日本の国都として、そこに格段の意義が蔵せられている。全日本の看板であり、精神であり、生命であり、対象である。」(『大東京』)
というように、本邦における政治・経済・文化の中枢的大都市であることが含意されている。

時代が下り、準戦時段階にはいると、さらに中央集権的国家体制の強化策の一環としての「掛まくも畏き帝皇が此処に天が下知ろし食す大宮所」(喜田貞吉)である「皇都」が用いられるようになり、1943年の都制成立段階に至ると、その「皇都」の意味合いが、日本列島を超えた中央権力の思想支配の中心としての役割へと変容していく。

「呼びなれた東京市が本年(1943年)7月から東京都と呼ばれるやうになった。慣れないうちは耳障りで言ひにくく、聞きづらかったが今となると、東京市などと聞くとどうも地方都市のやうで米英を相手に戦う日本の首都としては如何にも規模が少さく、みすぼらしい感じだ。(中略)これまでは日本の東京でよかった。

しかし現在はさうは行かぬ。大東亜の盟主日本の首都であれば即ち大東亜の東京でなければならない。」(『都の歴史と文化』)という具合である。

また「都の国体的意義」という一文によれば、日本の古語の都(みやこ)という言葉は、英語のシチー(city)や漢語の都会、都市という言葉とは意味が違い「宮処」であって、天皇の宮居(皇居)があるとし、「大東亜が八紘為宇の世界となるためには、まずその中心地たる東京都が名実兼ね具えた真の都になければならぬ。東京都制施行の第一義はここにある」(前掲書)とし、都制の成立は「神によって与えられた光栄」とさえ言う。

こうした記述から、都制成立期における「都」には、単に政治的・文化的中枢であるというだけでなく、「皇都」すなわち八紘一宇の思想を背景とした、何か精神的な、あるいは神がかり的な意味合いが含まれていることが分かる。

「都」が持つ意味合い

このように見ていくと、法令上の「都」とは、戦時が要請した大都市行政の効率化に端を発するもので、その背景には、より上位のアクター(=政府)による大都市資源へのアクセスの要求があった。

また呼称上の「都」には、戦争遂行のため皇都という精神的、あるいは神がかり的な意味合いを付与することによって世界征服を正当化しようとする思想が背景にあった。

こうしたことを総合すると、「都」は大都市行政を効率化して戦争遂行に資するための道具として導入され、その名目に「皇都」なる神がかり的な意味合いが付与されることによって正当化された、という考え方が成り立つ。

そうしたことを踏まえたときに、大阪が「都」を名乗ることの意味合いがどこにあるのか、何が隠されているのか、それとも隠されていないのか。

こうした見極めが、大阪の帰趨を決めることになると言っても過言ではない。

  • 古井喜実(1943)「東京都制について(一)」『国家学会雑誌』第57巻第9号
  • 東京都編(2013)『都史資料集成II 第1巻 東京都制の成立』東京都
  • 都政20年史編さん委員会編(1965)『都民と都政の歩み : 東京20年』東京都
  • 東京百年史編集委員会編(1972)『東京百年史〈第5巻〉復興から壊滅への東京(昭和期戦前)』東京都

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教育実習で見た「若者」と「政治」の現在地(By Keita)

教育実習で見た「若者」と「政治」

私事ですが先日、公立高校に教育実習に行ってきました。

私の免許は地理・歴史科と公民科なので、実習校では現代社会を教えました。担当した部分は「地方自治」と「選挙制度」!

今回は教育実習で見た、若者の政治や時事問題に対しての関心についてお話ししたいと思います。

地方自治から見えた「若者」と「政治」

まず、私の教えた地方自治の部分では、住民自治に基づいて認められている権利として、「イニシアティブ(住民発案)」「リコール(解職請求)」「レファレンダム(住民投票)」の3つが重要語句として出てきます。

そして、実習先の学校の現代社会の授業では、毎授業、最初に最近見た気になるニュースを発表することになっています。現代社会という教科は、教科書で学んでいることが、まさに今現在進行形で、実際の現実で起こっており、生徒自身の生活と切り離すことのできない教科だと私は思っています。

前置きが長くなりましたが、レファレンダム(住民投票)という語句が出てきた際、ニュースのチェックを課題にしていることもあり、私はひとつの質問を生徒にしました。

「現在(10月15日)、日本でレファレンダム(住民投票)が行われているのを知っている人?」

高校1、2年生、計6クラスでこの質問をしましたが、答えられた生徒は1人だけ。
「大阪都構想という言葉を知っている人?」
と質問を変えても、手を挙げた生徒は10人もいませんでした。

これが現在の「若者」と「政治」の間にある距離です。

もちろん、分かっていたけれど手を挙げなかった生徒もいると思いますし、15~17歳の生徒なので選挙権はありません。しかし、この240分の1(40人学級×6)という数字が、現在の若者、高校生の政治や社会への関心度なのです。(学校の学力レベルは偏差値50よりやや上の中堅校です。)

「若者」と「政治」の間にあるもの

ではなぜ、毎日ニュースで取り上げられている「大阪都構想」という政治的キーワードを大多数の生徒は知らなかったのでしょうか?「若者」と「政治」の間にあるものはなんなのでしょうか?

9月、N高等学校が設立したN高政治部の授業に登壇した麻生太郎副総理は、「若者が政治に関心がないことは、悪いことではない」、「それだけ日本で平和に暮らしているということだ」として、自らが政情不安のアフリカにすんでいた経験から、アフガニスタンなど戦闘が続き、命の危険がある中では政治に関心を持たざるを得ない、政治を気にしなくても安心して暮らしていけるという意味では「政治に関心が無くても平和に生きられる国にいる方がよっぽど良い」述べました。

つまり、関係がないから関心がないのです。

もっと言うと、関係があることを知らないから関心がないのです。

例えば、学校の周りの道が狭くて危ない、また街灯がないので夜になると暗くて危ない。
駅前に勉強する場所が少ないなど、若者の身近にも問題はあるはずです。
しかし、それを政治によって変えられることを知らない、これで仕方がないと受容してしまっているのです。

「若者」と「政治」を近づけるために行われていること

現在、主権者教育として、「私たちが拓く日本の未来」という、総務省と文部科学省が作成した副教材が全国すべての高校生に配布されています。

しかし、私たちと政治がどのように関係しているかの記述は少なく、選挙や政治の仕組みの解説がほとんどであることもさることながら、「フリガナ」がないのです。

選挙には4つの原則があります。そのうちの1つが財産や性別に関係なく選挙権が与えられる「普通選挙」という原則であり、もう1つが人種、性別、社会的身分、門地、教育などによって差別してはならず、一人一票を平等に扱うという「平等選挙」という原則です。つまり、勉強が得意でない生徒も、もちろん主権者なり、この副教材を使うのです。かなり細かく初歩的なところですが、主権者を育てるうえで、いかがなものかと思います。

最後に

私はこの現状に非常に驚いたとともに、危機感を覚えました

「大阪都構想」という言葉の内容は知らなくても言葉くらいは知っているものだと思っていました。

若者の政治参画を促す。これは私たちpolicyが目指していることです。

同じ若者である私たちが、政治の記事を届けることで、政治を身近に感じてもらい、若者の政治参画を促す。自分たちが生きる未来の社会は自分たちで創る。

「若者」と「政治」の距離を少しでも近づけられるよう、アクションを起こしていきたいと、今回強く思いました。

注記)地方公務員法36条および教育公務員特例法18条、公職選挙法第137条を順守し授業を行っております。また、大阪都構想は最新図説現社(浜島書店)にも記載されています。

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大阪都構想は本当に必要なのか

大阪都構想の懸念点を振り返る

はじめに

大阪都構想の是非を問う住民投票が告示され、11月1日に投開票される

大阪都構想とは簡単に説明すると、大阪市を廃止し四つの特別区に分割再編するというものだ

大阪市の広い範囲の権限・予算 を大阪府に吸い上げて大阪府に一元化しようという狙いがある。

住民投票を主導してきた維新は都構想が実現すれば主に「二重行政の解消」「広域機能の一元化による大阪の成長促進」「住民サービスの充実」ができるという効果があるとしている。

本当にそうなのか。調べてみるとそうとも言えない実態が見えてきた。

莫大な経済効果は本当か?

大阪市作成の広報物には、年間1000億円のコストカットの達成とその分を投資に回すことで1.1兆円が特別区の設置による経済効果として期待できると記載されている。

これは大阪市より委託された学校法人嘉悦学園によって算出されたものだ。

この検証結果、実は実現可能性や学術的信憑性に欠けるとの指摘が絶えない。

安倍政権下で内閣参与を務めた京都大学大学院教授の藤井聡氏や立命館大学の松尾匡教授らによって2018年に発表されたレポートがある。

嘉悦学園の計算は「住民一人当たりの行政経費は、自治体の人口が小さすぎても大きすぎても高くなるが、それが最小となる自治体の人口サイズがある。」という先行研究を活かし、「分割して自治体の人口サイズを減らせば行政歳出額が減る。」との前提でされている。

しかしこの先行研究などでは大都市の行政出費が高くなる理由を「都市特有の出費があり、物価が高くかつ行政権限が広い」などとしており、これを踏まえると都構想を実現しても大阪が大都市である限り不可能だと言わざるを得ない。

単に自治体を小さいサイズに分割すれば歳出が削減されることはないのだ。

また同レポートではこれによって出た財政余力を投資資金に当てようとしていることから、嘉悦学園の報告書の「5000億円を社会資本整備に当てて10年で1兆円を超える経済効果を得られる。」という部分についても、投資効果が成り立つことを否定している。

これを見る限り「都構想で経済効果」という図式は成り立ちにくい

特別区の財政にも不安が

都構想では「憲法上の地方公共団体」である市が廃止されることで、市が持っていた巨大な自主財源と河川、公園、上水道や公共下水道の整備や運営、都市計画の決定などの権限は特別区ではなく府に譲り渡されることになっているわけだが、特別区の財政は大阪メトロの税収や配当金にという構図になっている。

その状況でも基本的に都構想の改革効果もあわさり特別区の収支は黒字とされてきたが、法定協議会などではこれはコロナ以前の景気での試算であり、コロナの打撃を受けた影響を反映すると「赤字」になると指摘されている。

財政上の不安が「ない」とは言えないのだ。

巨大な一部事務組合の発生と特別区の利害対立のリスク

都構想が実現すると大阪市が担ってきた行政サービスは、特別区の他に「一部事務組合」という特別地方公共団体が担うことになる。

「一部事務組合」とはもともと単独で処理するのは負担の大きい事業(例えば消防や水道事業やゴミ処理)を複数の自治体の協同で行うための組織で、大阪都構想では四つの特別区に割り切れなかった151の事業を対象にした巨大な一部事務組合が作られることが想定されている。

この一部事務組合、複数の自治体で運営や意思決定を行うため非効率になりやすいうえに、自治体間の規模や財政状況で対立が起きる可能性がある。

都構想の場合、住宅街メインの天王寺区と比較的財政に余裕のある北区の格差が指摘されている。一部事務組合だけではなく、財政調整の面でも一たび対立が起きれば深刻な業務停滞につながりかねない。

また一部事務組合には「一部事務組合議会」という各自治体議会からの代表者で構成される機関があるが数年で交代する上に年数回の開催のため、十分なチェック機能を持たせるが難しい。

二重行政の解消どころか下手をすれば現行より行政サービスが停滞したり、ムダが生まれる可能性がある。

気になる福祉サービスの行方

都構想の改革の中による財政試算では、スポーツセンター、老人福祉センター、子育てプラザといった施設の縮減が盛り込まれており、17億円を捻出するとしている。市民の健康生活を支える施設や高齢者や子育て世代の交流の場を減らすことは、市民生活にマイナスに働く。

特に子育てプラザは、在宅での子育てを行っている家庭や地域の子育て活動を支援するための施設であり、少子高齢化や共働き世帯へのサポートが叫ばれる中、拡充されるべき分野の施設ではないだろうか。

また介護保険事業が一部事務組合の業務に割り振られたことに対する批判も起きている。

介護保険事業という多様な事例と個別対応が必要とされるものが多い事業に関して議会が関与しづらくなるからだ。他の高齢者施策が府、特別区、一部事務組合、障がい者施策が特別区にバラバラの管轄になったこともあわせて柔軟な福祉サービスができなくなる懸念がある。

かつて維新政治には二重行政の解消として市民病院や保健所を縮減した結果、新型コロナ流行時に現場の多大な混乱を招いたという批判もある。

そのことも併せて考えて見ると福祉分野の事業を本来の目的ではなく、コストカットの対象として捉えている気がしてならない。

東京都の先行事例

すでに都区制度を敷いている東京都についても言及しておこう。

実は東京23区の区長で構成する特別区協議会は真逆の「都区制度の廃止」を提言している。

行政区に税源が少なく自治権を活かした行政サービスに限りがあり、財政調整のたびに特別区間でゴタゴタが起きているからだ。

さいごに

ここまで見てきて大阪都構想から皆さんには明日の大阪の明るい姿が見えただろうか。

残念ながらそこまでの説得力のあるようには私には思えない。

やはり住民の暮らしや自治を豊かにすることにはつながらないように思える。

いずれにせよ都構想がどうなるかは大阪だけではなく日本全体のグランドデザインを問題でもある。賛成・反対双方の主張を見比べて投票に行ってほしい。

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【大阪都構想に迫る】第1回 そもそも「区」とは何か(By るた)

【大阪都構想に迫る】 第1回 そもそも「区」とは何か

11月1日投開票の「大阪市廃止・特別区設置住民投票」、いわゆる「大阪都構想」の住民投票まで残り約1週間となった。

この住民投票において「賛成」が有効投票の半数を超えた場合、大阪市は廃止され、4つの「特別区」が設置される

迫る投開票日を前に、賛成派、反対派とも活動をヒートアップさせているが、少し政局的な話とは距離を置いて、根本的な定義についてそれぞれ検証していきたい。

2つの問題提起がある。まず、「区」とは何か、そして、「都」とは何か、である。

今回は、「区」とは何か、という点について検証していきたい。

「特別区」とは何か

基本的な説明を先に済ませておこう。

冒頭で述べた通り、この住民投票で「賛成」が過半数となれば、大阪市は廃止され、4つの「特別区」が設置される。

さて、「特別区」とは何か。

地方自治法によると、特別区とは「特別地方公共団体」(同法第1条の3第3項)のひとつである「都の区」であり(同法第281条) 、基本的には基礎的自治体である「市町村」に準ずる地方公共団体とされ、市に準ずる権能が付与されている(同法第281条第2項および第283項)。

特別区と一般市の権能の違いについては説明を省くが、地方自治法において「地方公共団体は、法人と」されるため(同法第2条)、特別区には地方公共団体としての法人格が与えられている。

すなわち、特別区は独立したひとつの「会社」として目的達成に必要な範囲で公権力の行使が認められる。

一方、すでに大阪市には24の「区」が設置されている。

これは「行政区」と呼ばれるもので、政令指定都市が、「市長の権限に属する事務を分掌させるため、条例で、その区域を分けて」設置するものである(地方自治法第252条の20)。

すなわち行政区は、法人格を持つ地方公共団体として公権力の行使が認められる政令指定都市において、その事務を分掌させるために設置される内部団体である。行政区には法人格がなく、あくまで市の事務を代行するいわば「支店」に過ぎない。

現行法において、特別区と行政区は、その「区」という呼称こそ同一にするが、実態は似て非なるものなのだ。

それにしても厄介な話である。なぜまったく実態の異なる特別区と行政区に、同じ「区」という呼称が付され、そして現行の市とその内部団体である「区」(=行政区)を廃し、新たに「区」(=特別区)を設置する、という難解な議論が進められたのか。

歴史を紐解いてみると、そこには「区」をめぐる試行錯誤があり、東京の「区」と大阪の「区」がまったく異なる歴史的背景を辿ってきたわけではないことが分かる。

今回の検証は、そんな「区」の歴史にフォーカスすることで、改めて「区」をめぐる今回の住民投票に向き合う検討材料を提供するものである。

「区」の起源

大阪における「区」の起源は、1878年の「郡区町村編制法」に遡る。

このとき江戸時代からの郡や町村に加えて、新しい都市制度として芽生えたのが「区」であり、現在の「市」の前身といえるものだった。

同法には「三府五港其他人民輻輳ノ地ハ別ニ一区トナシ其広濶ナル者ハ区分シテ数区トナス」(第4条)とあり、三府五港、すなわち東京、大阪、京都の三府と、横浜や神戸などの港町、それに名古屋などの人口が集中する都市に、神奈川県横浜区、兵庫県神戸区、愛知県名古屋区といった形で区が設けられた。

とりわけ東京、大阪、京都は「広闊」すなわち特にひらけていたので、東京には麹町区など15区、大阪には東西南北の4区、京都には上京区など3区が設けられた。

1888年に公布、翌年に施行された市制町村制において、横浜区や神戸区など大部分の区はそのまま横浜市や神戸市へ移行した。

他方、複数の区が設けられた東京、大阪、京都では、区を存続した上で、それら複数の区域をもってそれぞれ東京市、大阪市、京都市となった。
ただし東京、大阪、京都の3市に対しては市制町村制の施行直前にいわゆる「市制特例」が制定され、市制に定めた市長を置かず、市政は府知事が職務を執行する体制となった。このような措置に対しては3市から撤廃運動が起こり、市制施行から10年あまりが経った1898年になってようやく特例廃止法案が成立し、3市に市長が置かれることになった。このときも区は存続されている。

1911年の市制改正では区が、勅令で指定する市の区(同法第6条第1項)、内務大臣が省令で指定する市の区(同法第82条第3項)およびその他一般の市の区(同法第82条)に分けられた。

勅令で指定する市の区は、法人区とされ、財産・営造物に関する事務や法令による委任事務を処理することができ、区会の設置が認められる(同法明治44年勅令第244号第2条)など自治制に関する規定が定められた。

これを受けて勅令による指定を受けた東京、大阪、京都の3市の区は法人区となった。
他方、内務大臣が省令で指定する市の区は、単に市の処務便宜のための行政区であった。これを受けて名古屋市、横浜市、神戸市が順次省令による指定を受け、3市にも区が設けられた。こうした制度設計から分かる通り、「法人区」は現在の「特別区」、「行政区」は現在も同様に「行政区」にあたるものである。

換言すれば、戦前の大阪市の区は、制度的には「特別区」のようなものであったということだ。

法人区に区会という議決機関の設置が担保されているということは、法人区が法人たりうる重要な意味を持つ。

政治家も混乱するほどの複雑さ

この規定は、戦後、市制町村制が廃止され、地方自治法が制定されるまで有効だったようである。ただし、ここが重要なのであるが、ここまでの話はあくまで制度上のことを言っているのであり、実際にこの規定に基づく区会を持っていたのは東京市の区のみで、大阪、京都の2市には少なくともこの規定に基づく区会はなかった。

これはあまりに煩雑な話であるため、橋下徹大阪府知事(当時)の2011年のツイートにすら混乱が見られる。

後段の主張は置いておいて、2文目の文章は完全に誤解である。

『明治大正大阪市史』(1966)によれば、
「大阪市中の区は、東京・京都両市内の区と共に市制第六条に規定せらるゝ法人区であり、制度上はその財産及営造物に関する事務その他法令に依り区に属する事務を処理するものであるが、事実としては別に営造物もなく財産もなく、又独立の議決機関としての区会もな」かった。

橋下氏がいう「区議会」が大阪市の区になかったわけではないが、それは市制第113条に基づく「財産及び営造物に関する事務」のための区会であり、必要に応じて一般市でも設置できるものであった。財産区会は旧東区に1943年まで残っており、橋下氏はこれを指したのだろうが、法人区としての区会とは何の関係もない。

そんなわけで、東京市の区が区会を持ち、制度上も実際上も法人区として機能し続けた一方、大阪、京都の2市の区は、制度上は法人区であったが、実際には行政区に過ぎなかった。

1943年に東京市は戦時法制の一環として東京府と合併して東京都となるが、このとき区の位置付けが行政区ではなく法人区として残されたのは、都制案に対する各区会を無視できなかったためとされる。

戦時法制ゆえ、区は法人格を持たない行政区である方が本来は合理的であり効率的なはずである。そうならなかったのはやはり、区会の存在が大きいといえよう。他方、東京以外の地方自治制度の改革は戦後になり1947年の地方自治法の施行で結実するが、大阪、京都の2市の区は、ここで名実ともに行政区と位置付けられたのである。

今回の住民投票の意義

さて、9年前の橋下氏のツイートを何度もあげつらうのは控えたいが、こうした経緯を踏まえれば、少なくとも今回の住民投票は、過去の「区」のあり方に「戻す」ような営みでは決して無い。

また東京における区が歩んだように、法人としての実態が脈々と受け継がれた結果としての特別区でもない。

実態のある大阪市を廃止して、実態のないところから新たに特別区を設置するという、これまでにない試みである。

東京の区には実態があったからこそ、戦後の長きにわたって自治獲得、すなわち仕事をもらうことに専念してきた。

実態のないところから生まれる新たな特別区が、同じような道を歩めるか。この点に、見極めが問われているといえよう。

・橘田誠(2020)「政令指定都市行政区制度の現状と今後の展望」『公共政策志林』8巻 p.1-13
・竹村保治(1996)『大都市行政区再編成の研究 大阪市の事例を中心に』清文堂出版
・大阪市役所編(1966)『明治大正大阪市史 第1巻 概説篇』清文堂出版
・大阪市東区編(1944)『東区会史』東区
・公益財団法人特別区協議会編(2017)『特別区自治情報・交流センターブックレット 第5号「特別区が歩んだ自治のみちのり」』学陽書房
・高木鉦作(1989)「大都市制度の再検討」『年報行政研究』23号pp.1-39

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大阪都構想を中立的な視点で見る

2度目の大阪都構想への挑戦

大阪都構想とは?時系列で説明

2008年、橋下徹氏が大阪府知事に就任することで、今日で騒がれている「大阪都構想」は動き始めた。橋下氏は、大阪府政と大阪市政は二重行政が横行していると問題視し、「広域行政と基礎自治体の行政、機能の分化、整理というものはきちんとやらなきゃいけないと思ってます。」と語った。

2010年、前身となる大阪府議会会派「自由民主党・維新の会」から「大阪維新の会府議会議員団」が独立。同年、橋下徹を代表として「大阪維新の会」が発足する。大阪維新の会は自民党からの出身であり、自民党から受け継いだものもあれば、独自な文化もある。

2010年、大阪維新の会が発表した行政構想で、大阪市・堺市を含めた政令市を解体し一体化させるというもので、2015年を目標に実現を目指すものだった。

2011年、大阪府知事・大阪市長ダブル選挙が行われる。大阪市長に橋下徹氏、大阪府知事に松井一郎氏が就任した。大阪市では自民党を抜いて、大阪維新の会の勝利を収める形となった。

当時の大阪都構想は堺市を含めたもので、堺市の協力が必要であった。しかし、2013年、堺市長選挙で大阪都構想に反対する竹山氏が大阪維新の会の候補を破り市長に就任した。こうして、事実上堺市を含めた都構想は潰えてしまった。翌年の2014年、大阪市長選挙で橋下氏が大阪市長を再任する。

2015年、「大阪市における特別区の設置についての投票」が行われる。政令指定都市の廃止を問う全国初の住民投票となった。住民投票の結果、賛成694,844票、反対705,585票となり僅差で反対票が上回り「大阪都構想」は否決された。この結果を受けて橋下氏は政界を引退した。同年に行われた大阪府知事選挙は松井一郎氏が就任し、大阪市長選挙では大阪維新の会の吉村洋文氏が就任する。

2018年、大阪維新の会は大阪市を4区に分割する案を支持し、大阪市を解体して「淀川区」「南区」「北区」「天王寺区」とする構想を目指す。翌年、2019には松井氏が大阪市長を、吉村氏が大阪府知事を再任した。

2020年11月1日、2度目の住民投票が行われる見通しだ。

大阪都構想のメリット・メリット

[box05 title=”メリット”]・二重行政の解消
過去に大阪市と大阪府で二重行政が指摘されていた。市と府の方向性が合わず無駄な公共投資が行われていたが、重複する事業を統廃合することで行政の無駄を解消しようとするもの。こうした府市の対立を未来に渡って無くすことで、役割分担を徹底し、二重行政を制度的に解消しようとするもの。

・住民サービスの向上
「淀川区」「南区」「北区」「天王寺区」の区長は選挙によって選ばれ、住民のニーズに合わせた、区独自の発展が可能となる。現在では区長は選挙で選ばれておらず、大阪都構想による特別区が設置されると、区長を選挙で選べるようになる。[/box05]

[box05 title=”デメリット”]・行政効率の低下の懸念
都構想になると大阪市を解体されてしまうため、市内全域をまとめて管理する「一部事務組合」という組織が設立される。(水道事業や児童自立支援施設、保護施設、市立病院、斎場など)従って、「大阪府」、「一部事務組合」、「特別区」の三重行政になってしまうという批判がある。

・再編コストがかかる
これまで大阪市ひとつの行政単位で行っていたものを分割し、それぞれの区長に任せるため、行政コストが上昇する。大阪市が出した資料によると分割コストが241億円であり、毎年ランニングコストの上昇が30億円ということになっている。ちなみに「大阪市」は消える。[/box05]

鍵は税収を増やせるか

大阪都構想の最大の懸念は今より行政コストが上昇することであり、もし、都構想実現により大阪が経済発展し税収も増加するのであれば、この問題は解消される。大阪都になることで成長できると思う方は「賛成」に。鈍化すると思う方は「反対」に投じてもらえば良いと思う。

感情的な面としては、「大阪市」が消えるかどうかについて、私は大阪市に縁もゆかりもないので分からないが、市民からすると寂しいのかもしれない。

行政改革は基本的に国から地域へと波及していくが、大阪都構想は地域から出るもので、この行政改革が行われれば他地域へ波及する可能性は極めて高い。11月1日はまさに分水嶺であり、住民投票が否決されれば維新の会は勢いを失うだろう。住民投票には政治的な思惑も絡まってくるのかもしれない。

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「大阪都構想」住民投票で高まる政治リテラシー

投票率低下をどう捉える?

「大阪都構想」住民投票は若者の政治参画を増進させる

[box05 title=”大阪都構想って?”]

大阪都構想(おおさかとこうそう)は、大阪で検討されている統治機構改革の構想。大阪府と大阪市(または大阪市を含む周辺市町村)の統治機構(行政制度)を、現在の東京都が採用している「都区制度」というものに変更するという構想である。 特に、
・大阪市を廃止し、
・複数の「特別区」に分割すると同時に、
・それまで大阪市が所持していた種々の財源・行政権を大阪府に譲渡し、
・残された財源・行政権を複数の「特別区」に分割する、

ということが記載された「特別区設置協定書」に沿った統治機構(行政制度)改革を大阪都構想と呼ぶことが一般的に多い。
(wikipediaより)
[/box05]

住民投票は市民にとっての生活が変わる投票だ。この機に住民は自分の住む地について改めて考える機会を得る。政治に関心が無い層であっても、自身の生活に直結するとなれば興味が湧く。本来どの選挙も生活を変える選挙であるし、トップが変われば方針が変わるのは当たり前なのだが、行政が急激な変化を遂げるとは誰も思っていないので「どちらにせよ変わらない」というイメージで投票行動にはなかなか繋がらない。

日本では、一定の地域に住んでいれば、6年間で市町村議会議員選挙、都道府県議会議員選挙、衆議院議員、参議院選挙、都道府県知事選挙、市町村長選挙、以上の6種類8回の選挙が行われる。衆議院解散はおよそ3年に1度、参議院選挙は3年に一度の改選がある。平均すれば1年弱に1度は選挙が行われる計算だ。選挙が数多く行われているはずなのに、なかなか投票率が上がらないのは何故だろう。

投票率が低いのは悪いことではないという指摘も

麻生財務大臣はある通信高校の特別授業で「政治無関心は悪いことじゃない」と語った。続けて「アフリカに2年ぐらい住んだことがあります。暴動が起き、えらい騒ぎでした。アフガニスタンや中近東など、ボール蹴飛ばして遊んでいたら地雷踏んで、というところに住む人がいます。そういうところに生まれちゃった子は間違いなく政治に関心があります。嫌でも政治に関心がないと生活ができないから」と海外と比較した。

主権者教育の必要性

ある国会議員経験者に聞くと「私は18歳選挙権への引き下げは反対だった。権利には義務が伴う。18歳のこどもに義務を果たせるだろうか。その当時「先生、お気持ちは分かります。ですが、主権者教育も徹底して行いますので先生の危惧するようなことにはなりません。」と官僚が説得に来た。私はそこまで言うならと賛成に回った。だが今の投票率はどうか。10代は30パーセント台だ。正直裏切られた気持ちだ。」と語った。

主権者教育とは、働くことの意義や税や社会保険といった負担を理解し、知識を蓄え、そして自らの政治参画を促していく教育のことだ。しかし、結果として主権者教育が行われていない世代の方が投票率が高い。現実として教育現場では主権者教育が十分にできていない証左と言わざるを得ないだろう。

主権者教育は行われているのか?

[box05 title=”総務省の説明”]平成23年度にとりまとめられた「常時啓発事業のあり方等研究会」最終報告書では、現代に求められる新しい主権者像として、「国や社会の問題を自分の問題として捉え、自ら考え、自ら判断し、行動していく主権者」が掲げられています。具体策として、「社会参加の促進」や「政治的リテラシーの向上」が求められおり、その一環として、「参加型学習」の必要性が提案されています。また、平成28年7月に、選挙権年齢が18歳以上に引き下げられてから初めての国政選挙として参議院議員通常選挙が実施されました。平成28年度に開催された「主権者教育の推進に関する有識者会議」でのとりまとめでは、主権者教育の考えられる方向性として、「身近な問題から社会問題まで、年代や環境に応じた題材により、考える力、判断する力、行動していく力を醸成する多様な取組が求められる」としています。(https://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/news/sonota/gakusyu/index.html)[/box05]

現実は先述したように投票率は急激に下がっている。主権者教育の難しさは当然あるだろうが、喉元通れば熱さ忘れるではないが、改めて教育を考え直す必要があるのではないか。

教育に多様性がない

日本の教育は画一性があり、どの学校に行っても最低限の教育が受けられることはメリットだろう。その一方で教育に対する多様性があるとは考えにくい。その原因は教育界に新陳代謝が行われないことだと私は考えている。現在、教育委員会は政治から独立しており、首長が任命権を持ってはいるものの形式的なものである。弊害は既に起きており「大津いじめ事件」では教育委員会の隠蔽体質を発覚させた。政治的独立は分かるが、組織内の風通しが悪くなっている。教育委員・委員長は罷免されるリスクを負うべきだ。

政治・歴史を教育するとき、教育者は自分のポジションが中立であろうとする。(実態として中立であるかは置いといて)しかし、私は政治的な中立性を保つ必要はないと考えている。自分のポジションを明確にし、両翼からの視点を展開することが生徒にとって一番良いのではないだろうか。

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