多様な人種、民族が暮らすアメリカ合衆国は、人種差別の歴史と闘ってきました。
今ではヒスパニックやアジア系の人々もたくさん住んでいますが、「差別」と聞くとやはり黒人の歴史を思い浮かべるでしょう。
アメリカにおいて黒人の地位が確立されたのは1865年のことです。
しかし、人種差別がすぐになくなることはありませんでした。
キーワード解説:19世紀の黒人差別
リンカーン大統領の奴隷解放宣言
ブラック・ライブズ・マター(BLM)運動が全米で話題となりました。
黒人に対する白人警官の行為への抗議から始まった運動です。
アメリカと人種差別問題は、アメリカ合衆国そのものの歴史と密接に結びついています。
南北戦争真っ只中の1863年1月1日、リンカーン大統領によって奴隷解放宣言が発布されました。
「アメリカ全土の奴隷たちは即時自由人としての権利をもつ」という内容です。
1865年12月、憲法修正第13条が成立し、アメリカ全土で奴隷制度が完全に廃止されます。
では、解放された黒人奴隷たちは本当の意味での自由を手にしたのでしょうか。
ご存知の通り、答えはNoです。
今回は、奴隷解放宣言後、とりわけ、19世紀後半の黒人たちについて紹介します。
「黒人取締法」の成立
南部の黒人たちは解放され自由を手にしたかに思われました。
ところが、実際には社会的地位が保証されたわけではなく政治的権利も認められませんでした。
黒人の労働力を酷使していた南部の白人農園領主たちは、奴隷制度廃止後も黒人たちを自分の支配下におき続けたいと考えます。
そして、1865年に南部の州議会で「黒人取締法」が制定されました。
これは、南部諸州で黒人に対して定められた様々な非人道的な法律の総称です。
土地所有の制限、夜間の外出禁止、人種間の結婚の禁止など、多岐にわたる内容でした。
これらの諸法律は、1964年に公民権法が成立するまで続いたのです。
白人至上主義団体〜K・K・K〜
1865年12月、南北戦争中のテネシー州の南軍帰還兵士らによって組織された白人至上主義団体が創設されました。
K・K・K(クー・クラックス・クラン)です。
彼らの目的は、南北アメリカの再統合に反対することでした。
新たに選挙権を得た黒人男性に対する暴力と脅迫によってその目的を成し遂げようとしました。
彼らは降伏した北軍の黒人兵士たちを何百人と殺戮します。
街を歩いている黒人に集団で襲いかかり、選挙の際投票に来た黒人男性に銃を突きつけ投票先を強制するなど、非人道的な行為を繰り返したのです。
1871年、クー・クラックス・クラン法が制定され連邦政府の取締りで人数は減少しましたが、この時期は南部における白人至上主義がおおむね達成されたためでもあったとされています。
翌年以降、KKKは事実上解体されたもののルイジアナ州の白人同盟や、サウスカロライナ州の赤シャツ隊など、各地で暴力的な反黒人団体が存在し続けました。
公民権が再び失われる
リンカーン大統領が一掃を図った奴隷制度擁護派は勢いを盛り返し、黒人への報復意思を持って政治の表舞台へと戻って来ます。
彼らは共和党の政治を批判し、暴力に加えて、黒人が選挙に行くことができないよう遠い場所に投票所を設置し投票箱を塞ぎ、あらゆる手段を使って黒人を妨害しました。
南部諸州では、父か祖父が選挙権を持っていた者にだけ選挙権を認めたり、人頭税(全ての国民に一律で課される税金)を払っている者だけに選挙権を認めたりするなど、事実上黒人を選挙から締め出したのです。
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まとめ
奴隷解放宣言は有名無実化され、黒人たちは差別と戦い続けました。
彼らが本当の意味での自由を手にするのはおよそ100年後、キング牧師の登場によるものでした。
21世紀に入った現在ですら、度々人種差別問題が議論され激しい抗議活動が行われています。
「人種差別」という言葉そのものがなくなるような時代がくるのはいつになるのでしょうか。