【教育は権利だ】FREE京都の高等教育無償化への取り組みをインタビュー!

教育無償化への取り組みを取材しました。

FREEは、正式名称「高等教育無償化プロジェクト FREE」で、2018年9月から活動している団体です。

高等教育の学費の無償化や給付型奨学金制度の拡充を目指して活動しています。

コロナ禍で多くの学生が経済的な事情によって学業を諦める、あるいは諦めることを検討している中で、FREEは行政に支援を求める様々な取り組みを行なっています。

複数の大学の学生に「新型コロナ感染拡大の学校生活への影響調査」に関するアンケートを実施、現状分析をした上で自治体へ意見や要望を提出し、学生の「リアルな声」を届けています。

今回policyの取材に協力してくださったのは2019年11月から活動する「FREE 京都」の小島(オジマ)さんです。

FREE京都 小島さん
インタビュアー:momota
インタビュアー:sho

(文責:momota)

FREEの活動内容

[ふきだし set=”ももた吹き出し”]

「FREE京都」の活動内容はどのようなものなのですか?

[/ふきだし]

小島さん:「FREE京都」は去年の11月にできた団体です。東京に同じFREEという団体があります。

(私たちの団体の)正式名称は「高等教育無償化プロジェクト・FREE京都」といいます。高等教育・大学・短大・専門学校・高等専門学校の学費無償化を大学に求めるのではなく、行政、自治体、国に対して、教育費の予算拡充を提案する中で学費の無償化を目指しています。

[ふきだし set=”ももた吹き出し”]

高等教育の中でも特にその大学生、短大生、専門学校生に訴えかけるため、様々な調査をされていると伺いました。
具体的に、どのような調査をされてるのですか?

[/ふきだし]

小島:調査は、高等学校に通っている人向けに、特にコロナ禍で「今の生活はどうか」ということから、「奨学金は借りているか」「アルバイトをしているか」「アルバイトで稼いだお金は何に使っているか」というような具体的なことまで聞いています。

[ふきだし set=”ももた吹き出し”]

実は、これはコロナ以前からの問題でもあったと思うんです。
実際、日本はOECD加盟国の中でもGDP比に対する公教育予算が最下位というデータがあります。

[/ふきだし]

小島:そこも問題意識として持っています。

私の自身の問題点の出発点は、FREEに入って初めて「教育は権利だ」と知ったことです。OECDの他の加盟国に比べて日本では公教育が重視されていない。すなわち教育が権利であると認められていないということなんです。

教育を受けることは権利なのに、なぜそこに予算を割かれてないんだ、おかしいんじゃないかと思ったことで主体的に活動をするようになりました。

[ふきだし set=”ももた吹き出し”]

小島さんが最初にFREEに関わったのはまた別のきっかけが?

[/ふきだし]

小島:この活動を始めた知り合いに声をかけられたのがきっかけです。これまで私は奨学金を受けずに来れたのですが、去年初めて親に「少し借りてほしい」と言われて申請した時、給付型の奨学金申請の結果が出るまで半年ぐらいかかって、「こんなに大変なんだ」と思ったんです。

奨学金一つ申し込むために2週間ぐらいかけて準備しても、結局給付型の奨学金はほとんどの人が受けることができず貸与型の奨学金を申し込んで将来借金になるのが現状です。

そうやって若い頃から学ぶために借金をして、「自分の将来を犠牲にして大学に行かなければならない人」って実は周りにたくさんいるのではないか?と、思ったことがきっかけの一つですね。

[ふきだし set=”ももた吹き出し”]

それこそ、満額で借りると単純に400万円ぐらい借金を抱え、返還に月1万でも数十年かかるし、これってかなり厳しいものですよね。

[/ふきだし]

活動を通して見た学費問題の現実

[ふきだし set=”ももた吹き出し” align=”right” col=”yellow”]

「教育は権利だ」とおっしゃってましたが、どういった活動を通してそう感じられたのでしょうか?

[/ふきだし]

小島:FREE京都で、「自分たちが活動するのであれば、勉強しなきゃいけない」ということで、勉強会をすることがあって、まずそこで気がつきました。

勉強会のなかで、諸外国と比べた日本の学費の高さを知ったり、高等教育の漸進的無償化を定めた国連の国際人権規約A規約をほとんどの国が批准してそれぞれの国で取り組みを始めているのにもかかわらず日本は2012年になるまでそれをずっと留保していて、そのあとも具体的な政策は行われず今まできていることなどを知り、「教育は当然受けられるべき権利である」と訴えていく必要があると思いました。

[ふきだし set=”ももた吹き出し”]

活動されている中で、学生の貧困や経済的な厳しさを目の当たりにされましたか?

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小島:アンケートを通じて、私たちが思っている以上に大変な状況に学生が置かれているのだと思いました。

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例えばどういったものですか?

[/ふきだし]

小島:アンケートに寄せられた声では、「親が職場で首を切られて、(学費が払えないので)退学するか迷ったけど、今大学4年生であと1年だから、貸与型の奨学金をもう1種増やして卒業することにした。でも、自分は就職決まってたのだけど、内定を取り消しにもされてしまって落ち込んでいる。」というような声を聞きました。

また、今年1年生のFREE京都に参加してくれた子で、地方から京都に4月から住み始めて、親から一切お金が出ないので、奨学金と自分のバイト代で学費・生活費を全て賄おうと思ったけど、(コロナが原因で)アルバイトが見つからない。

給付型の奨学金もオンラインになったせいで振り込みが5月からになってしまって、4月はクレジットカードのリボ払いで生活してたっていう学生がFREEに参加してくださったんですけど、そういう学生(の例)とかもあります。

特に、4月5月は(学校がなかったため)友達が全くいない状況でもあったので、精神的にしんどかったと言っていました。

[ふきだし set=”ももた吹き出し”]

そうですよね。それはコロナ禍特有の状況かもしれません。
特に地方から1人暮らしでやってきた大学1年生は友達がいない。相談相手がいない中で経済的な負担も増えて、精神的にもかなりきついと思います。

[/ふきだし]

日本の学費問題、行政との乖離

小島:私の大学は去年学費が値上がりしました。国公立大学もここ数十年でどんどん値上げしているんです。

[ふきだし set=”ももた吹き出し”]

そうですよね。

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小島:国公立大学でも初年度で80万円かかりますし、私立になれば安くても120万円かかります。理系だとその倍以上です。父は私と同じ大学を卒業していて父から「安いから良いよ」なんて言われてたんですが、当時は今の半分の学費だったことを知りました。

京都の議員さんと懇談に行った時には、そもそも今の学費の高さを知らないって人も中には結構いたんですよね。

[ふきだし set=”ももた吹き出し”]

政治家が教育業界の現場のリアルを知らないんですね。

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小島:そうですね。年輩の議員さんほど今との乖離が大きいですからね。「(大学生は)遊ぶ金のために働くんじゃないの。学生さんにお金を回すのは多分最後だと思う」なんて言われたこともありました。笑

でも「これだけ(学費が)高いんですよ。給付型の奨学金も全然ないじゃないですか、こういう状況で今のコロナを私たちは迎えているんですよ」と訴えたこともあります。

[ふきだし set=”ももた吹き出し”]

学生と行政との認識の差があまりにもあるなという印象を受けてしまいます。

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小島:あとは、私たちはFREE京都で懇談に行った時、京都府の方から言われたのは、「高校生までは自治体が面倒見るけど、大学生は国の責任」ということでした。

でも、実際に国が面倒を見てくれているわけではないんです。

一方で、京都府議会では、学生のための予算をさらに設けることを要請する取り決めを、全会一致でしました。

また、マンション、アパートで暮らしてて自分の部屋がない、あるいは親もテレワークで在宅のため思うようにオンライン授業を受講できないという声も多く、アンケートでは、オンライン授業を落ち着いて受講できる環境がないと答えた人が40%程いました。その声を届けたら、京都市が持ってる施設を学生のために開放することを決めて頂いたんですね。

さらに、その施設の学生アルバイトを京都市が雇うことで雇用を生み出してくれました。

他にも、感染症対策として各大学に200万円ずつ予算を充ててくれるなど、「学生のために動いてくれたんだ」と思いましたね。

ある議員さんは、京都府が学生のために追加予算を割いた話を今まで聞いたことがないと仰っていました。

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少しずつ進んでいる部分もあるんですね。

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問題の根元は?

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こうした問題の根底にあるものの一つに、最近では大学に入ることが一種の「資格」になってしまっていることも関係しているのでしょうか。

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小島:そのようにも言われていますが、教育に予算が割かれていないことが一番の原因だと思います。

momotaさんがおっしゃった通り、高校を卒業して就職するのと大学を卒業して就職するのでは年収の差があるじゃないですか。大卒が条件とか、大卒だと年収がプラス200万違うとかっていうことはざらにあるのが現状です。

だから、無理をしてでも、400万円を将来的に返さないといけなくても大学に行かなければならないと思う学生やその親がいるんだと思います。

なぜ教育費の負担が大きくなってしまったのかと考えたこともあります。

1970年頃、「受益者負担の原則」というものがありました。その教育を受ける人が費用を負担すべきだというこの考え方が広まったことで教育への予算も削られていき、教育を受ける側の負担が大きくなっていった経緯があるんです。

今は「受益者負担の原則」はないのですが、当時の名残がある風潮なのかもしれません。

でも、教育は社会のためにあるべきだと思います。

良い教育を受けて稼げるような人がたくさん出たら、国も地域も豊かになるのになんて思ったりもします。

例えばツイッターなどでは「自己責任だ」「じゃあ大学辞めて働けばいいじゃん」という声をしばしば聞きます。そしてそういう考え方が、日本の国民全体にかなり浸透してしまっているんじゃないかなと。

そこが日本の教育予算の拡大を邪魔した一つの原因ではないかと感じました。

[ふきだし set=”ももた吹き出し”]

FREEの活動は「全ての人への無償化」を標榜していますが、貧困層の方だけではなく、全ての方を対象にした理由についても伺いたいです。

[/ふきだし]

小島:それはやはり「教育は権利だ」ということです。

裕福でも貧しくても、出身がどこであっても権利は平等であるべきだと思っています。

だから、貧しい人だけでなく「全ての人に」ということを大事にしています。

[ふきだし set=”ももた吹き出し”]

ありがとうございます。

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FREEの目指す未来

[ふきだし set=”ももた吹き出し”]

FREEは今後はどのように活動されていくのでしょうか?

[/ふきだし]

小島:今、またアンケート取っています。

「秋学期の学生実態調査」を行っていて、そのデータを元に京都府議会へ陳情書を提出し、行政の方々との懇談や各会派の議員さんともお話したいなと思ってます。

あとは、社会全体で「自己責任論」から脱して、「教育は全ての人が受けられるようにすべきだ」ということを、政府だけが決めるんじゃなく、国民全体の総意にしたいと思っています。

8月には京都の方で、路上に立って、リレートークという形で学費の無償化を訴える活動をしました。

コロナウイルスの影響でこの活動は今後どの程度できるかはわかりませんが、これからも、政府行政や学生以外の人にも声を届けられる活動していけたらなと思ってます。

[ふきだし set=”ももた吹き出し”]

僕ら(policy)も、学生にとどまらずこれからの社会を担う若者の方々に、声を届け、声を発信して欲しいと思っています。
しかし多くの若者は問題意識を持っていない(気づいていない)のが現状だと思います。

[/ふきだし]
[ふきだし set=”ももた吹き出し”]

最後に、FREEでこうした活動をされている(問題意識を持って積極的に発信している)小島さんからメッセージがあれば、お願いします。

[/ふきだし]

小島:今回の「コロナ禍」で多くの学生やその家族にとって学費の問題が身近になったと思います。学校に対して「オンラインだから施設代をなくして欲しい」ということだけでなく、もともと高い学費に対して「なんで学費って高いの」というところから出発していて「学ぶ権利」を考えてみて欲しいです。

「自分は恵まれてるけど、年収があと300万低い家庭だったら、大学行けたのかな」という考えをもつことからスタートして、学問を大切にして欲しいです。もっと自分のために何か学んでいただきたいです。

会社のために大学に入るのではなく、自分のために、社会のために学んで自分の送りたい学生生活を送って欲しい。

「学び」という視点を各自の中に持って欲しいなとすごく思います。

[ふきだし set=”ももた吹き出し”]

ありがとうございました!

[/ふきだし]

グローバル人材の育成について解説【5分でわかる】

グローバル社会へ

グローバル人材とは

グローバル人材の定義について、文部科学省の資料から引用します。

グローバル化が進展している世界の中で、主体的に物事を考え、多様なバックグラウンドをもつ同僚、取引先、顧客等に自分の考えを分かりやすく伝え、文化的・歴史的なバックグラウンドに由来する価値観や特性の差異を乗り越えて、相手の立場に立って互いを理解し、更にはそうした差異からそれぞれの強みを引き出して活用し、相乗効果を生み出して、新しい価値を生み出すことができる人材。

世界的な競争と共生が進む現代社会において、日本人としてのアイデンティティを持ちながら、広い視野に立って培われる教養と専門性、異なる言語、文化、価値を乗り越えて関係を構築するためのコミュニケーション能力と協調性、新しい価値を創造する能力、次世代までも視野に入れた社会貢献の意識などを持った人間。

https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/047/siryo/__icsFiles/afieldfile/2012/02/14/1316067_01.pdf

簡単に言えば、外国語言語をマスターし、他国と交渉でき、新しい価値を想像できる人材のことです。

国の違いによるミスコミュニケーションが原因でさまざまな課題や不利益が生じてしまうと、ビジネスは難航してしまいます。 

海外事業の展開を成功させるにあたって、優秀なグローバル人材の有無は大きなカギとなります。

グローバル人材の育成について(文部科学省)

日本の英語力は?

グローバル人材の育成について(文部科学省)

TOEFLは、その名称の通り非英語圏の出身者のみを対象としており、英語圏の高等教育機関が入学希望者の外国語としての英語力を判定する際に用いる。

英語圏の大学へ留学・研究を希望する者を主な対象とした英語能力を測定するテストであり、英語による高等教育に適う能力の判定が目的である。(wikiより)

日本の順位は、世界では163ヵ国中135位、アジアでは30ヵ国中27位に位置しています。

先進国でありながら、なかなか英語が話せる人がいないのが現状です。

グローバル人材になるには

グローバル人材育成推進会議では、グローバル人材として必要な要素を具体的に定義しています。

  1. 語学力・コミュニケーション能力 
  2. 主体性・積極性、チャレンジ精神、協調性・柔軟性、責任感・使命感 
  3. 異文化に対する理解と日本人としてのアイデンティティ

グローバル人材育成戦略 (グローバル人材育成推進会議 審議まとめ)

グローバル人材とは資格ではないので、「私はグローバル人材です」と主張するにはそれなりの根拠が必要になります。

また、人や企業によって求めるグローバル人材像は違いがあります。

適材適所で活躍できる場所を探しましょう。

まとめ

これから日本にとって、グローバル人材の育成は国家レベルの課題です。

高校生から育成が始まるようになるので、これからの高校生はグローバルを意識するようになります。

グローバリズムには賛否両論ありますが、言語の獲得はコミュニケーションツールを増やすことに繋がります。積極的に獲得していきたいですね。

「大阪都構想」住民投票で高まる政治リテラシー

投票率低下をどう捉える?

「大阪都構想」住民投票は若者の政治参画を増進させる

[box05 title=”大阪都構想って?”]

大阪都構想(おおさかとこうそう)は、大阪で検討されている統治機構改革の構想。大阪府と大阪市(または大阪市を含む周辺市町村)の統治機構(行政制度)を、現在の東京都が採用している「都区制度」というものに変更するという構想である。 特に、
・大阪市を廃止し、
・複数の「特別区」に分割すると同時に、
・それまで大阪市が所持していた種々の財源・行政権を大阪府に譲渡し、
・残された財源・行政権を複数の「特別区」に分割する、

ということが記載された「特別区設置協定書」に沿った統治機構(行政制度)改革を大阪都構想と呼ぶことが一般的に多い。
(wikipediaより)
[/box05]

住民投票は市民にとっての生活が変わる投票だ。この機に住民は自分の住む地について改めて考える機会を得る。政治に関心が無い層であっても、自身の生活に直結するとなれば興味が湧く。本来どの選挙も生活を変える選挙であるし、トップが変われば方針が変わるのは当たり前なのだが、行政が急激な変化を遂げるとは誰も思っていないので「どちらにせよ変わらない」というイメージで投票行動にはなかなか繋がらない。

日本では、一定の地域に住んでいれば、6年間で市町村議会議員選挙、都道府県議会議員選挙、衆議院議員、参議院選挙、都道府県知事選挙、市町村長選挙、以上の6種類8回の選挙が行われる。衆議院解散はおよそ3年に1度、参議院選挙は3年に一度の改選がある。平均すれば1年弱に1度は選挙が行われる計算だ。選挙が数多く行われているはずなのに、なかなか投票率が上がらないのは何故だろう。

投票率が低いのは悪いことではないという指摘も

麻生財務大臣はある通信高校の特別授業で「政治無関心は悪いことじゃない」と語った。続けて「アフリカに2年ぐらい住んだことがあります。暴動が起き、えらい騒ぎでした。アフガニスタンや中近東など、ボール蹴飛ばして遊んでいたら地雷踏んで、というところに住む人がいます。そういうところに生まれちゃった子は間違いなく政治に関心があります。嫌でも政治に関心がないと生活ができないから」と海外と比較した。

主権者教育の必要性

ある国会議員経験者に聞くと「私は18歳選挙権への引き下げは反対だった。権利には義務が伴う。18歳のこどもに義務を果たせるだろうか。その当時「先生、お気持ちは分かります。ですが、主権者教育も徹底して行いますので先生の危惧するようなことにはなりません。」と官僚が説得に来た。私はそこまで言うならと賛成に回った。だが今の投票率はどうか。10代は30パーセント台だ。正直裏切られた気持ちだ。」と語った。

主権者教育とは、働くことの意義や税や社会保険といった負担を理解し、知識を蓄え、そして自らの政治参画を促していく教育のことだ。しかし、結果として主権者教育が行われていない世代の方が投票率が高い。現実として教育現場では主権者教育が十分にできていない証左と言わざるを得ないだろう。

主権者教育は行われているのか?

[box05 title=”総務省の説明”]平成23年度にとりまとめられた「常時啓発事業のあり方等研究会」最終報告書では、現代に求められる新しい主権者像として、「国や社会の問題を自分の問題として捉え、自ら考え、自ら判断し、行動していく主権者」が掲げられています。具体策として、「社会参加の促進」や「政治的リテラシーの向上」が求められおり、その一環として、「参加型学習」の必要性が提案されています。また、平成28年7月に、選挙権年齢が18歳以上に引き下げられてから初めての国政選挙として参議院議員通常選挙が実施されました。平成28年度に開催された「主権者教育の推進に関する有識者会議」でのとりまとめでは、主権者教育の考えられる方向性として、「身近な問題から社会問題まで、年代や環境に応じた題材により、考える力、判断する力、行動していく力を醸成する多様な取組が求められる」としています。(https://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/news/sonota/gakusyu/index.html)[/box05]

現実は先述したように投票率は急激に下がっている。主権者教育の難しさは当然あるだろうが、喉元通れば熱さ忘れるではないが、改めて教育を考え直す必要があるのではないか。

教育に多様性がない

日本の教育は画一性があり、どの学校に行っても最低限の教育が受けられることはメリットだろう。その一方で教育に対する多様性があるとは考えにくい。その原因は教育界に新陳代謝が行われないことだと私は考えている。現在、教育委員会は政治から独立しており、首長が任命権を持ってはいるものの形式的なものである。弊害は既に起きており「大津いじめ事件」では教育委員会の隠蔽体質を発覚させた。政治的独立は分かるが、組織内の風通しが悪くなっている。教育委員・委員長は罷免されるリスクを負うべきだ。

政治・歴史を教育するとき、教育者は自分のポジションが中立であろうとする。(実態として中立であるかは置いといて)しかし、私は政治的な中立性を保つ必要はないと考えている。自分のポジションを明確にし、両翼からの視点を展開することが生徒にとって一番良いのではないだろうか。

https://atomic-temporary-151149301.wpcomstaging.com/2020/09/26/chibakentiji/

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日本が考えるべき現代公教育の3つの問題点

日本が考えるべき現代公教育の3つの問題点

今日は日本の公教育に関する3つの問題点について書いていこうと思います。

シルバー民主主義は若い世代の将来を潰している

日本の教育は問題だらけというのが現状です。

では、具体的にどう問題があるのかということを整理したいと思います。

まず、日本はシルバー民主主義であるという点です。

高齢者扶養率というデータがあります。

このデータは、15歳以上の年代の人口に対する65歳以上の高齢者の人口の比率を表したものですが、2016年のデータでは約44%となっています。

44%は高齢者の人口に占める割合としてかなり大きく、政治家が訴求するには無視できない比率です。

しかも、若い人は投票に行かない上、社会的地位や貯蓄額も低い傾向にあります(組織票や献金に繋がらない)。

結果的に政治家は若い人の意見より高齢者の意見を聞き、予算もそれに応じて配分されるという結果になっているのです

1990年には47兆円だった社会保障給付費は2017年には114兆円に増大しています。

現状、高齢者の生活を安定させるという仕事は政治家にとって最重要最優先のタスクとなっていると言っても過言ではありません。

それに比して教育費は軽んじられ、合計では増加の推移をしているものの日本の公的教育のGDP比は3.47%であり。低い水準となっています。

2017年現在、アイスランドは7.71%、デンマークは7.63%、スウェーデンノルウェーは7.55%と、やはり北欧諸国は高水準です。

また、フランスは5.46%、イギリスは5.54%、ドイツは4.81%、アメリカは4.99%と、日本はG7諸国の中でも低い水準にあるとわかります。

 

このように、日本の公的教育費GDP比は低水準に止まったままで、成長や増税による税収増は教育に全く反映されていないという現状なのです。

 

若い世代がいくら頑張ってもその世代にお金は使われず、お年寄り世代にお金が流れていく構造ができてしまっていると言えるでしょう。

親によって将来が決まってしまう子供達〜教育格差について〜

「親によって将来が決まってしまう子供達」が社会には存在します。

「正確には親の経済状況によって将来の選択肢が狭まってしまう子供達」の事です。

子供の教育にはお金が掛かる

まず私自身の話をしたいと思います。

私は現在親からの支援を頂き、大学に通わせてもらっています。

大学4年間在学するための費用は数百万円

とても今の私に払えるものではなく、小学校の頃から含めれば何千万という莫大なお金・時間・愛情をつぎ込んでくれました。

本当にありがたいです。感謝の言葉がつきません。

しかし、小中までは良いとしても、誰もが高校・大学の何百万円という学費を払えるというわけではありません。

公立高校から公立大学に通っただけでも2000万円以上の養育費(食費等含め)が掛かると言われています。

当然、大学に行けるか行けないかも親の収入に関わってきます。以下のようなデータがあります。

  • 年収200万円以下の場合、大学への進学率は28.2%
  • 年収400万円の場合は43.9%
  • 年収600万円の場合は49.9%
  • 年収800万円の場合は54.8%
  • 年収1000万円以上の場合で62%

2015年 日本労働組合総連合会より

親の年収によって教育を受けられるかどうかの幅も狭まってしまうのです。

学歴によって生涯賃金が変わるという事実

こちらのデータを見てください。

  • 男性の学歴別生涯賃金(退職金)
大学卒 286,532,740円
高専・短大 239,717,440円
高校卒 240,064,980円
中学卒 197,715,080円

※図4 男性の学歴別生涯賃金

 

  • 女性の学歴別生涯賃金(退職金)
大学卒 235,788,500円
高専・短大 201,250,480円
高校卒 184,106,620円
中学卒 148,085,240円

※図5 女性の学歴別生涯賃金

賃金データは厚生労働省・平成28年賃金構造基本統計調査から、

退職金データは平成25年就労条件総合調査から推定

 

『高卒と大卒の生涯年収の差は約5千万円ほど開き、中卒と大卒では8千万円以上の差が開いています。』

NIKKEI STYLE/マネー研究所より引用

その結果は新卒市場に乗れるかどうかや社会的な信用を得やすい等様々な要因によると思いますが、学歴によって生涯賃金が変わってしまうというのは相対的な事実としてあると思います。

親の年収によって子供が高学歴になれるかどうかが決まり、生涯賃金が決まってしまうという負のスパイラルに陥ってしまっているのです。

子供の人生は親で決まってしまう部分がどうしてもあります。

やっぱり稼ぐ事は大事

「人生はお金じゃない」と思うかもしれませんが、お金があるに越したことはないしお金がある人の方が統計的に幸せであることを示す研究結果もあります。

加えて、稼いでくれないともし政府が年金が払えないという事態になった時に生活の保障ができませんし、社会保障を維持を維持するために必要な税収も増えません。

国民の生活は50、60年後に「詰み」になる状態にきているのです。

今からでも、誰でも質の高い教育を受けられるようなシステムを整えなければなりません。

理想論かもしれませんが、やらないと日本は本当に詰んでしまいます

今の教育に必要なことはお金を稼ぐための教育だ

最後は、「今の教育はお金を稼ぐための教育になっているのか」ということについてです。

そもそも教育の目的とは何なのかということから、最適な教育内容はどんなものなのか、について考えて行きたいと思います。

そもそも教育は何のためにあるのか

さて、そもそもの話ですが、教育はなんのためにあると思いますか?

まず思い浮かぶのは「子供達が将来豊かに暮らすため」という目的です。

しかしまた、教育には投資という側面もあります。

教育という投資を受けた子供達が将来労働をする。

そのことによって、親にとっては老後を支えてくれたり、政府にとっては将来の納税者になってくれたりするという側面があるのです。

このようなデータがあります。

  • 大卒者・院卒者一人当たりの費用便益分析(平成24年時点 試算)
費用
(大学・大学院卒業者の公財政への貢献)
2,537,524円
便益
(大学・大学院卒業者の公財政への貢献)
6,084,468円
一人当たり効果額 3,546,944円

上記の国立教育政策研究所の研究によると、日本が大学教育に掛ける1人あたりの費用と便益(税収増加や失業給付額の抑制、犯罪費用の抑制等によるもの)はそれぞれ250万円と600万円になり、差額の350万円は大学教育の社会的効果として示されているのです。

要するに1人が大学に行けば政府は350万円を将来獲得することになります(高卒者と比べ約2.4倍の効果)。

この投資が成り立たなくなれば負債となってしまい、次の若い世代に負担がのしかかってしまいます。

なので、公教育を改善しようとする時は、子供の幸福と同時にどういう教育内容であれば将来の投資になるのかを考えなければなりません。

少なくとも、政府による財政出動や社会保障を維持しなければいけないという仮定がある限りはそうせざる得ないでしょう。

では、お金を稼ぐために必要な事とは何なのか?

お金を稼ぐとは主に仕事をすることです。

つまり、教育の目的をお金を稼いでもらうこととするなら、教育は最低限の教養を得る事と同時に仕事ためにあるべきものなのです。

経営コンサルタントのゲイリー・ハメル氏は、ビジネスにおける能力ピラミッドを以下のように示しています(1が下で6に近く程上になる)

能力ピラミッド

1・従順 最底辺は「従順」。毎日欠かさず出勤して、指示通りにルールや手順すべてに従うこと。
2・勤勉 仕事を途中で投げ出したりせず、優れた成果を出すことに責任をもち、骨身を惜しまずに働く。
3・専門性 知性あるいは個人としての力量。
しかし、こういったものは、インドでも中国でも低開発諸国でも獲得できるので、これから企業が生き残っていく競争力としての源にはならない。
4・主体性 主体性を持った人材は、課題や機会を見て取るとすぐさま行動を起こす。
職務説明書に縛られる指示待ち族とは違い、生まれつき積極性を備えている。
5・創造性 常識に挑戦する意欲を持ち、いつでも素晴らしいアイデアはないかとよその業界の様子を探るような、そんな資質である。
6・情熱 仕事の使命、社会をよい方向に変える手段と捉える姿勢である。
彼らは仕事に自分のすべてを傾ける。

日本人はこれらの能力をどのくらい持っているのでしょうか。

日本人は従順性、勤勉性は異論なく付いていると言えると私は思います。

日本の教育は特に小中で従順さが求められ、大学教育で勤勉さが求められます(ただ、逆に日本人は怠け者だとする意見もあります)。

専門性は微妙です。日本は、専門的な教育は高等学校から行い、大学教育も特に文系では仕事の内容とピントがずれてることがあります。

主体性、創造性、情熱については小中の教育で特に不足していると感じる人は多いです。

日本では基本的にカリキュラム以外のことは教えません。

ディスカッションが少ないため主体性を持って何かを選択することもないし、創造性を持って問題に回答するということは少ない傾向にあります。

説明に従順性、勤勉性、専門性は発展途上国でも得ることができると書いてあります。

発展途上国のように比較的教育レベルが低い国でも確答する能力を身に付ける事ができるということは、先進国の日本で身に付けられるのは当たり前とも言えます。

つまり、日本において、教育では、主体性、創造性、情熱が改善・強化しなければいけない課題と言えるのです。

もちろんこのことは問題とされ、今までの教育界では様々な改善策が練られてきました。

中でも「ゆとり教育」は数々取られてきた近年の教育対策の中で一番賛否が沸き起こったものだと言えるでしょう。

政府の対策「ゆとり教育」

「ゆとり教育」とは、簡単に言うと「個性重視の考えのもと、これまでの追いつき型(詰め込み型)教育の見直し」をしたものです。

要するに先ほどのピラミッドで言う4、5、6の能力(主体性・創造性・情熱)を上昇させるような授業を増やし、学習量や競争性を減らそうという取り組みです。

その結果、ご存知の方も多いと思いますが、「ゆとり教育」がピークの時に日本は国際的な学力が低下しました。

OECDの学力調査(PISA)では正答率が低下し、国際数学・理科教育動向調査 (TIMSS)でも日本の数値は低下しています。

これが批判され、ゆとり教育見直しのきっかけとなったのです。

ゆとり教育は学習量や競争性を緩くし思考力を上げるという考え方ですが、そもそも日本の教育は脱落者が一定数存在するという問題があります。

教育七五三と言い、高校で7割・中学で5割・小学校で3割が落ちこぼれるという現実があるのです(高校までに実に半数以上が落ちこぼれになる)。

日本の教育ではこうした「落ちこぼれ」へのケアができてないにも関わらず、「ゆとり教育」によって学習量や競争性減らしてしまいました。

国際的な学力低下に繋がるのも頷けます。

とはいえ一方で、「ゆとり教育」によって不登校の学生が減ったと言う精神的なメリットや、「国際的なテストの正答率が減ったからと言って学力が低下したと言えるのか」という疑問の意見もあります。

事実、総合的な学習の時間を始めとした思考力や問題解決能力を育ませるための授業や勉強内容を選択科目にしたことがプラスに寄与したのは予想に難くありません。

現在そうした事情を受けつつ、政府は「脱ゆとり教育」「センター教育廃止」などの詰め込み型教育を復活させ、最低限現代に合わせた路線に根ざした教育改革を行なっています。

しかし、政府が変えられることには限りがあり、「子供には〜を学ばせて欲しい」と言う教育関係者、教育委員会、親の意見を聞かねばならず、抜本的に変えられないのは事実です。

今、真剣に教育内容について議論すべき時が来ていると思います。

どんな教育内容が最適か

それでは、どんな教育内容が子供の幸福になり、将来の投資(稼いでくれること)に繋がるのか考えていきたいと思います。

ピラミッドの話に戻りますが、これからの時代ピラミッドにおける3〜6(専門性、主体性、創造性、情熱)の重要性は強まっていきます。

これは明確に数値を出せませんが、日本は仕事に必要なことを学んでいないという点と不必要なことを学んでしまっている部分が多いと思います。

その例を3つ程挙げてみたいと思います。

まず、日本社会は言うまでもなく「民主主義」であり「資本主義」です。

「民主主義」と「資本主義」。つまり政治経済については、公民の高等教育の選択科目で基礎的な理論しか教えられません。

世の中の仕組みを全く知らずに社会に出てしまっているのです。

基本的な社会の仕組みを知らなければ、間違ったことをしても気づきにくくなってしまいます。

次に、ビジネスに必要なこととは何か、意見が分かれますが、ビジネスで重要性が増しているofiiceやプログラミングについて小中で深く教えられることはありません。

これは専門性を強めるために必要なことです。

最後に、古文や漢文などの仕事、ビジネスにおいて必要性のないことも教えられています。

もちろん無駄とは言いませんが、子供の将来を考えて優先順位をつけるということが必要だと思います。

選択科目化あるいは時間量の縮小をすべきなのでは無いでしょうか。

まとめ

以上、今の教育に必要なものは何か、という事を述べてきました。

みなさんは今まで行われた教育改革をどう評価し、日本の教育をどのように変えるべきだと思いますか?

是非、あなたの意見をコメント欄に書いて教えて下さい!

 

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受験至上主義教育は正しいのか〜教育の本質を考える〜

受験至上主義教育は正しいのか〜教育の本質を考える〜

今回は受験至上主義教育が間違っているのか、昨年度まで受験生だった僕が考察していきたいと思う。

受験至上主義教育の弊害①主体性を失う

現在の入試制度のなかでは、受験で結果を残すためには暗記をすることが何よりも重要とされている。
漢字や社会科目の用語、英単語のような単純暗記だけでなく、数学の解放、英文法などの理解型暗記を求めるものもある。

これらに共通して言えることは、与えられたものを身につければよいということだ。
確かに、多くの人が工場労働者であった時代などには、与えられたものをこなすということだけで何とかなってきたかもしれない。

しかし、現代は答えのない事の解決を求められることが多いように思える。その点に関しては、受験だけで教育が終わってしまうのは、よくない事だと思う。

受験至上主義教育の弊害②多様性の欠如

多くの受験生は同じ指導要領にのっとった指導を受け、同じ共通テスト(昨年まではセンター試験)を受ける。生徒自信が学びたいことよりも、決められた受験に出る範囲を学ぶことに終始しているという受験生が多いと思う。

自分も大学生になっていろいろな活動をし、いろいろな人と出会うようになるまでは、勉強といえば受験に向けた勉強以外はほとんどしたことがない。

生徒それぞれが自分の学びたいことを学ぶ、少なくとも自分が学びたいことを探す、そういった時間を学校教育は提供すべきである。

受験至上主義教育の弊害③体力的・精神的ストレス

人生に1回~3回ほどしかない受験は、人生の大きなターニングポイントとなる。

親・教員・塾の先生など周りの人からも勉強しなさい、勉強しなさいと言われながら育った人も多いと思う。
実際に、自分が教育業界でアルバイトをしている中で、受験勉強に対して主体的に取り組もうという意欲はないが、周りの人からのプレッシャーによって大きなストレスを感じている人も少なくない。

自分も、受験期には、あまり周りから勉強しろとは言われていないが、模試の成績であったり、寝不足などから精神的・体力的なストレスを感じた。

もちろんそういった困難と向き合うことによって成長することができるとは思うが、全員が全員、立ち向かう壁が受験である必要があるのか疑問に思っている。

受験が自分にもたらしてくれたもの①努力をすることの尊さ

今度は、逆に受験を通して自分が得たものについて、書いていこうと思う。

受験を通して一番学んだことは、努力をすることの尊さである。受験勉強をしていると、自分の周りでも休み時間は全部勉強している人がいたり、夜遅くまで勉強している人がいたり、とても努力をしている人がいることに気づく。

その人たちは入試で結果が出なかったとしても、受験期にとても成長していたような気がする。
自分が頑張りたいことが見つかってない人に、努力をする機会を与えている事はいいことなのかもしれない。

受験が自分にもたらしてくれたもの②仲間

受験を通して、同じように受験に真剣に取り組もうと思っている人とつながることができた。
休み時間や放課後に一緒に勉強をした人やお互いに質問しあっていた人との仲間意識があり、今でも相談事などをしたりする。

そういった画一的な目標があるということにより、つながれた仲間がいるということは、受験が人々に与えてきた最大の産物だと思う。

受験主義教育は必要なのか

上述したように受験によって得られるものもあれば、受験主義教育の弊害もある。

よく、受験のための勉強は社会に出ると役に立たないといわれることがあるが、僕は受験を通して人間的に成長することができたと思っている。
だから、自分にとっては受験を経験してよかったなと思っている。

しかし、今のように特殊な職業につかない限りは、学歴が重視される社会はどうかと思う。

受験をする人数、大学進学する人数は減らしていかなければならない。

正直、就職するために仕方なく大学に行くという人も多く、そういった人の中で、受験勉強もまともにしない人が大学に行くの必要はあるのだろうか。

受験主義教育を是正するには①雇用の流動化・最適化

大学受験をする人の多くは、就職のためという人が多いと思う。
ということは、教育を変えるには採用を変えることが必要不可欠である。新卒一括採用から流動的な雇用に移行していくことにより、学歴だけで人を見て採用をするという現状が少しは改善されるのではないか。

そうすることにより、雇用が最適化され、人生を再チャレンジする、学びたいときに学べる、そんな社会の風潮を作ることができるのではないだろうか。

受験主義教育を是正するには①大学の数を減らす

大学の数が多すぎるのではないだろうか。

正直資格の合格率などを「売りにしている大学もあるが、資格試験は予備校でやればいいのではないだろうか。大学の数を減らして、大学はアカデミックなことに集中し、資格対策などは予備校などが追えばいいのではないだろうか。

就職予備校でしかない大学は統廃合によって減らしていかなければならない。

最後に

現在の受験至上主義教育によって、学校現場・子供たちは疲弊してきている。
もちろん、受験を経験することによって得られるものは多いため、受験をなくすべきとは思わない。

しかし、受験をしなくても自分のやりたいことをできる可能性はあるというように、多様な選択肢があるような社会にしていくべきではないか。

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学校をつくりたい!

学校を作りたい~大学生が思い描く理想の教育~

どうして学校をつくりたいのか

学校をつくりたい!とは言ったものの、私は学校をつくること自体が夢というではありません。
その先にあるのは「学校教育を変えたい/教育改革を起こしたい」という夢です。
今の日本の学校教育にはもちろんいい所もありますが、改善すべきところもたくさんあると思います。
学校教育を変えるためには
・文部科学省を乗っ取る
・教育委員会を乗っ取る
・先生になって現場に出る

などありますが、上の2つは非常に実現可能性が低いでしょう(笑)
乗っ取るまでしなくとも、文科省や教育委員会に入って順当に出世し、教育を変えるほどの地位になるには膨大な時間がかかります。
そこで私が考えたのは、学校をつくり良い結果を残すことで影響を与えていくというボトムアップ型の改革です。
学校自体ををインフルエンサーにしてしまおうという考えです。
なので私と同じような考えの学校やもっと良い学校があったら学校は作らずにそこに協力させて頂こうと思っていますし、夢を実現できる新たな方法があったらそれを実行しようと思っています。
学校をつくることにこだわっている訳ではなく、あくまでも目標を達成するための手段であるということです。

私が思い描く理想の教育

①様々な学習スタイルを可能にする設備

https://note.com/little_tonttu/n/n44cdd63cada3より引用)
日本ではみんなが同じ場所で同じ机と椅子で勉強することが当たり前となっています。
背も集中力もなにもかも違うのにどうして同じ環境で勉強しなければならないのでしょうか。
生徒一人一人が1番集中できる形で勉強して欲しい。
なので普通の机だけでなく立ったまま勉強するための机、バランスボールやマット、個室からミーティングスペースなどといった学ぶ場所を選択出来るような設備を整えたいと思っています。

②Diversity Class

https://www.ikumama.info/entry/chiiku_4より引用)
私は今の学校でいじめが起きているのは、違いを認めることが出来ないからだと思っています。
違うということはむしろいい事なのに日本ではそれはいじめの対象となります。
そして違いを認めることが出来ないのは、私たちが「違う」ということに慣れていないからだと思います。
日本は移民が少なく、学校に在籍する生徒のほとんどが日本人という学校が多いと思います。
そうなると学校が社会そのものである学生たちは、普段から大きな違いに触れる機会が極端に少ないということになります。
だから私は人種、国籍、障害の有無や年齢、性別を越えた様々な人たちを同じクラスにしたいと考えています。
私はクラスにこだわりがあります。
なぜ、クラスにこだわるかというと中学時代、クラス単位で行った行事が良い意味でも悪い意味でもとても印象に残っていて、色々なことが勉強できたと思っているからです。
しかし行事等の参加の強制はせず、やりたいと思う人が全力で打ち込めるという環境を作りたいと思っています。

③大学のような単位制の学校

https://illust-imt.jp/archives/005410/より引用)

学校という場所は6歳で小学校に入学してから、一日の生活の中で多くの時間を過ごす場所です。
そして学校で過ごす時間の中でも最も大きな割合を占めるのは授業です。
その時間をつまらない、退屈だと思いながら過ごすのはあまりにももったいないと思います。
また、学校でする勉強はつまらないもので、それを耐えて過ごすことに慣れてしまっているから、社会に出た時につまらない仕事をし続けるということに抵抗がないのかなとも思っています。
仕事もまた学校と同じで一日のうちで最も多くの時間を過ごす場所の一つです。
なのに帰ってからのビールや休日のために働くなんてもったいなすぎるとは思いませんか?
そんな状況を変えるためにも、たくさんのコンテンツの中から自分がワクワクする、学びたいと思うような科目を選べるようにしたいと思っています。
また政治教育や金融教育も導入したいと考えています。
自分のワクワクを大切にして、好きだ!とか興味がある!と思うものを見つけて欲しいし、それを極めて欲しいです。
好きな物を極めた人達が日本にあふれたらそりゃもう日本凄いことになると思いませんか?
5教科など基本的な科目ももっと楽しくかつ効率よく学べる方法はあると思うし、効率よく学べれば他に使う時間もできます。
学ぶことは苦痛だというイメージを植え付けない学校にしたいと考えています。

さいごに

私は小学生高学年ごろから高校2年生の頃まで夢はありませんでした。
そんな私が夢を持ち、夢を口に出来るようになれたのは夢を持つ同年代と挑戦し続ける背中を見せてくれたかっこいい大人のおかげです。
自分もあの時のようなかっこいい大人になりたいと思っています。
自分のために周りのために何かを生み出す人になりたいと思っています。
自分のこの記事をみて少しでも何かを感じてくれたら幸せです。
興味を持ってくださったり、話してみたいと思ってくださった方、TwitterのDMなどでお待ちしております!
応援よろしくお願いします。

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【オンライン教育】アフターコロナの教育を考える

【オンライン教育】アフターコロナの教育を考える

コロナを機に話題に

今年3月、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため休校措置がとられました。以前から映像授業やオンライン授業などを行っていた学習塾もありましたが、休校措置により、学習塾のみならず、学校教育にもオンライン教育を求める声があがってきました。
しかし現状では、休校期間中に宿題を出してそれをチェックするだけしかできなかったという学校もあったと聞いています。新型コロナウイルス第2波が来ると話題になっている今、オンライン教育について考えます。

オンライン教育の種類①映像授業

東進衛星予備校などで普及した映像授業。オンライン教育の中では、新型コロナ以前から広く取り入れられていました。対面の授業に比べて、一回の収録で多くの人を教えられる、僻地や田舎にも都会の優秀な先生の授業が受けられる、見返したり倍速で見たりということができるという利点があります。
優秀な生徒は自分のペースで進められ、効率的に学習ができるという反面、聞き流してしまう生徒が出てくる、生徒の反応を見ながら授業の内容・ペースを変えるということができない、授業をしてくれる先生に質問できないというデメリットもあります。
映像授業を取り入れる場合は、優秀なチューターをつけるなど、生徒が最適な授業動画を見れるようにする、生徒が聞き流したりしないように様子を見守る人をつけるなどの工夫が必要だと思います。

オンライン教育の種類②ビデオ会議ツールを使った個別指導

最近普及してきているzoomや以前からビデオ通話ツールとして有名であったskypeなどを利用し個別指導を行います。僕の感覚では、新型コロナを機に普及してきたような気がします。大手の家庭教師会社もここ数か月の間に参入してきているようです。対面の個別指導に比べて、帰宅時間を気にしなくてよいから遅い時間にも指導ができる、画面共有やホワイトボード機能を使いこなせれば躍動感のある授業ができる、僻地や田舎にも都会と変わらない水準の指導ができるというメリットがあります。
しかし、対面と比べて生徒との信頼関係が築きにくい、回線の不具合によりフリーズや音声トラブルが起こる可能性があるというデメリットがあります。
僕は、オンライン指導をしていますが、やはり生徒との信頼関係の築きにくさは感じます。しかし、実際に家庭に出張する家庭教師よりも多くの生徒を見れる、ホワイトボードなどの機能により対面の個別指導よりも番所の色分けがしやすいなどのメリットを感じています。

オンライン教育の種類③zoomなどを活用した集団指導

大学の講義などで多く取り入れられているビデオ会議システムを利用した集団指導。家にいながら授業を受けられるため空き時間を有効に使える、ブレイクアウトルームなどを活用し積極的なグループワークを行えるなどの利点があります。しかし、音声トラブルやミュートの解除などにより生徒に発言を求めるときに時間がかかる、回線に不具合がある人には参加しずらい、先生と生徒や生徒同士の距離が遠く感じ信頼関係が築きにくいなどデメリットも多いのが現状です。
僕は実際に大学の講義をzoomなどで受けていますが、正直分かりにくいなと不便に感じることやほかの学生との繋がりを作りにくいということを感じています。

オンライン教育の種類④参考書などの教材を使った自学自習を中心とした学習

近年、「日本初授業をしない塾」のキャッチコピーで知名度をあげている武田塾など、参考書などの教材を使った自学自習を中心とした学習が見直されています。上記のオンライン教育に比べ、比較的費用が掛からないといったメリットがあるほか、家やカフェだけでなく参考書の種類によっては電車の中などどこでも取り組める、自分のペースで取り組める、自分で能動的に取り組まないと範囲が進まないため生徒が主体的に取り組むことを期待できるといった利点もあります。
デメリットとしては、参考書で分からない内容があった場合、それを聞ける環境がないと分からないままになってしまう、未習の範囲に最初に取り組むハードルが高いなどのデメリットがあります。

筆者が考える最善のオンライン教育のあり方

僕は、神戸大学に向けて学習する中で参考書を中心に勉強しました。しかし、決して参考書の力だけで合格したのではなく、一緒に自習に取り組んでくれた仲間の存在や参考書で分からない内容の質問に答えてくださった先生方、学校の授業を聞くことによって身に着けた基礎知識が大きく合格に起因したと思います。
そこで基本的には参考書を中心にしつつも、最初のハードルを下げるための映像授業、分からない参考書の内容を理解するためのオンラインの個別指導を状況に合わせて取り入れる、それらを総合的にプロデュースし、モチベーションや参考書のペースを管理するアドバイザー的な人を一人一人につけるといった形が理想的なのではないかと思います。また、ディベートや理科の実験などはオフラインで行うほうが望ましく、一緒に学習する仲間づくりという点でもオフラインで会う機会にもしたいため、ディベート・理科の実験はオフラインで行うべきだと考えます。さらには、自習やオンライン指導を受けられる空間を町に作っていく(自然にできていく)ということも必要不可欠でしょう。
このように、現状の画一的で非効率的な教育よりも、一人一人の現状に合わせ、住む場所による教育格差が少ない教育を実現するためにアフターコロナの時代にもオンライン教育は取り入れられていくべきです。

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【ここがおかしい高校入試】夏休み前に考える入試制度のあり方

【ここがおかしい高校入試】夏休み前に考える高校入試のあり方

今回は、受験の天王山ともいわれる夏休みを前にして、去年まで受験生だった僕が高校入試とはどうあるべきか考えていきたいと思います!
僕自身は愛知県の公立高校に通っており、私立高校の入試や他の都道府県の高校入試に対しては、知識が足りないのかもしれませんが、自分が経験したこと、聞いたことをもとに問題提起をしていきます。

ここがおかしい高校入試①内申点制度が不明瞭

最初に、内申点制度について言及していきたいと思います。
中学生の皆さん、元中学生の皆さん、内申点がどういった基準で決められているかってご存じですか?通知表を見ると、教科ごとに3~5くらいの評価基準があり、それぞれの評定が書かれていることはあるかもしれません。しかし、宿題を一回忘れたら何点マイナスになる、テストの一点はどのくらい反映されているのかなどの細かい基準は知らない人がほとんどだと思います。
つまり、内申点は教員の気分でいくらでも変えられるということです。さすがに、気分で評定をつける先生は少ないとは思いますが、自分の部活動に所属している子や仲のいい生徒にいいようにつけてしまうのは、人間なら仕方ないと思います。また、もし学校側がテストの点数の入力ミスをしていたとしても、内申点という不明瞭な数字に変えられてしまったら、生徒・保護者側から間違いを指摘することは不可能に等しいです。内申点の評価基準の不明確さはこのままでいいのでしょうか。

僕は、このままではいけないと思います。生徒の人生を左右する入試に反映される以上もっと明確な基準が必要だと思います。そこで、内申点の判定基準の公表を求めます。内申点の評価基準を、宿題一回分は何点分として換算される、授業一回分の授業態度は何点分としてカウントする、それらの点数が何点以上何点以下の人は3といったように細かく公表すべきです。そして、希望した生徒には、自分の細かい点数を確認できるようにしてほしいです。そうすることによって、偏った判断基準の教員(教員ごとに判断基準を決めるということについても考え直さなければならないが)には、生徒・保護者からの抗議が起こり、透明性の高い、平等な入試に近づくのではないか。

ここがおかしい高校入試②公立高校の問題が一緒

これは、すべての自治体でそうではないし、私立高校の入試には関係のないことなのかもしれませんが、愛知県をはじめとする多くの都道府県では、公立高校は共通の問題(共通のレベルの問題)を出題しています。正直、そのような問題で、県内トップ校の受験生、あまり勉強が得意ではない子が行くような学校の受験生の実力が正確にはかれているとは思えません。
トップ校は、本当に簡単な問題をミスなくとける生徒がとりたいのでしょうか。そういった学校もあるでしょう。しかし、簡単な問題をミスなく解ける生徒よりも、難しい問題を思考力を使って解ける生徒、分からないと投げ出さずに一行でも自分の考えを書いてくる生徒を入学させたい学校も多いと思います。また、中学の内容は高校でやり直すから、小学校の内容が理解できているかを入試で確認したい学校もあるでしょう。公立高校でも、レベルや教育方針に応じて出題内容を変えるべきだ。

ここがおかしい高校入試③単独選抜の都道府県が多い

僕の地元愛知県の高校入試制度の最も大きな特徴である複合選抜。僕はとてもいい制度だと思っていますが、現在、ほかの都道府県では導入されていません。愛知県以外の都道府県では単独選抜という制度になっています。(一部例外はありますが、すべての公立高校を受験する生徒が併願できるのは愛知県だけです)
単独選抜とは、基本的には公立高校を1校しか受験できません。それに対して、複合選抜はふたつの入試日程があり、各日程で1校ずつ受験することができます(もちろんどちらかの日程しか受験しないこともできる)。複合選抜にすることにより、第一志望の高校に力が及ばなかったとしても、第二志望の公立高校に入学できる可能性があるから、多くの受験生は自分のレベルよりも一つ上の高校を受験することができます。そうすることにより、生徒の学習意欲が増加したり、難しいことに挑戦するといったマインドをはぐくむことができると思います。高校入試の先の大学入試や就職などで、そこではぐくまれたことは生かされてくるのではないでしょうか。
このようなことから、愛知県で導入されている複合選抜制度を全国的に導入すべきと考えます。

最後に

今回は、高校受験に対しての問題提起を3つの観点からさせていただきました。中学生(浪人生や学びなおしの人もいるけど)の受験生からしたら、高校受験はこういうものなんだと受け入れている人が多いのだと思います。だからといって問題をそのままにせずに、大人がしっかりと平等で透明性のある入試を受けさせてあげることが日本の未来を担う子どもたちのためになるのではないでしょうか。

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【部活動廃止論】現役大学生が考える弊害と代替案

部活動廃止論 現役大学生が考える部活動の弊害と部活動の代替案

今回は、部活動廃止論者の僕が、なぜ部活動を廃止すべきと主張するのか、部活動に変わる文化・スポーツ教育の枠組みをどうすべきと考えているのかをまとめていきたい。

部活動廃止すべき理由①教員の質の低下

まず、部活動が存在することにより教員の質が低下していると考える。

なぜなら、授業やクラスの運営に対してはあまりやる気はないが、部活動をやりたいから教員を続けているという教員が一定数いてもおかしくないと思うからだ。
しかし、そのような教員の個人のやる気のなさだけに責任を押し付けるのではなく、子供たちにスポーツを教えたい、文化を継承していきたいといった人たちを受け入れる体制ができていないことが大きく影響しているといえる。

僕は、部活動を廃止して、後ほど述べる新たな文化・スポーツ教育の枠組みを作ることにより、そういったスポーツ・文化を通して子供たちとかかわりたいという人たちが活躍できる場を提供することが大切だと考える。

部活動廃止すべき理由②授業への影響

部活動は授業に悪影響をもたらしているといえる。

部活動での負担により、授業中に寝てしまうなど、学業に支障が出てしまう事もあり得るだろう。(しかし、これは部活動以外の活動(塾や習い事など)によっても起こりうることであり、部活動だけを責めることはできない)
それよりもむしろ部活動によりできた生徒と教員の人間関係が授業や成績評価に悪影響を及ぼしている可能性について私は指摘したい。

例えば、授業中に自分が顧問をしている部活に所属している子ばかりに発言をさせることであったり、無意識のうちに進路にもかかわる成績評価を自分の部活の子に優遇してしまったりといったことが起こってもおかしくないだろう。

部活動廃止すべき理由③教員への負担

部活動は、残業に含まれない(に等しい)と言われており、教員にとって非常に重い負担となっている。さらに、その負担に応じた報酬が払われていないというのが現状もある。

「教員は部活動のスケジュールを組むことができ、負担が少なくなるように調節できるだろう」という意見もあるが、彼らも保護者や生徒の意向などに配慮しなければならず、自由に活動を減らしたりするというのが難しい。

部活の伝統や風習など、いきなり方向性を変えるというのは、生徒や保護者、OB、OGらの反発がある可能性もあり、権限があるとはいえ教師の一存ではどうしようもないのだ。

「活動量が多い部活動の顧問に配属された教員は多くの負担を強いられる」という伝統は、なかなか変わらないと思う。

部活動廃止すべき理由④生徒の選択肢を狭める

部活動が学校の枠で区切られてしまっているため、例えば、本当は野球がしたいのにうちの学校は野球部の顧問が厳しいからやめておこうとして、その子の野球をする選択を取れなくしてしまう、野球部が強い学校に行きたいから偏差値があまりよくない学校に行く選択をしてしまうなどといったことが考えうる。

部活動と学校が同じ枠組で区切られているがゆえに、生徒が選択肢を狭められてしまっていると思う。

部活動廃止すべき理由⑤合わなかった集団から抜け出せない

もしクラスが合わなかったとしても、一年たてばクラス替えがあり、集団が変わり、毎年やり直せるチャンスがある。しかし、部活動は二年半同じ集団に所属し続けなければいけない。

いやなら部活をやめればいいという人もいるのかもしれないが、部活動のコミュニティがクラスの中でも強かったり、学校から部活動に所属することが強制されていたりということがあり、なかなかやめられないというのが現実である。

部活動廃止すべき理由⑥学校内のコミュニティに縛られてしまう

高校時代に、部活動が学校内・クラス内でも大きな影響力を持っているとを感じることが多々あった。

仮に、部活動が存在しなかったら、多くの人が学校外でのコミュニティを作ろうとして、人間関係の軸を複数のところに置くことが出き、いじめ問題なども起こりにくくなるのではないかと思う。

学校のコミュニティを超えた文化・スポーツ教育の新たな枠組みの構築

僕は、部活動を廃止さえすればいいとは思っていない。

自分自身も中学時代は野球部に所属していた。白球を追いかけた日々が仲間の大切さでや努力の尊さを教えてくれたことは否定しようがない。しかし、小学校の頃に所属していたドッジボールのクラブチームや、保育園のころからずっと所属している空手道の会から学ぶことは、同じくらいたくさんあったと思う。

文化・スポーツを通して学ぶことは多いとは思うが、なぜ学校の枠組みに縛られなければならないのだろうか。僕は、学校のコミュニティを超えて新たな枠組みを作るべきだと思う。
学校単位ではなく、学校間の壁をなくして、自由な枠組みの中でクラブチームや習い事を行うべきではなかろうか。

まずは、部活動の大会として開催されているインターハイ・甲子園が学校単位の部活動だけでなくクラブチームでも参加できるようにするところから始めてはどうか。

新たな枠組みを作ることによるメリット

まず、一人が選べるスポーツクラブの数が一種目ひとつから同じ種目の中でも複数から選べるようになり、体罰などが蔓延しているクラブは人が集まりにくくなり、体罰を減らすことに繋がるかもしれない。
また、学校という狭い空間の中で狭まっていた視野が、学校の壁を越えた枠組みを構築することにより、広い視野を持った人が育つのではないかと思う。
学校とクラブチームがそれぞれ独立することにより、学校を学問や教育方針により選ぶことができるようになり、教員がクラブチームの人間関係により偏った見方を学校現場に持ち込むことを防ぐことができる。

部活動は廃止すべき!

以上のことから、僕は部活動を廃止すべきと思う。かといって、文化・スポーツをないがしろにしてよいというわけではない。新たな枠組みを作り、文化・スポーツ教育の推進と閉塞的な學校現場に流動性をもたらすべきだ。

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