第一次世界大戦前のイギリス外交政策「3C政策」を解説します。
今回は高校生で習う世界史用語をわかりやすくまとめました。
キーワード解説:3C政策
イギリスの「3C政策」とは
3C政策はインド洋の支配を目指したイギリスの帝国主義政策のことです。
イギリスが抑えたケープタウン、カイロ、カルカッタの頭文字を取って3Cと呼ばれています。
19世紀後半、ヨーロッパ諸国の覇権争いは激化していました。
各国が、自国の植民地を拡大することに奔走していた時代です。
アフリカへの進出を進めていたセシル・ローズによって、イギリスは植民地を広げていきます。
その後、南アフリカやエジプトを支配しました。
また、インドを支配下におくことにも成功し、インド洋を支配することで海洋進出にも成功します。
南アフリカのケープタウン、エジプトのカイロ、インドのカルカッタを結ぶインド洋を挟んだ大きな三角形地帯をおさえました。
3B政策との違いは?
イギリスの3C政策に対抗して行われたドイツの帝国主義政策が3B政策です。
ドイツは植民地を求めて中東支配に乗り出しました。
バグダード鉄道を建設してドイツ本国と中東を結ぶことを試みます。
そのバグダード鉄道が通るビザンティウム(現在の名前はトルコのイスタンブール)、イラクのバグダード、ドイツのベルリン、この都市の頭文字を取って3B政策と呼ばれています。
中東の支配権を巡ってイギリスの3C政策やロシアの南下政策とぶつかり、各国の緊張が高まりました。
3C政策 地図

3C政策、3B政策の拠点となった都市を結ぶ地図です。
カイロとカルカッタを結んだイギリスの帝国航路(エンパイア・ルート)が3B政策と衝突しています。
最後に
今回紹介したイギリスの3C政策を皮切りに、ヨーロッパ各国が陣取り合戦を激化させていきました。
この流れが第一次世界大戦へと発展していくこととなったのです。