【緊急事態条項】コロナ対策で再び議論されている自民党の改憲案を解説!

中国武漢市での感染拡大を皮切りに、世界中で新型コロナウイルスが大流行。

日本国内での累計感染者数は75万人を超え、世界では1億7千万人と、2億人に迫る勢いで感染が広まっています。(2021年5月末現在)

そんなコロナ禍で「緊急事態条項」というワードが話題となっています。
今回は、「緊急事態条項」とは何なのか、成立すると何が変わるのかを解説します。

コロナとどのような関係があるのでしょうか。

緊急事態条項は憲法改正案の1つ

緊急事態条項は、2012年に自民党が発表した4つの憲法改正案の1つです。

災害や戦争が起きた際、内閣が直接法律と同じ効力を持った政令を出せることを定めた内容です。

普通、法律は国会で可決した後に初めて効力を発揮します。これは日本国憲法によって決められており、権力者が暴走して独裁的な国の運営がされるのを防ぐためのものです。

日本国憲法では、法律や政令が効力を持つためには国会の承認が必要だと明記されています。

また、憲法は「最高法規」つまり、全ての法律の上位に存在するものです。

憲法を変えずに緊急事態条項を制定しても、効力を発揮すると憲法違反になってしまう状態なのです。

そのため、自民党を中心とした憲法改正案の1つに盛り込まれています。

海外では採用されている?

緊急事態条項ですが、海外ではどのような形で採用されているのでしょうか?

ドイツ

ドイツには緊急事態条項が存在しますが、発令時にどのような対応となるかが明記されています。
これは、第二次世界大戦時に権力が集中したことの反省だと言われています。

「緊急事態を発令した場合にどうなるか」というところまで、個別の法律で規定されているのです。
つまり、発令時されると「A法はこのように変わる」「B法は効力がなくなる」など、細かい法律があります。

アメリカ

アメリカは大統領の権限が非常に強い国です。
戦争の手続きや非常時の対応も原則として大統領ができます。

ブッシュ政権がイラク戦争を決断した際に国家緊急権が話題となりました。

韓国

韓国では1970年代後半まで、大統領が非常事態を乱用する歴史が続きました。

立憲政治を正常化するために、憲法裁判所が緊急措置を慎重に審査することもあります。
しかし、汚職や私権の乱用などで大統領が逮捕される例はいまだにあります。

緊急事態条項の成立で何が変わるの?

緊急事態条項、賛否両論を呼んでいます。

【メリット】賛成派の意見

日本国憲法には、国会が機能しなくなるほどの非常事態時を想定した記述がありません。
大災害や戦争が発生した時には、一瞬の判断に大勢の命がかかっています。

そんな非常事態に国会を招集し、法案の成立を待つという従来の方法では、潜在的に国益を損ねる可能性があります。

特に国防に関しては、首相の一言で自衛隊を動かせるような仕組みがなければ非常事態の初動が遅れてしまうかもしれません。

【デメリット】反対派の意見

緊急事態条項が成立すると、首相の権限で国民の行動を制限することができます。

仮に私的な理由でこの権限を行使するような首相が現れた場合、国がファシズムの流れに傾いてしまうのではないかという懸念があるのです。

さらに、現行の憲法でも非常事態に十分対応できるとの考えもあります。

例えば、2012年には新型インフルエンザ対策特別措置法、2020年にはコロナ特措法を制定しました。
この法律によって債務支払いなどの延期がなされました。

この措置は、災害対策基本法にしたがって盛り込んだ内容であり、現行の憲法でもなんら問題はないとする意見もあります。

緊急事態条項とコロナの関係

新型コロナウイルスの感染拡大に伴って、緊急事態条項が必要だという声が再び上がりました。

先ほど解説したように、国会は、2020年3月にコロナ特措法を制定しています。(正確には、新型インフルエンザ対策特別措置法の一部をコロナにも適応しました。)

これによって私権の制限が一部可能になりました。

緊急事態条項の制定賛成派は「医療体制の脆弱さ」を訴えています。

一方で、護憲派は「憲法が問題なのではなく、憲法を遵守しようとしないことが問題だ。」と主張しています。

「国民の生活よりもオリンピックを優先することは、憲法25条、生存権で明記されている生活の保障をしていないなではないか?」

との声も上がっているのです。

緊急事態条項の賛成派・反対派、双方からさまざまな主張が飛び交っているように、「コロナ」とは切っても切れない関係があります。

まとめ

日本国憲法制定から70年以上が経過しています。

これは、改正されていない憲法としては世界最古のものです。

「憲法」は国民の権利を守るために存在します。

そのために改正が必要なのか、現行の憲法を保持すべきなのか、どちらの立場であってもその目的と意義を理解した上で考えることが大切です。

【女性対決!】山形県知事選挙を解説

山形県知事選挙 女の戦い

候補者紹介

大内 理加(オオウチ リカ)

オフィシャルサイトより引用

プロフィール

1963年 山形市生まれ

1976年 山形市立出羽小学校 卒業

1979年 山形市立第七中学校 卒業

1982年 山形県立山形西高等学校 卒業(陸上部キャプテン)

1986年 (株)山形テレビ報道制作局制作部勤務(番組ディレクターを務める) 同志社大学文学部 卒業

2007年 山形県議会議員初当選(以降4期連続当選、過去2回はトップ当選)

2011年 自民党県連幹事長代理 自民党県連女性局長

2018年 自民党県連総務会長

大内りかオフィシャルサイト

主張する政策

①他県より10年は遅れている 交通インフラの整備

②役割分担による 質の高い地域医療体制の構築

③水準が低下している 「教育県山形」の復活

④災害の被害を最小限にする 県土強靭化

吉村 美栄子(ヨシムラ ミエコ)

オフィシャルサイトより引用

プロフィール

1951年 山形県西村山郡大江町出身

1970年 県立山形西高等学校卒業

1974年 お茶の水女子大学卒業

1974年 リクルート勤務(昭和52年まで)

1981年 子育てしながら行政書士の資格を取得

1998年 山形市総合学習センター勤務

2000年 自宅にて行政書士事務所開業

2001年 山形県知事選初当選現在3期目

吉村みえこオフィシャルサイト

主張する政策

①県民総活躍

②産業イノベーション

③若者の希望実現

④健康安心社会

⑤県土強靭化

自民党vs野党連合の戦いへ

任期満了に伴う知事選は来年1月7日の告示(24日投開票)まで1カ月に迫った。立候補を表明したのは現職で4選を目指す吉村美栄子氏(69)=山形市=と、新人で元県議の大内理加氏(57)=自民推薦、同=の2人。12年ぶりの選挙戦で、県政史上初の女性同士による一騎打ちとなる可能性が高い。両陣営とも組織体制をほぼ整え、支持獲得に向けたせめぎ合いを繰り広げている。  吉村氏は10月25日の記者会見で4選出馬を正式表明した。県民党を掲げ、政党推薦は求めない方針だが、立憲民主、国民民主、社民の各党県連が自主的支援を決定。連合山形や県農協政治連盟などが推薦する。県内全域に張り巡らせた約90の後援組織に加え、今月2日に若手社会人による新たな組織も発足させ、幅広い世代への浸透を図る。(引用:山形新聞

どちらも無所属で臨む様子ですが、大内候補には自民党、吉村候補には立憲・国民・社民などが支援を決めています。

公明党は大内さんの支援を検討しており、実質的な与党vs野党の戦いになりそうです。

【岸信夫】安倍晋三の兄弟!?防衛大臣を解説

キーワード解説:岸信夫

経歴
生年月日:1959年4月1日

出身校:慶応義塾大学

前職:住友商事

政党・派閥:自民党・細田派

当選回数:参議院議員(1回)、衆議院議員(2回)

所属団体:親台団体である「日華議員懇談会」、創生「日本」

政治家としての役職

2004年 参議院議員選挙で初当選(第20回参議院議員選挙)

2008年 防衛大臣政務官(福田康夫内閣)

2013年 外務副大臣(第二次安倍内閣)

2014年 衆議院に鞍替え

2020年 防衛大臣(菅義偉内閣)

安倍晋三との関係は?

1959年安倍晋太郎・洋子夫婦の三男(安倍晋三の弟)として生まれます。

家系図引用:週刊朝日2018年9月21日号
引用サイト:首相は「ジコチュウの性分」? 安倍vs.石破徹底比較

その後間もなく岸家(岸信介元総理大臣の家系)の岸信和・仲子夫婦に養子として迎えられました。

子供の時はその事実を知らずに育ち、安倍晋三前総理をいとこだと認識していました。

しかし、大学受験時に必要な戸籍謄本を所得したときに発覚し、教えてもらえなかったことにショックを受けたそうです。

岸信夫、安倍晋三2人の実の母である安倍洋子(岸信介元総理大臣の娘)は岸信夫を養子に出すことを迷い、出した後も後悔したと言われています。

安倍洋子は安倍家、岸家をつなぐ人物であり、政界のゴッドマザーと言われています。

岸信夫の派閥である清和会(細田派)の夫人をまとめ上げています。

防衛大臣として

2020年9月、菅義偉内閣の防衛大臣に任命されました。

菅政権で選ばれた経緯としては安倍前総理大臣への気遣い、アメリカへの『安倍政権の継承』を示すこと、日米台の連携、の3点を鑑みたからではないかと考えられています。

岸信夫は親台団体である日華議員懇談会の幹事長を担っており、今年亡くなった李登輝元総統の葬儀にも参列した、新台議員の代表です。

また、現在の台湾総統である蔡英文氏とも関係を持っています。

このような台湾とのネットワークとアメリカの強烈な中国外しに伴い、岸信夫は防衛大臣に選ばれたのではないかと推測されます。

岸信夫は安倍前総理大臣と同じ細田派の議員であり、創生「日本」に所属しているため、安倍前総理大臣と似ている部分が多くあります。

未来へつなぐ誇りある国と題し憲法改正、教育改正を挙げています。

具体的には個性を大切にする現代だからこそ、確固とした国家観・歴史観に基づく独立自尊の精神が必要と考えています。
誇りうる伝統と文化を有する我が国の歴史再認識、教育改正を通し未来へつなぐ誇りある国を実現しようと考えているのではないでしょうか。

岸信夫の政策

外交 アジアにおける日本のポジションの明確化、国益を尊重し協調とリーダーシップを示す外交展開

教育 歴史再認識、学力と道徳心のバランスよい向上

行政 地方分権の推進

憲法 憲法改正賛成

防衛 核武装には反対(防衛大臣就任時)

岸信夫は外務副大臣時代(2014年)イランに訪問をしています。

IAEA追加議定書の迅速な批准・厳格な実施等につき,イランの積極的な取組を求めました。

実際に2015年イランは核合意を締結しています。

またバイデン米副大統領(当時)来日の際、お出迎えとお見送りを岸信夫外務副大臣が行いました。

最後に

菅義偉内閣の防衛大臣に就任した岸信夫氏をご紹介しました。

台湾との関係など、緊迫する世界情勢の中でどのように存在感を示していくのでしょうか。

[itemlink post_id=”5805″]

https://timetankcom.wordpress.com/2020/06/19/shinzo-abe/

日本学術会議問題は学問の自由を脅かすのか

学術会議のポイント

日本学術会議とは?

日本学術会議は、科学が文化国家の基礎であるという確信の下、行政、産業及び国民生活に科学を反映、浸透させることを目的として、昭和24年(1949年)1月、内閣総理大臣の所轄の下、政府から独立して職務を行う「特別の機関」として設立されました。職務は、以下の2つです。

・科学に関する重要事項を審議し、その実現を図ること。
・科学に関する研究の連絡を図り、その能率を向上させること。

日本学術会議は、我が国の人文・社会科学、生命科学、理学・工学の全分野の約87万人の科学者を内外に代表する機関であり、210人の会員と約2000人の連携会員によって職務が担われています。

日本学術会議の役割は、主に以下の4つです。

・政府に対する政策提言
・国際的な活動
・科学者間ネットワークの構築
・科学の役割についての世論啓発

日本学術会議HP(http://www.scj.go.jp/ja/scj/index.html)より

菅政権が発足して直後、菅首相が6名の学者を任命拒否したことから「学問の自由の侵害ではないか」と批判された。任命拒否された6名の学者は”反政権”であり、反政権側であるから任命を拒否したのではないかと推察されている。日本学術会議会員は理系だけではなく、文系の方も多いが、今回は主に政治学系、人文科学系の学者が中心に任命拒否される事態となった。

学術会議の歴史的経緯

今回スポットが当たった学術会議問題だが、選手と方法には歴史的な経緯がある。今と同じような方法で任命されたというわけではない。

創設後から1984年まで

当初、会員選出は立候補制によって選挙を行うものだった。登録した研究者が有権者となり、直接投票を行った結果、全国区、地方区(6地方)で210名が選出され、任期は3年で全員が改選となったが、再任回数に制限はなかった。しかし、成熟された透明な選挙行われたわけではなく、日本学術会議元会長の亀山直人によると、「教室や研究所で強制的にある人に指示して投票させたとか、白紙を集めたとか、A群とB群とが互に連絡して投票を交換したとか種々の醜聞がある」と批判した。

1984年から2005年まで

1985年からは推薦方式に変更された。各学会が届け出をした推薦人が、学術領域ごとに候補者の中から「会員候補」を選出する。推薦人は各学会の構成員であり、以前の直接選挙制から一新される。選出された会員候補は日本学術会議から内閣総理大臣に推薦され、任命を受ける形となる。

2005年以降

現役の会員・連携会員が各々ふさわしいと考える「優れた研究又は業績がある」科学者を、会員候補者と連携会員候補者を合わせて5名推薦する。定年は70歳。
[box05 title=”日本学術会議の政府に対する勧告や答申の種類”]

日本学術会議は政府に対する勧告や答申、外部に対して見解、声明、談話などの公表を行っており、
勧告 – 「科学的な事柄について、政府に対して実現を強く勧めるもの」
要望 – 「科学的な事柄について、政府及び関係機関等に実現を望む意思表示をするもの」
声明 – 「科学的な事柄について、その目的を遂行するために特に必要と考える事項について、意思等を発表するもの」
答申 – 「専門科学者の検討を要する事柄についての政府からの問いかけに対する回答」
提言 – 「科学的な事柄について、部、委員会又は分科会が実現を望む意見等を発表するもの」
会長談話 – 「緊急な課題等について、日本学術会議会長から発する談話」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%AD%A6%E8%A1%93%E4%BC%9A%E8%AD%B0)[/box05]

任命拒否された6人

・京都大学教授、キリスト教学者・芦名定道氏。
・東京大学教授、政治思想学者・宇野重規氏。
・早稲田大学大学院教授、行政法学者・岡田正則氏。
・東京慈恵会医科大教授、憲法学者・小沢隆一氏。
・東京大学大学院教授、歴史学者・加藤陽子氏。
・立命館大学大学院教授、刑事法学者・松宮孝明氏。

以上の6名は「安全保障関連法案に反対する」という共通点があり、安倍政権・菅政権に否定的な側面がある。また、任命拒否された根拠を問いただしたい考えで、6名で記者会見にも臨んだ。東京大学、加藤陽子教授は「今回の任命拒否を受けて感じたのは、法解釈の変更なしには行えない違法な決定を菅義偉首相がなぜ行ったのか、意思決定の背景を説明できる決裁文書があるのか、政府側に尋ねてみたい。」と語った。

何が問題なのか

ポイントは学術会議会員は内閣総理大臣に任命されることとされているが、その任命が事実上の追認なのか、そうでないかということだ。これまでの説明では前者であるとされており、過去に国会でもその旨政府としての見解が示されており、これが変更されたとの説明はなされていない。しかし、今回追認される形とならなかったので、世間で騒がれている。

日本学術会議は内閣総理大臣の所轄ではあるものの、政府から独立しており、戦後において「学問の自由」を守るために、政府からの人事権の介入は受けないとされてきていた。しかし、新たな論点として「学術会議は既得権益ではないか」「民営化すべきだ」という批判があり、事態はねじれていく。

菅総理は「総合的に、俯瞰的に判断した」と発言しており、「それは全く理由になっていないではないか」と批判された。ここで各党の発言を見てみる。

立憲民主党の福山幹事長は「なぜ6人を任命しなかったか、菅総理大臣は全く理由を説明していないし、法解釈を変えたかどうかも分からず、国会ではしっかり説明してもらいたい。学術研究や学問に政治はもっと謙虚であるべきで、今回の問題をきっかけに会議の在り方を、さも当たり前のように議論するのはすり替えで、筋が悪い」と述べました。

日本維新の会の馬場幹事長は「任命をなぜ見送ったのか、丁寧な説明はお願いしたいが、会議の運営には税金10億円が投入されている。税金が原資になっていることを踏まえ、改革をスタートしてもらいたい」と述べました。

共産党の小池書記局長は「『総合的、ふかん的に判断した』では説明になっていない。学術会議の見直しも政府にたてつく組織は許さないと脅迫するようなやり方で、二重三重に学問の自由を脅かし、非常に卑劣だ」と述べました。

国民民主党の岸本幹事長代理は「6人は総合的、ふかん的な活動ができないかただと言わんばかりで、名誉に関わる問題だ。学術会議の在り方も自主的な議論で決めていくべきだ」と述べました。

これに対し、自民党の柴山幹事長代理は「公務員である会員の選定に政府が一切関われないというのは妥当ではない。候補者の過去の実績や活動などに鑑みて、総合的、ふかん的な観点から適切な任命措置がなされた。会議の硬直性の問題などにスポットを当てる好機であり、政府から独立した形で助言する機関として生まれ変わることができるのかなど、あるべき姿について検討していきたい」と述べました。

公明党の石井幹事長は「任命にあたっての基本的な考え方はきちんと説明すべきだ。総合的、ふかん的ということばは国民には理解しにくく、納得しやすい説明に努めてもらいたい。役割をさらに発揮できるような改革や組織形態も、まずは、みずからで検討してもらいたい」と述べました

(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201025/k10012679911000.html)

運営は問題ではないのか?

日本学術会議の問題は今取り沙汰されたわけではない。1970年から問題提起がされており、「赤い巨塔」では以下のような記載がされている。

前東京教育大学々長 三輪知雄

日本学術会議の実態は、学者のあいだではしだいにわかってきているが、一般世間の認識はまだまだきわめて浅い。学術会議は一種の学者集団であるが、学者というものに対する日本人の見方はひじょうに甘く、学者と聞いただけで偉そうに見え、その言うところは無条件に近く信頼される傾向が強い。したがって、このような学者の集りとしての学術会議は世間から漠然と高級なものに見られているのである。学者と呼ばれる人たちには大学の教師が多いが、大学という社会は世間を騒がせた紛争の経過からもわかるように、大学自治と称するカーテンによって閉鎖された特殊社会であり、そこを職場とする教師たちにはお坊ちゃん的な甘さがあり、独りよがりの色合いが濃く、またおしなべて反権力的である。このような環境は”進歩的”左翼の育つ絶好の場であって、学術会議はおもにこのようなところから送り出された人たちから成立っている。

戦後発足当時は良識会員が今よりもはるかに多く、その活動ぶりにも非難の声はあがらなかったが、時が経ち会員の改選交代がくりかえされるとともに左翼会員がふえ良識派は退潮の一途を辿っている。

もともと共産党の戦術は、何らかの組織体または集団があると、そこにはいりこんで橋頭堡をつくり、これを占領しようとするものである。学術会議のようなところが狙われるのは当然である。共産主義者は権力を握るため民主化という甘言で偽装し、その実少数独裁の体制をつくりあげるのであるが、学術会議でもこの線で左翼学者の活動が露骨に行われている。一部のものが予め謀議して決めたことが公の会議で「学者の総意」を僭称してまかり通るのである。一人一党の良識派の太刀打ちできるところではない。

学術会議の正常化には、何よりもまずその実態を一般に知らせ世論を喚起することである。良識学者を多数送ることによって改革するのは理想であるが、筆者はこれには悲観的である。行きつくところまで行かせてからということになるのであろうか。

(「赤い巨塔」(1970年) 時事問題研究所 編 182頁~183頁より)

森友・加計問題の二の舞か

森友・加計問題では、結局疑惑の域を出ず、最終的に安倍総理が辞任する時に至っては、内閣支持率70%台を記録した。一部では盛り上がっていたのかもしれないが、結局のところ、安倍支持派が大多数を占めたのだ。今の学術会議問題は同じような変遷を辿る気がしている。これからどのような展開がなされるか今後注目したい。

https://atomic-temporary-151149301.wpcomstaging.com/2020/07/04/horiemon-shinto/

[itemlink post_id=”6933″]

【麻生太郎】菅内閣、財務大臣を解説

キーワード解説:麻生太郎

経歴

生年月日:1940年9月20日(80歳)

出身校:学習院大学政経学部卒業

現職:衆議院議員、副総理兼財務大臣、志公会(麻生派)会長

政党・派閥:自由民主党・志公会(党内第2派閥)

当選回数:13回(福岡8区)

政治家としての経歴

1979年 自由民主新党にて初当選。

2005年 小泉内閣にて外務大臣を務める。

2008年 福田康夫退陣を受け、総裁選に立候補し勝利。第92代内閣総理大臣に就任

2012年 第二次安倍内閣組閣にて財務大臣兼副総理(他役職複数あり)に就任。

2020年 菅内閣発足後も再任。

2008年内閣総理大臣、2012年から現在まで副総理兼財務大臣を務めています。

安倍政権を支え続ける重要人物の1人でした。菅内閣でも再任しています。

キリスト教徒である一方で靖国神社や伊勢神宮への参拝を行っています。

皇族との関係も!華麗なる血縁

祖父に吉田茂を持ち、鈴木義幸元首相の娘と結婚しています。

また麻生太郎の叔母は皇族と結婚しているため、皇族との血縁関係を持っているのです。

安倍晋三前首相や大久保利通とも血縁関係があり、親戚ということになります。

また、麻生太郎は安倍晋三の盟友だと言われており、国会の中などで仲が良さそうなのを拝見出来ます。

麻生太郎〜首相時代〜

2008年総理大臣就任時、世界はリーマンショックで苦しんでいたため総額75兆円の景気対策を行いました。

国内においては国民に定額給付を実行します。しかし、選挙前の人気取りだとの批判を受けてしまいます。
このことがあったために新型コロナ危機においての給付金について慎重姿勢を見せていました。

またリーマンショック時のG20サミットではリーダーシップを取り、麻生案を通し世界に大きく貢献しました。

一方で、メディアへの高圧的な態度が批判の格好の標的となり、失言が大きく取りざたされ、参議院で自民党が過半数を取れていなかったことから政権運営が苦しく、衆議院選挙で自民党が大敗。自身はその責任を取って党総裁を辞任しました。

麻生太郎〜財務大臣時代〜

2012年自民党が政権に復帰すると同時に、財務大臣兼副総理となります。

アベノミクスを支える一方で、増税を主張してきました。

2015年10月に税率を10%に引き上げる予定でしたが8%への増税時消費が落ち込んだことを踏まえ、安倍前総理の延期指示に従い17年4月に増税予定としました。

その後2016年6月に安倍前総理は増税再延期を指示、これに従い2019年10月に引き上げるとしました。

3度目の延期は行われず消費税は予定通り増税され、現在も続く「軽減税率」が同時に導入されました。

また、国会議員有志からなる愛煙団体の「もくもく会」に所属しています。

麻生おろし

麻生太郎はリーマンショック時に対策に専念するため勝てるとされていた解散総選挙を行いませんでした。

しかし自民党の長期政権による閉塞感に対する苛立ちから支持率が急落と同時に、自民党内からも倒閣運動が行われました。

この倒閣運動者の中には石破茂も含まれており、両者は不仲だと言われています。

森友学園問題

安倍政権下で野党からの森友問題で追及の矢面に立たされたのは麻生太郎財務大臣でした。

佐川国税庁長官や、森友学園の籠池氏が国会に証人喚問されるなど野党の追及は激しいものでした。

財務省の公文書管理のずさんさから財務大臣である麻生太郎も野党から激しく追及され、辞任もささやかれました。

しかし、本人は辞任せず公文書管理の在り方を改革していくことで、現在まで財務大臣であります。

最後に

麻生太郎は財務大臣の在任期間が戦後最長となりました。

現在コロナで国民が苦しむ中、財政を担当する財務大臣の役目の大きさは誰が見ても明らかです。

菅政権を支えつつ、コロナ収束と経済復興に尽力することが求められるでしょう。

https://atomic-temporary-151149301.wpcomstaging.com/2020/06/19/shinzo-abe/

【安倍自民党政権】アベノミクスとは何だったのか?3本の矢(金融緩和・積極財政・構造改革)の評価とは!?

安倍政権を振り返る。アベノミクスとは何だったのか?

政治家娘YOUTUBERみこちゃんねる

タカジュン

Ryuga

みこ 今日は、policy高校生ライターのRyugaくんに、アベノミクスを分かりやすく説明してもらおうという企画です!!

タカジュン さて、将来の財務大臣にアベノミクスとは何か説明してもらいます笑笑

Ryuga 今日はよろしくお願いします。

アベノミクスの3本の矢とは?

 

Ryuga アベノミクスは、①金融緩和、②積極財政、③構造改革という三つの柱で構成されています。補足として、③に関しては公式的に「成長戦略」とされていますが、核心は構造改革であるということです。

では、それぞれの項目について簡単に説明を。

まず、「金融緩和」とは、簡単に言えば日本銀行がお札をたくさん刷ること(実際に印刷している訳では無い。)やマイナス金利政策により、市場に出回る貨幣の量を増やし、投資を誘発させることです。次に、「積極財政」とは、インフラ整備などの公共投資の拡大や、減税などによって有効需要を創出することです。

この二つはカンフル剤のようなもので、もっと簡単に言えば「起爆剤」のようなものです。これは、リーマンショックや東日本大震災対応、民主党政権の失政により日本経済がどん底な状態であった2012年当時の状況から日本経済を再生させていくという目的が有りありました。

「構造改革」は、規制緩和などによって日本経済の体質を根本的に改善していくという「特効薬」のようなものです。つまり、一本目の矢と二本目の矢が飛んだとしても、構造改革進まなければ、日本経済の持続的な経済成長を実現するのは難しいと言えるでしょう。

そして、この「カンフル剤」と「特効薬」の合わせ技こそがアベノミクスであり、その目的は持続的な経済成長を可能にする、具体的には、名目で年率3%以上の成長を実現するというものであると理解をしています。

名目GDPとは?
国内で一定期間に生産されたモノサービスの付加価値の合計額を表す指標

タカジュン つまりは今までは悪い構造だったの?

Ryuga 例えば、日本の中央主権・中央集権的な経済構造は「1940年体制」(=戦時体制の踏襲)とも呼ばれています。永田町・霞ヶ関に権限が集中し、規制で雁字搦めにされた中央統制型の経済・社会のシステムが構築されていた結果、経済全体の新陳代謝が起こらず、成長出来ない構造がで出来上がってしまったのです。

1940年体制
中央集権的な構造が日本の成長を阻害していた。

実際、日本のここ30年の潜在GDPはほぼ0%の低成長であり、まさに高度経済成長期に貯めた貯金を切り崩していく、「ジリ貧国家」になってしまったのです。

みこ 構造改革がちゃんとできていないと金融緩和と積極財政の意味は・・・

Ryuga 確かに、大胆な財政と金融の協調政策は短期的な経済の再生には絶大な効果をもたらすのですが、長期的な持続可能な成長の実現には構造改革が必要です。

Ryugaのアベノミクスの評価

Ryuga まず、金融緩和の評価は「A」で、デフレ脱却を実現した点が大きな評価ポイントです。

これは、日銀と政府がインフレ・ターゲット(目標)を設定し、2%の約束の下で金融緩和を行った結果、インフレ率2%こそ達成していないものの、プラスに転じる等、少なくともデフレでは無い状態を作り出すことが出来ました。

ただし、インフレターゲットの核心は、期待インフレ率を向上させ、投資意欲を上向かせることにあります。しかし、未だデフレマインドは払拭されず、投資の誘発は実現出来ていません。よって、詳細は後述しますが、財政政策や構造改革と併せて金融緩和は今後も継続し、強化していく必要があります。

インフレ・ターゲット(目標)
インフレ(物価水準の継続的な上昇)を目標とする金融緩和の枠組み。

また、雇用情勢も大幅に改善されました。失業率は大幅に改善され、2%台前半と、ほぼ下限まで低下し、完全雇用と言える状態となりました。それだけでは無く、同時に就業者数も増えており、就業者数が増えた上で失業率が改善している点からも金融緩和による雇用情勢の改善は大きな成果であると言えます。

次に、積極財政の評価は「B」です。評価出来る点は、新型コロナ感染症に伴う経済対策です。例えば10万円の一律給付は、これまでの発想ではなかなかできないような大胆な施策であり、6月の消費支出の改善に大きく寄与しました。

一方で、財政政策全体としての問題点は、「消費増税」を2回行ってしまったことです。これは、1度目は経済状況が改善しつつある中であった為、影響は比較的小さく済みました。しかし、2度目は悪化し始めていた所で無理やり行ってしまった、かつそれにより昨年の10月~12月期のGDPが下がった状態で、予測は出来なかったとは言え、不幸にも新型コロナが襲ってしまったことで、日本経済はどん底な状態に陥ってしまいました。

そして、今のアベノミクスは歳出面に偏った積極財政である為、特定の産業や特定の企業、既得権団体を保護し、結果として民間の自由な競争を阻害する可能性、行政の肥大化を招き民間活力を削ぐ可能性を孕んでいます。よって、消費税や所得税の減税、社会保険料の減免といった普遍的な積極財政である歳入面の財政政策を打つべきであるということから評価は「Bです。

最後に構造改革は「E」です。3本目の矢は、善し悪し以前にそもそも飛びませんでした。これが飛ばなければ日本経済は根本的な成長出来る構造になったとは言えません。

規制改革に関して言えば、加計学園問題で「国家戦略特区構想」がつぶれてしまい、そこから規制改革自体は大きく失速をしてしまいました。本来であればあの時期からもっとアクセルをかけて改革を進めていく予定であったのにもかかわらず、結果として失速してしまい、結局日本の潜在GDP、つまり日本の潜在的な経済の力を示す値が上がらなかった点から、評価は「E」にさせて頂きます。

以上のことから、アベノミクスの総合評価は、「ABE」(アベ!?。勿論、こんなシャレの効いた評価は思いつきません。浜田宏一内閣官房参与の評価を引用させて頂きました笑)とさせて頂きます。大胆な財政と金融の一体政策(1・2本目の矢)により、マクロ政策の最大目標である雇用情勢の改善は実現しました。しかし、構造改革(規制緩和等の3本目の矢)は進まず、潜在GDPは低迷から脱せていません。持続的な成長の為には、マクロ政策は継続しつつ、構造改革も更にアクセルをかけていくことが必要不可欠です。

https://atomic-temporary-151149301.wpcomstaging.com/2020/08/20/gdp-genzei/

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【無党派層】自民党以外の勢力には期待できない?

自民党以外の勢力に期待できないという意見について

最近、よく聞くフレーズがあります。

それは、「自民党以外の勢力に期待できない。」
というものです。

「野党は批判ばっかり」「現状で不満がないから与党に入れる」と言う人もいます。

今日はこれに対して、少し物申していければと思います。

自民党政治の功罪

確かに自民党はずっと政権を担当していて、経験豊富な政党な政党です。

安倍元首相の経済政策は好評価が多く、モリカケの問題がこれだけ長続きしているにも関わらず支持率は下がりませんでした。

トランプ大統領との仲など外交面での成果なども評価されています。

漠然と信頼感がありますし、自分としてもこの意見は同意できる部分があります。

だからこそ国民も少なくとも野党よりは信用して政権を任せている訳です。

しかも、自民党は本来野党がくみ取るべき世間にニーズに対して、柔軟に対応しています。

例えば、夫婦別姓であっても結婚を認める考え方、「選択的夫婦別姓」を例に挙げてみましょう。

これに対し自民党はつい数年前は家族の崩壊として「反対」の立場を示していたにも関わらず、国民の夫婦別姓への理解が少しずつ深まるにつれ、どちらとも言えない立場を取るようになりました。

これは、安倍前首相が政権を取り戻した当初と現在の自民党のマニュフェストを比べれば分かることです。

規制緩和もそうですが、自民党には新しい世論の動きを察知して変化する柔軟さがあるのです。

自民党が政界における最大勢力を保持しているのはこの信頼感と柔軟性の賜と言えるでしょう。

しかし、だからと言って国民を網羅的に納得させるには至っていません。

事実、半数の有権者は野党に投票しているのです。

政治が天下りや企業・団体との癒着が起きているのは与党の責任であり、現状でなかなか修復されない問題を解決する。それが野党の真価なのです。

また、政権運営のことを考え、与党が立法した法案のブラッシュアップは野党にしかできません。

野党は支持するか否かの選択肢に入れるべき民主主義を機能させるために必要な存在なのです。

それを踏まえて、我々はどうしたら良いのか。

与党も野党も中立的に判断するための3つのルール

ここまでで「タカジュンは野党支持者だ。」と思われる方もいるかもしれません。

しかし、それは違います。

僕は与党や野党に対しても是々非々です。

僕が言いたいのは野党に入れるのが正しいと言いたいのではなく、中立的に判断すべきという事なのです。

そのために、僕が守るように努めている3つのルールを書きたいと思います。

1・議論されているテーマに対して、どちらか(与党or野党)よりになった場合。もう一度それが正しいかどうか確認する。

僕自身の理念として、銀英伝のヤンウェンリーではありませんが、「”絶対に正しいこと”は存在しない」というのがあります。議論されているテーマに対して、どちらか(与党or野党)よりになった場合。もう一度それが正しいかどうか確認する。

常に自分を疑いましょう。

 

2・政策決定に絶対の成功はないことを前提に自分の意見を組み立てる。

政治に完璧はありません。なので、政治家と政党を比較評価してよりマシな方に投票しなければなりません。

豊洲の移転問題が騒がれたことがありました。

結局移転になりましたが、豊洲は果たして完璧だったでしょうか。

完璧だったとは、豊洲移転に大賛成だった人も断言はできないのでしょう。

「豊洲への移転」「築地への残留」どちらがより良い選択なのか、比較評価できなかったからこそあそこまで問題がもつれたのです。

絶対を求めてはキリがない。比較評価することを考えましょう。

 

3・言い方にとらわれない。

時に乱暴な言葉を使う政治家がいます。

例えば、アメリカトランプ大統領は暴言ばかりでひっきりなしに批判を浴びていますが、彼が大統領選において勝利を納めたと言うのは事実。

単に彼を感情的に批判するのではなく、彼の言葉の裏や目的、打算はないか考えるべきなのではないでしょうか。

 

まとめ

以上、これら3つの考えに私は沿って、意見を組み立てるようにしています。

これを実行することによって、野党に投票するようになるとは思っていません。

むしろ、より与党の合理性に気づくこともあるでしょう。

「自民党以外の勢力に期待できない。」「野党は批判ばっかり」「現状で不満がないから与党に入れる」と言う意見に対し、本当にそうなのか再確認をするべきではないか、と言う提案です。

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政界の”ドン”二階俊博という男

田中角栄に並ぶ”怪物”

[box05 title=”略歴”]衆議院議員(和歌山3区)当選12回。自民党幹事長、自民党国土強靭化推進本部長、志帥会会長。中央大学法学部卒業後、建設大臣等を歴任した遠藤三郎衆議院議員のもとで秘書を10年勤める。その後、和歌山県議会議員に当選。和歌山県議会議員を2期務めた後、1983年に衆議院議員に初当選。以後連続12回当選。運輸政務次官、運輸大臣兼北海道開発庁長官、経済産業大臣、自民党国対委員長、自民党総務会長などを歴任。[/box05]

運輸大臣は、2001年の中央省庁再編前まで存在した日本の運輸省の長である。国務大臣をもって充てられた。現在は国土交通大臣にあたる。中曽根康弘氏、橋本龍太郎氏、亀井静香氏など歴任し、総理大臣経験者も。

歴代最長の幹事長に

政治評論家評論家、森田実氏は「二階俊博は、二十世紀から二十一世紀にかけて日本を代表する天才政治家である。この大天才の魂は、田中角栄を父とし、南方熊楠をとしている。」と「二階幹事長論」で評した。

南方 熊楠(みなかた くまぐす、1867年5月18日(慶応3年4月15日) – 1941年(昭和16年)12月29日)は、日本の博物学者、生物学者、民俗学者。生物学者としては粘菌の研究で知られているが、キノコ、藻類、コケ、シダなどの研究もしており、さらに高等植物や昆虫、小動物の採集もおこなっていた。そうした調査に基づいて生態学(ecology)を早くから日本に導入したことが注目される。英語、フランス語、イタリア語、ドイツ語、ラテン語、スペイン語に長けていた他、漢文の読解力も高く、古今東西の文献を渉猟した。熊楠の言動や性格が奇抜で人並み外れたものであるため、後世に数々の逸話を残している。(wikipediaより)

二階氏は2020年9月8日に幹事長の在任期間1498日となり、田中角栄元総理大臣を抜いて歴代最長となった。まさに戦後の怪物である。田中角栄氏は「闇将軍」と呼ばれたが、二階氏もその背中に追いついていると言えるだろう。

歴代最長の背景には二階氏の政局の嗅覚が抜群に良いことにある。田中角栄氏、竹下登氏、金丸信氏、そして小沢一郎氏らの側近として政治経験を積んできた。長年培った政局観は全く衰えず、安倍晋三元総理の長期政権、その後の菅政権発足に寄与した。細野豪志氏を始め、選挙に強い政治家を引き入れる手法は、昭和時代の古くさいものではあるが、今日では珍しく、大胆に映る

ある昔から政治を見てきた60代の自民党支持者に話を聞くと「二階幹事長は骨がある。自分の派閥で他党も受け入れる器の大きさだ。派閥の領袖は器が大きくなきゃいけない。気骨がある。」と評していた。「それに比べて今の政治家は小粒になった。誰も(どん底の議員を)受け入れようとはしない。面倒を見ようとしない。」激動の昭和政治を見てきた支持者にとって、二階氏の姿は昭和の政治家の体現だと言えるだろう。

二階氏の動きは誰よりも早く、勝ち馬に乗る。安倍元総理の再選支持をいち早く表明し、党則を変えて安倍3選を可能にした。菅総理の支持も早く、自民党内に菅路線を作ったのも二階氏だ。政局の流れの中心にいるのは常に二階氏で、流れを作るのも二階氏だ。

自民党を離れた経験を持つ自民党トップ

二階氏は幹事長の座に、党内から順々と上り詰めたわけではない。1993年、宮沢内閣不信任決議案に賛成して自由民主党を離党、小沢一郎氏らと共に新生党結成に参加した。細川・羽田政権後、新進党にも参加し、1998年、新進党分党後も小沢氏の側近として自由党に参加。二階氏は石破茂氏と同様に自由民主党を離党した経験を持つのだ。二階氏が自民党に復党したのは2003年、保守新党が自民党に吸収される形だった。石破茂氏が1997年に復党したのに対し、二階氏の復党の方が遅いのだが、何故か石破茂氏のほうが「自民党を裏切った」と揶揄されることが多い。人柄の違いか、汗水の違いか。

2005年5月、小泉政権の時に、郵政民営化法案を審議する特別委員会の委員長に就任する。二階氏は郵政民営化法案の衆院通過に尽力した上、その後の郵政解散による選挙責任者の総務局長として候補者擁立などに奔走し、自民党圧勝の功労者となった。この大勝利をきっかけに地位向上が行われるようになった。また、二階派の議員数が増加することになり、二階派の政治的影響力が強くなった。党内で汗を流すことによって、出戻り組であるにもかかわらず、異例の出世を遂げる。同年の2005年10月には経済産業大臣、2007年には党三役である総務会長に就任する。2016年、第三次安倍内閣時に77歳で自民党幹事長へ就任。今日に至るまで強い影響力を持つ。

[box05 title=”党三役とは”]自由民主党においては、幹事長、総務会長、政務調査会長の三役が、総裁に次ぐ最高幹部であるため、「党三役」と称す。通例として、総裁を除き、党中央の役員は同時に国務大臣との兼任を避け、党の執務に特化する。
(wikipediaより)[/box05]

「政策より人格」政治家は”汗”を信用する

二階氏は汗をかく政治家と言える。ここで「汗」とは党にどれだけ貢献したか、議員にどれだけ貢献したかを指す。つまり「人のために働くことができたか」である。二階氏から国家ビジョンは見えないし、掲げていないだろう。政策よりも人柄の政治家だ。私が見る中で、政治は政策よりも人柄で動いている場面が多く見受けられる。

出戻り組であるにもかかわらず、二階氏が議員から支持されるのは、一貫した「汗を流す精神」であろうと私は思う。自民党を離党した際も、多くの心血を小沢氏に注ぎ、その後保守新党でも、党幹事長として尽力した。党を鞍替えしようとも、最後まで面倒をみようとする生き様が自民党でも評価されたのではないだろうか。

二階氏の政策・主張は日中友好活動の側面が強く、党内では親中派に位置する。二階氏は約3000人の訪問団を引き連れて、中国の交流イベントに参加した。習近平主席の来日も望んでおり、その主張から多くの批判を受けるが、二階氏を降ろそうという動きはない。

我々が学ぶべきこと

政治に限らず、どの組織に属していても、組織運営を第一に考え、組織の人に貢献する人は評価が高い。まさに「調整役」だ。結果という指標に憑りつかれ、数字を出す人間が社内を回せるかというとそういうわけではない。数字で評価されない”汗”というものが、後々に自分のためになることを二階氏の生き様が物語っている。

人のために生きることは難しい。だが、それを貫いた人間は歴史に名を遺す。二階氏は語らない。二階氏から何を学ぶかは我々次第なのである。国民を愛した分だけ、国民に愛される。最後に、民衆に最も愛された政治家、田中角栄氏の名言で締めたいと思う。

「人間は、やっぱり出来損ないだ。みんな失敗もする。その出来損ないの人間そのままを愛せるかどうかなんだ。政治家を志す人間は、人を愛さなきゃダメだ。東大を出た頭のいい奴はみんな、あるべき姿を愛そうとするから、現実の人間を軽蔑してしまう。それが大衆軽視につながる。それではダメなんだ。そこの八百屋のおっちゃん、おばちゃん、その人たちをそのままで愛さなきゃならない。そこにしか政治はないんだ。政治の原点はそこにあるんだ」

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「次の総理は君だ!」中曽根裁定を振り返る

「次の総理は君だ!」中曽根裁定を振り返る

安竹宮

昭和62年(1987年)の秋、5年間にわたる長期政権となった中曽根康弘内閣が終わろうとしていました。

衆院選の大勝で延長した総裁任期も終わりに近づき、ポスト中曽根に世間の関心が集まっていました。

「安竹宮」

当時、有力な総裁候補とされていた3人を表した言葉です。
「安」は、安倍晋太郎総務会長。言わずと知れた安倍晋三総理のお父さんです。「竹」は、竹下登幹事長。DAIGOのおじいちゃんとしても有名ですね。そして、「宮」は、学歴に厳しいことで有名な宮澤喜一蔵相

昭和62年(1987年)10月8日に告示された総裁選に「安竹宮」はそろって立候補をしました。

選挙か、話し合いか

さて、3人の戦力ですが、あきらかに最強なのは竹下さんです。100人を超える最大派閥のボスであり、他派からの票も見込めるので、選挙になれば、最低200票はかたいはずです。
逆に、議員票で劣っていたのは宏池会(現岸田派)の領袖だった宮澤さんでした。そこで、宮澤陣営は「話し合い」での総裁選出に期待を寄せます。当時、現職である中曽根さんの「意中の人」は明らかになっておらず、「話し合いの末に、中曽根総理が宮澤さんを後継総裁に指名するかもしれない」と言う期待があったからです。

さて、肝心の中曽根総理は、後任の総理総裁をどのように決めたかったのでしょうか。

選挙か、話し合いか。

総理をやめた後、中曽根さんが影響力を残せるのはどちらなのでしょう。

選挙で勝利して総裁になるということは自分自身の力で権力を勝ち取ったということになり、新総裁の権力基盤は盤石なものになります。しかし、話し合いの末、中曽根総理が総裁を指名するとなると、新総裁は「中曽根総理のおかげ」で誕生することになります。当然、中曽根さんの意向は無視できません。ということなので、もちろん中曽根さんは「話し合い」、というか、「話し合いの末の中曽根さんによる後継指名」に持ち込みたいわけです。

しかし、竹下さんの立場では逆になります。「中曽根さんに禅譲された権力」か、「自分自身で戦って勝ち取った権力」か、後者の方が望ましいのは明らかです。当然のことながら、竹下派では、「話し合いではなく選挙で戦って総裁の座を手に入れるべきだ」という意見がたくさん出ました。

会談、そして・・・

しかし、中曽根さんのほうが一枚上手だったかもしれません。

10月15日夜、雨の中、竹下さんは総理官邸を訪れました。もちろん、用件は中曽根総理との会談です

そこで、中曽根さんは勝負をかけました。
直接的な表現ではありませんが、中曽根さんは「選挙をやめて話し合いにすれば、竹下さんを後継指名する」と匂わせたのです。

繰り返しますが、中曽根さんは直接的に「選挙をやめれば、あなたを後継指名する」とは言ってないと思います。しかし、微妙な言葉選び、表情、声のトーンなどから、竹下さんは確信をしたのでしょう。「中曽根さんは自分を指名してくれる」と。

すかさず、竹下さんもダメ押しします。

「自分が総理になっても中曽根路線はしっかり継承する。外交はすべてご指導を仰ぎたい。」

そう宣言し、会談を終えました。

一方、安倍陣営ですが、選挙に持ち込むべしとの派内の意見も強かった一方で、なぜか巷では「話し合いの末、中曽根総理は後継に安倍さんを指名する」との情報が飛び交っていました。

ともあれ、こうして安竹宮の3人ともが中曽根総理による後継指名を期待する状況が作られました。中曽根さんの思惑通り、「話し合いからの中曽根さんによる後継指名」へと大きく流れが動き始めたのです。

中曽根裁定

長い話し合いの末、ついに10月19日夜、中曽根総裁への白紙一任が決まりました。

もう、3人とも中曽根総理による自らの指名を願って待つことしかできません。

世間的には、「安倍有利」との見方が強かったようですが、結果は、神と中曽根総裁のみぞ知るところです。

「新総裁は安倍氏」「安倍総理誕生」
裁定前に、そんな速報を打つマスコミもあったそうです。

そして、20日未明、運命の「中曽根裁定」がくだりました。

「私は熟慮の結果、総裁候補者として竹下登君をあてることに決定した。他の二者におかれては、前記の趣旨にのっとり全面的に協力されんことを強く希望するものである。昭和六十二年十月十九日 自由民主党総裁 中曽根康弘」

こうして、竹下総理が誕生しました。
島根県の酒屋に生まれ、青年団活動、県議会議員を経て、ついに総理大臣の座を掴み取りました。
NHKアーカイブスで、裁定後の竹下さんが仲間たちから熱く祝福される映像を観ることができます。

一方、敗北後の安倍陣営の様子を、番記者が回想していたので引用します。

“次の総理大臣が竹下登幹事長(当時)に決まった夜は、とりわけ印象深いものだった。富ヶ谷の安倍邸では、安倍派幹部が悲嘆に沈んでいた。他社の先輩記者の何人かが悔し涙を見せる向こうで、煮えたぎる思いを胸に収め、淡々とした表情で報告に耳を傾ける安倍さんの姿に、運命を粛々と受け入れる“潔さ”を感じたのは、私だけではなかったと思う。“(リレーエッセー「私が会ったあの人」安倍晋太郎さん(森本 和憲)2012年9月)

宮澤さんはのちに総理総裁の座を射止めることができましたが、安倍晋太郎さんは将来の総理の座を確実視されながらも4年後に病でこの世を去りました。

令和2年(2020年)の秋は、政治の季節となりました。総裁選や新内閣誕生を伝えるワイドショーやニュースの報道をチェックする一方で、過去の総裁選を振り返ってみるのもいかがでしょうか。

[box02 title=”文献”]
大下英治(2016)『自由民主党の深層』イースト・プレス
安倍晋太郎さん(森本 和憲)2012年9月<https://www.jnpc.or.jp/journal/interviews/24839>(2020年9月5日参照)[/box02]

https://atomic-temporary-151149301.wpcomstaging.com/2020/09/20/yatou/

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野党は、なぜ与党になれないのか

与党であることは間違いなく政策にも選挙にも有利

サイレントマジョリティー

2020年9月、新菅内閣が誕生したが、このときの朝日新聞の世論調査による内閣支持率は、支持するが65%、支持しないが13%という結果になった。

日経新聞では菅内閣の支持率は74%に上り、驚異の支持率を誇る。”反安倍”デモが国会前で展開されている報道をよく見たり、SNS上では「#菅政権の退陣を求めます」がトレンド入りするなど、反体制・反政府的な言葉が目立つ。

そういった声とは裏腹に、驚異的な支持率を獲得した菅政権を見ると、サイレントマジョリティーとノイジーマイノリティが明確化されたように感じる。

当然、菅内閣はまだスタート直後であり、何かを成し遂げたわけではないが、期待感の表れがこの数字なのだろう。

野党はどうだろうか。菅政権に対抗して立憲民主党は「大きな塊」を作ったが、政党支持率は伸び悩んでいる。

毎日新聞の9月17日に行われた政党支持率では自民党が44%で最も多く、15日に新たに結党した立憲民主党は15%、日本維新の会が8%、共産党が5%、公明党が4%、れいわ新選組3%、NHKから国民を守る党が1%、新しく結成した国民民主党が1%だった。

立憲は衆参両院で150人が参加し、新たな野党第1党となったが、菅内閣の内閣支持率を見るに、仮に10月に解散総選挙があったとして政権交代を成し遂げられるとは考え難い。

「消極的自民党支持者も多い」と新国民民主党代表の玉木議員は語る。自民党は支持していないが、立憲民主党はそれ以上に支持していないので、しょうがなく自民党に入れる、という勢力だ。
中道政党として新たなスタートをきった国民民主党だが、その先に見えるのは「ゆ党」であり、日本維新の会と同じ道を辿るのかも知れない。

ゆ党とは、《「ゆ」が五十音で「や(野)」と「よ(与)」の間にあるところから》野党として対立するわけでもなく、与党と連立を組むほどでもない、中途半端な政策方針を掲げる政党を揶揄 した言葉。

(goo辞書より引用)

イデオロギーが日本を変える

近現代を見ると、世界は自由主義陣営と社会主義陣営によって二分されてきた。ソビエト連邦は突き詰めればマルクスとレーニンによって築きあげられ、イデオロギーが国民を熱狂させた。新たな国をつくるには壮大な国家観が必要なのだ。

日本の政治家やその集団に壮大な国家観はあるだろうか。また、どのような国家観が政権交代には必要なのか。

ジャーナリストであり作家でもある門田隆将氏は「いま激突しているのは左と右の勢力ではなく、空想家、夢想家である“ドリーマー(dreamer)”と現実を見据える現実主義者“リアリスト(realist)”である」と語る。

立憲民主党と国民民主党が新たに吸収と分裂を果たしたが、本質はドリーマーとリアリストに分けられたと言えるだろう。日本を変えるのはどちらの陣営だろうか。

与党の優位性を県議会で学ぶ

野党時代の経験を持つ自民党議員がこぞって野党時代の屈辱を語る際、多いのが「役人が来ない」である。
事務所に人が来ない様子に「政権を奪還するんだ!」という熱がこもった。県議会も同様であると思った。

先日、県議会にお邪魔したが、与党自民党の控室はひっきりなしにスタッフが入り込んでいた。与党控室が最も活気があった。
反面、無所属議員の控室はどうだろう。スタッフなど誰も来ない。小さなオフィスの角にぽつんと机と書類が残るばかりである。

与党であるということは政策が反映されやすい。役人が出入りするのは当然のことではあるが、与党に属する方が仕事は成し遂げやすいだろうなと私はその時強く思った。

二大政党から三大政党へ

私はこれから、日本の政治は三大政党へ向かうと思っている。

日本維新の会や国民民主党がそうであるように、「第三極」の選択肢が現れるのではないかと思う。

日本維新の会と国民民主党が手を組むかは未知数だが、第三極の土壌は着々と育まれているのではないかと思っている。

令和の時代を迎えて、新たな政治が展開される。今後の野党陣営には注目していきたい。

https://atomic-temporary-151149301.wpcomstaging.com/2020/09/14/suga/

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